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業種間の垣根を超えて、尾州の服とテキスタイルを全国へ

業種間の垣根を超えて、尾州の服とテキスタイルを全国へ

愛知県一宮市

    2022.09.13 (Tue)

    目次

      「尾州」は毛織物の国内生産量の約70%を占めるといわれる日本一の生産地。愛知県尾張西部から岐阜県西濃にかけての地域は古くから「尾州」と呼ばれ、糸、織物、縫製に至るまでのさまざまな工程を地域の中で分業・協業しながら行ってきました。誇るべき尾州の産業を「何とかしたい」と有志とともに奔走する、彦坂雄大さんにお話をうかがいました。

      日本の好景気を支えた尾州の織物

      1950年代、朝鮮戦争によってもたらされた特需景気は、愛知県一宮市を中心とした尾州を繊維の一大産地へと発展させました。中でもウールは上質で、イタリアのビエラ、イギリスのハダーズフィールドと並んで世界三大毛織産地と呼ばれたほどです。
      広大な濃尾平野を見渡すと山型が連なったようなノコギリ屋根の建物の大きな工場があちこちに建ち、自動織機が生地を織り上げる「ガッチャンガッチャン」という音が聞こえていたそうです。

      お話をうかがった彦坂さんは、一宮市の繊維会社・大鹿株式会社に勤める会社員です。学生時代からアパレルショップに勤め、販売員として大好きな服と携わってきましたが、27歳のときに「売場ではなく、生産者に近い側で服の仕事をやりたい」と一念発起。現在の職場に転職しました。

      老舗の繊維会社でスーツ卸しの担当となった彦坂さん。取引先の工場を数々訪問しながら、尾州の織物についての知識に触れ、見聞を広めていきました。

      「僕は岐阜県可児市に生まれ育ち、正直、転職するまで“尾州”なんて聞いたこともなかったんです。国産ウールはほぼ尾州が産地だというのに、それさえ知らずに販売していたんですよね。業務の一環で初めて毛織工場にうかがったとき、衝撃を受けました。工場のたたずまい、年季の入った織機が刻む規則正しいリズム、そして職人さんたちのモノづくりの姿勢、そのすべてが格好良くて。尾州の織物のクオリティーはこういうところで生まれているんだと、どんどん引き込まれていきました。」

      尾州の織物は製糸、織物、縫製…と工程ごとに異なる企業が受け持ち、分業・協業で生地が作られています。他の産地では真似のできない高品質は、それぞれの企業が切磋琢磨し合いながら磨かれてきたものなのです。
      しかし時代はファストファッションが台頭し、外国製の製品に押され、尾州の繊維産業のニーズは下降線の一途に。彦坂さんは尾州の織物の魅力にのめり込んでいく一方で、自身の将来を考えたといいます。

      「仮に僕が仕事を辞めようが、取引先の職人さんは変わらず淡々と現場の仕事に向き合っているに違いないんです。年齢的に人生の大先輩な方々が、すごくハードにモノづくりに日々臨んでいて、また良いモノを作るんですよね。職人さんたちには作り続けてほしいと思いながら、自分だけ逃げ出すのかと思ったんです。廃業に追い込まれる機屋さんも出てくる中で、産地がなくなったら自分の仕事もなくなるという焦りもありました。それでも尾州の織物も職人さんの仕事も、本当になくしたくないなら何かしなければ、と思ったんです。」

      産地のためにできることを探して

      尾州の織物は昔ながらの低速織機を使い、糸に負担をかけずにゆっくりと織られているのが特徴です。ふっくらと柔らかで丈夫なウール生地は世界的にも高く評価されており、さまざまなブランドからコート生地やジャケット生地の生産を受注しています。

      「どんなに生地が認められていても、“ブランド”を作らないと話にならないと思いました。岡山ならデニム、今治ならタオルと、産地の顔になるアイテムがあります。そこで、勤務先で尾州のファクトリーブランドのプロジェクトを立ち上げました。尾州のウールの特色であり弱点は高級な生地であること。高いから買わないでは困りますから、そこの突破口を開けなければと考え、『尾州は高いけどモノがいい』と感じてもらえる品づくりを目指しました。」

      2016年、こうして彦坂さんの勤める会社から尾州を看板にしたブランド「blanket」が誕生しました。商品第一号のメルトンコートは、工程の多くがメイドイン尾州。彦坂さんは、自身が愛してやまないたくさんの工場や職人さんに仕事を創ることができました。販売にあたっては名古屋の百貨店などから声がかかり、POP-UPイベントに出展。それがメディアにも取り上げられ、尾州のウールが周知される一歩を踏み出したのです。

      「尾州をもっと広めたい!」若手が垣根を超えて集結

      尾州の繊維業界を盛り上げようと思っているのは、彦坂さんだけではありません。
      2019年、一宮市で開催されたイベントで尾州の繊維企業が出店する機会がありました。そこで複数の企業のまとめ役を任された彦坂さんは、自分以上に熱い思いを持った若手社員たちと出会います。

      「尾州産の生地をもっと広めたいというその思いは誰もが同じでした。広めるために売場と生産者の距離を少しでも縮めようと、生地そのものではなく服として消費者に直接届けられたらと考えました。売る人も必要だということです。そこで7社の企業が参加するかたちで自主的な産地活性サークル『尾州のカレント』を立ち上げました。代表である私も含め全員会社員ですから、業務時間外に活動しています。」

      カレントとは水の流れを意味する言葉で、繊維産業の分業や流通を表しています。「尾州」への思いを共通項に企業の枠を飛び越え、これまでつながりのなかった企業の社員が集まることで生まれた良い“流れ”が斬新なアイデアを創出しました。

      高級毛織企業に勤務する社員から出た「うちの生地は高級で着たことがなくて」のひと言をきっかけに、価格を2万円以下に押さえた高級ウール製のパンツを開発。「まかない服」という名称で商品化され、工場でその生地を織る職人さんも愛用しているそうです。

      「結局、生地は最後に服になって売れたかどうかが一番大事で、それがないと次の仕事が来ないんです。売る人と作る人がバランスを保っていないと産地は継続できませんから。」
      彦坂さんの飾らない真っ直ぐな言葉には、「尾州をどうにかしないと」という思いがあふれます。

      「新見本工場」のスタート

      ー産地の中で接点を作り、産地の中でまず自分たちで着ていこう。
      そんな思いで「尾州のカレント」として活動する中、運命的な出会いを果たします。

      「百貨店での催事に木玉毛織さんも出店していたんです。明治期から使用されているガラ紡という紡績機を使っている有名な機屋さんで、製造された糸でハンカチやマフラーを作って販売されていました。尾州を象徴する糸でしっかりとブランディングされている企業があったことがうれしかったですね。木玉さんの工場が経営縮小で使っていない場所があると聞いて貸してほしいと名乗りを上げ、『尾州のカレント』の発信ベースができました。」

      折しもその場所は、見本工場の跡。2021年春、「新見本工場」がスタートし、産地からブランドを発信できる場が整いました。

      尾州のウールの魅力を百貨店から

      松坂屋名古屋店では尾州のカレントとコラボレーションし、2022年9月28日(水)→10月3日(月)に第2回目となる「びしゅう百貨店」を開催します。イベントを担当する松坂屋名古屋店の担当・野田は、初回の手応えを踏まえて熱い思いを語ります。

      「尾州のカレント関連企業の取扱商品をはじめて見たとき、百貨店並みのクオリティーを持ちながら、なぜ周知されていないのかと思いました。私ひとりでは広められませんから、賛同する方や一宮出身の仲間を社内から集い、『びしゅうを広め隊』というチームを結成し催事を企画しています。このイベントでは、尾州の生地や服を職人やデザイナーが自ら販売してくれます。今回はお子様用のセレモニー服もご用意しました。ご家族揃って、尾州ウールの魅力を存分に感じていただけたらと思います。」(野田)

      「尾州のカレントは産地の魅力を広めることが目標ですから、いずれなくなることが目標です。尾州のウールが全国に広まり、同時に職人さんや工場も発展していくために、小さなきっかけをつくり続けたいと思います。」(彦坂さん)