STORY
愛知の有松鳴海絞りを世界へ。suzusanが実践する伝統工芸の継承法

愛知の有松鳴海絞りを世界へ。suzusanが実践する伝統工芸の継承法

愛知県名古屋市

    2022.09.13 (Tue)

    目次

      愛知県名古屋市の伝統工芸品である「有松鳴海絞り」を現代的に再構築し、ドイツで花開いたライフスタイルブランド「suzusan」。

      ドイツのデュッセルドルフ、名古屋の有松に拠点を構え、今では世界23カ国へプロダクトを発信し、グローバルな人気を獲得。さらには、慣習的な仕組みを見直すことにより、生産の効率化や雇用の創出を実現。自社に留まらず、地域社会への貢献に繋がる取り組みに注目が集まっています。

      今回は、suzusanのCEO兼クリエイティブディレクターである村瀬弘行さんに、お話をうかがいました。

      海外で気付かされた日本の伝統工芸品が持つ大いなる可能性

      有松鳴海絞りの歴史は、今から400年以上前、尾張藩の特注品として保護されたことに始まります。複雑な絞りの工程と多彩な柄の種類から生まれる手拭いやゆかたが評判を呼び、「街道市の名産品」として繁盛。

      ところが、最盛期は1万人以上いた職人が近年では200人ほどまでに減り、さらには高齢化も進んでいたことから衰退の一路をたどっていました。

      「私の実家である『鈴三商店』は、高祖父の代から有松鳴海絞りを生業にしていて、周りは職人ばかり。絞り染めの布に囲まれながら育ちました。

      家業を継ぐつもりがなかったので、10代の頃はアート関係の仕事に就きたいと思っていたんです。そこで、東京藝術大学を受験したのですが、2回落ちてしまって。いっそのこと海外に行ってみようと思い立って、イギリスのサリー・インスティテュート・オブ・アート&デザイン大学に入学しました。

      ところが、学費も含め、イギリスで暮らしていくことはかなりお金がかかることが分かったので、ドイツのデュッセルドルフ美術アカデミーに編入することになりました。」

      大学在学中にイギリスで開催された父親の展示会を手伝ったことをきっかけに、村瀬さんの有松鳴海絞りに対する意識に変化が芽生えたそうです。

      「日本の場合、『伝統工芸品』と聞くだけで紋切り型のイメージで見られがちですが、海外の方々がフラットな視点でプロダクトを評価してくれたことが、とても新鮮に感じられました。仮に同じプロダクトだとしても見せる場所や視点の違いで評価がまったく変わる。ここで得た経験がブランドを立ち上げるうえでの大きなヒントになりました。

      何よりも変わったのは、有松鳴海絞りの技術がこのまま失われてしまうのが惜しいと思うようになったことです。父はこの頃、あと15年もすれば有松鳴海絞りの伝統が途絶えてしまうと危惧していました。」

      ユーザー本位の視点から唯一無二のプロダクトが生まれる

      その後、村瀬さんは2008年、ドイツで出会った友人とともにライフスタイルブランドsuzusanを立ち上げます。

      「在学中に学生寮で知り合ったドイツ人の友人に有松鳴海絞りの生地を見せたところ、とても興味を持ってくれたんですね。彼はファッションにはさほど関心がなかったのですが、ビジネスを熱心に学んでいました。今思うと若気の至りだったのかもしれませんが(笑)、2人で意気投合して会社を設立することになりました。」

      • ドイツ・デュッセルドルフにあるsuzusanの拠点

      suzusanが既存のブランドと大きく異なる点は、プロダクトが完成するに至るまでのアプローチにあると村瀬さんは語ります。

      「率直にいうと、私は有松鳴海絞りを後世に残すための手段、あるいはその技術をアウトプットするための最適な方法として、ファッションを選択しています。」

      「私がものづくりで大切にしていることは、自分たちが良いと思える商品を一方的に売り出すことではなくて、手に取ってもらえるお客様にいかに喜んでもらえるか、必要とされるプロダクトであるかどうか、そこを常に意識しています。

      立ち上げ当初は、アート作品のような自分本位のアプローチだったのですが、セールスが芳しくなかったことで、そこでの間違いに気づきました。」

      有松鳴海絞りを残す手段という考え方、そしてアートを学んだからこそ辿り着いたユーザー本位のデザインプロセスによって、suzusanのプロダクトは独自性を高め、海外を中心に高い評価を得ることができたのかもしれません。

      失われつつある伝統文化が生き残るために必要なこと

      村瀬さんがドイツで起業したことによって、地元である名古屋や有松鳴海絞りを取り巻く環境も少しずつ変化が生まれているそうで、地域の人々から注目を集めています。

      「本来、有松鳴海絞りは分業で成り立っていた産業で、職人は各々が担当する工程で技術を提供することで対価を得ていました。そこでの産業構造上のデメリットとして、どこかのパートで作業が滞ってしまうと全体がストップしてしまうという課題を長年抱えていたのですが、suzusanでは絞りの全行程を管理できる工場を名古屋市有松に新設することで生産効率を高め、さらには自分たちで在庫を抱えられるシステムを作りました。これによって、新たな雇用も生まれています。」

      • Studio suzusan

      • suzusan factory shop

      「現実的な話をすると、『いいね!』という褒め言葉だけでは、伝統工芸の技術を次の世代へ継承することはできません。なぜなら、現場で働く職人の生活が支えられることで、はじめて文化をつなぐことができるからです。」

      村瀬さんの出身地である愛知県の名古屋市は、全国屈指のものづくりの街であり、さまざまな伝統産業が現代まで受け継がれています。

      「愛知県は古くから木綿の産業が栄えた地域として知られています。

      繊維産業に限らず、失われつつある伝統が生き残るためには、かつてトヨタ自動車が織機で培ったノウハウを自動車の製造に事業転換したように、時代にあわせた変化に応じる柔軟性が必要だと感じています。suzusanも同じように、これまで先代が果敢に挑戦してきた新しい技術への取り組みを継承しながら、時代にあわせたアウトプットを行うことで有松鳴海絞りの魅力を世界に発信しています。」

      地元・有松への思いと名古屋伝統産業の未来へつながるプロジェクト

      suzusanのフィルターを通じて、木綿のゆかたからカシミヤのストールへと素材と用途を変えながら受け継がれていく有松鳴海絞りの文化は、どんな未来を創造するのか。将来の展望について、村瀬さんは次のように語りました。

      「15年近くかけて、ドイツから世界各国へプロダクトを発信する形で有松鳴海絞りの存在を多少なりとも知ってもらえるようになったのですが、次のステップとして、海外から有松に来てもらえる仕組みを作り出したいと考えています。

      コロナ禍により、海外への渡航が難しい時間が続いたこともあってか、海外では『日本に旅行に行きたい』という声をよく耳にします。実はすでにそうそうたるブランドの重役がリサーチを兼ねて有松に訪れているんですよね。

      ちなみにsuzusanではドイツから有松への研修制度を設けているのですが、そこから飛び立って、世界を舞台に活躍する人材が生まれていることは大変喜ばしいことですね。つまるところ、伝統文化を残すために僕らが目指すべきビジョンは、利益を独占することではなく、地域社会における『富の分散』にあると思っています。」

      地元・有松はもちろん、名古屋の伝統産業の発展を願う村瀬さんが温めてきたユニークなプロジェクトがあります。

      「名古屋市が主催する『Creation as DIALOGUE』とは、私が統括コーディネーターとして昨年から動いている3カ年のプロジェクトです。

      このプロジェクトは、グローバルで活躍するデザイナーと名古屋の伝統産業事業者が一緒にものづくりをすることで新しい価値の創出を目指すものです。

      間もなくパリで作品が発表される予定なので楽しみにしていてください。」

      『Creation as DIALOGUE』の詳細はこちら(外部サイトへ移動します)https://www.city.nagoya.jp/keizai/page/0000143136.html

      パリでの展示会情報はこちら(外部サイトへ移動します)
      http://www.creation-as-dialogue.jp/

      村瀬さんが海外で育んできた伝統産業を守るための取り組みは、思わぬ形で化学反応を起こし、地域社会への貢献につながる画期的なプロジェクトとして、多くの期待が寄せられています。

      「共存共栄の未来」を目指す理念のもと、海外と日本、アートとデザイン、文化とビジネス、新しい視点を掛け合わせた取り組みで、伝統文化の継承を志す村瀬さんの挑戦は続きます。