STORY
歴史と変革。萩大島の漁師と一人の女性による新しい漁業への挑戦

歴史と変革。萩大島の漁師と一人の女性による新しい漁業への挑戦

山口県萩大島

    2022.12.28 (Wed)

    目次

      山口県萩市の離島、萩大島の漁師たちと、たまたま萩にやってきた1人の女性が起こした漁業の革命。ドラマ『ファーストペンギン』の題材ともなった「萩大島船団丸」の取り組みは、いわゆる6次産業化の代表格とも、新しいローカルの在り方とも賞されています。日本海の小さな離島で現在も続く挑戦について、萩大島船団丸の漁師、長岡秀洋さんと代表を務める坪内知佳さんにお話をうかがいました。

      「萩大島の漁業を守りたい」、全てはそこから始まった。

      山口県萩市から北西に約8キロメートル、日本海に浮かぶ大島(通称「萩大島」)は住民の半分以上が漁業に携わる漁師の島。萩大島の漁師の家に生まれ育った長岡さんは、「40年前の萩市内の居酒屋は萩大島の漁師で賑わっていた」と当時の様子を振り返ります。山口県の離島の中でもトップクラスの漁獲量を誇る萩大島でしたが、ピーク時と比較するとその漁獲量は激減。長岡さんが海の変化に気づいたのは今から約18年前のことだったそうです。

      長岡:「漁獲量がどんどん減り、これまで獲れていた魚が獲れなくなった。海がだんだん変わっている、これは様子がおかしいなと。いずれ萩大島の漁業はダメになると思いました。」

      「このままでは漁業では食えなくなる」、焦りを募らせる長岡さんの前に救世主のごとく現れたのが坪内さんでした。

      長岡:「私たち漁師ができるのは漁だけ。知っているのは海と魚のことばかり。何かを変えないといけないのはわかっているが、その『何か』がわからない。第三者の知恵を借りるしかないと思い、坪内に話を持ちかけました。」

      坪内:「インターネットどころか、パソコンもつなげられない彼らですが、『島の漁業を変えたい』という強い意志だけは感じました。私は私で、大学を中退し、結婚にも失敗してシングルマザーになり…と、人生に迷っていたものですから、彼らとともに挑戦することで、私でも生きた何かを残せるかもしれないと思ったんです。」

      タブーとされてきた「自家出荷」に挑む

      長岡さんら漁師と坪内さんがともに動き始めてから間もなくの頃、農林水産省が「6次産業化・地産地消法」に基づく認定事業者申請を受け付けるという情報が届きます。「6次産業化」とは、農林漁業などの1次産業が、食品加工(2次産業)や流通・販売(3次産業)にも取り組み、生産物の付加価値を高めて、農山漁村の経済を豊かにしていこうとする取り組みです。

      坪内:「実は、長岡たちは自家出荷を目指して漁協に提案し、受け入れてもらえなかった過去があります。6次産業化は、生産者が価格を決定し、消費者と直接取引することで、生産物をより高い値段で売り、利益を上げていくのが最もわかりやすいビジネスモデル。これはまさに『自家出荷』、つまり長岡たちがやろうとしていたことです。」

      そこで長岡さんや坪内さんは「萩大島船団丸」を結成し、改めてこれまでタブーとされてきた「自家出荷」の実現を目指します。地元水産関係者への説明や6次産業化に向けた農林水産省への「総合事業計画」申請など、実現に向けた道のりは決して平坦ではありませんでしたが、長岡さんや坪内さんの危機意識が徐々に多くの人の理解を得られるようになっていきます。

      長岡:「(反対意見も沢山ある中で)そんな状況でも前に進んでいけたのは『従来通りのやり方では、萩大島や萩はおろか、全国の漁業が衰退してしまう。みんなも本当はわかっているんでしょう?』という坪内の言葉でした。」

      そして2011年。農林水産省の事業認定を受けた後、当時、難しいとされていた鮮魚を船から飲食店や個人に直接発送する「自家出荷」の商品として『鮮魚BOX(現在の粋粋BOX)』の提供が始まりました。しかし、その後も苦難は続きます。今度は船団丸の仲間たちの不満が噴出してしまうのです。

      消費者の声を聞くことで変わっていった漁師たち

      長岡:「これまでの漁師の仕事は、獲ってきた魚を市場に揚げればそれで終わり。しかし、これからはそうはいかない。自分たちで魚を箱詰めし、梱包し、伝票を書いて配送しないといけません。しかも、顧客対応も漁師たちの仕事です。ほかの漁師はさっさと家に帰っていくのに、萩大島船団丸の漁師だけは残って作業が続く。体力的な疲労だけでなく、慣れない作業にストレスも溜まっていきました。」

      一方で、漁師たちが直接消費者の声を聞くことは、これまでにない経験でした。「おいしかったよ」「すごくいいお魚だったよ」、そんな声に漁師たちはモチベーションを高めていきました。もちろん、さまざまな要望やクレームの対応もします。消費者とのコミュニケーションを深めるにつれ、いつの間にか萩大島船団丸の漁師たちは、「市場に魚を揚げるだけの漁師」ではなく、「お届けする消費者のことまでを考える漁師」へと成長していました。そして、萩大島船団丸の取り組みは漁業における6次産業化の代表モデルとして挙げられるようになりました。

      長岡:「漁業の6次産業化に興味を持った若者が来てくれるようになった。以前の漁師はいわゆる『荒くれ者』ばかりだったが、今ではちゃんと勉強してきた真面目な若者がともに頑張ってくれている。中にはITに強い人材もいて、漁業に少しずつ明るい光が差してきたのを感じます。」

      100年後の漁村の美しい景色を守るために

      2014年、坪内さんは萩大島船団丸を株式会社GHIBLIとして法人化し、鮮魚・野菜販売事業部、観光事業部、コンサルティング事業部、和パール販売事業部、和(アート・芸術)事業部の5つの事業を展開しています。

      坪内:「GHIBLIは、海からいただく命を消費者のみなさまに最良の形でお届けし、100年後の漁村の美しい景色を守るため、自然と共存することを目指す会社。6次産業化した漁業プロジェクト『船団丸』を中心にまだまだいろんなことに挑戦したいですが、1次産業の現場を良くするための組織であり続けることだけは一貫していきたい。なぜなら1次産業が産業のベースを作り、地方創生のカギを握っていると考えているからです。」

      現在、萩大島船団丸は、かつて彼らより圧倒的に業績の良かった船団に追いつき、追い越す勢いです。萩大島船団丸の取り組みに触発される形で、近隣ではさまざまな見直しがなされ、萩大島以外の地域の漁業者たちの生活環境も少しずつですが向上してきました。また、萩市に大きな経済効果をもたらしているのも間違いないようです。

      長岡:「坪内は12年前から『15年先に萩大島が元気に存続するために、雇用を創出しないといけない。そのために6次産業化を今からコツコツと進めなきゃいけないんだ』と頻繁に言っていました。当時の私は『そんな大風呂敷を広げて…』と思っていましたが、今現在、萩大島には立派な加工場があり、シケの日も船員たちには仕事があり、社員の待遇も徐々に良くなり、若いIターン者が次々と来るようになりました。悔しいですが、坪内の言うことに間違いはなかったです(笑)。」

      坪内:「萩大島船団丸、GHIBLIは、今後、萩市を担う企業になっていくと思います。そうならないといけないと思っています。私が萩市に移り住んでもう15年。萩市は身内をものすごく大事にする文化があり、今では私も身内の1人として受け入れてもらえていると感じています。」

      守るものと変えるもの。保守が革新を生む萩の文化

      日本海の小さな離島から始まった改革は、やがて日本の漁業に大きなインパクトを与えていきました。萩という街にはそれほどに革新的な風土があるのでしょうか。

      坪内:「真逆ですね。萩の人はとにかく保守的。『絶対に変わらないぞ』という人たちが集まったまち。だからこそ、吉田松陰先生も、あまりにも保守的な萩の人を見て『これじゃまずい』って強烈に思ったのではないでしょうか? 強固な保守社会だからこそ、大きな変化をのぞむ人が生まれるということなのかもしれません。」

      萩市の吉田松陰像。吉田松陰は幕末の長州藩士、思想家、教育者。明治維新の精神的指導者として「松下村塾」で志士たちに大きな影響を与えた。

      保守的な文化の中で、未来のために邁進する坪内さんや長岡さんら萩大島の漁師たちは、ドラマ『ファーストペンギン』や、その題材となった坪内さんの著作で描かれる奮闘ぶりそのままのようです。そして、その革新は、幕末の時代から受け継がれる萩の歴史そのものにも感じます。お2人にとっては、萩や萩大島はどんな街なのでしょうか。

      坪内:「萩は、海と山しかないすごく狭いまちですけど、人間味に溢れています。それに、坂本竜馬や吉田松陰が座ったかもしれない石が残っていたり、街の景観とかも当時のままだったり、変わらないものが沢山あることにロマンを感じるし、その歴史は大事にしていかなければならないものだと思います。」

      長岡:「萩大島はとってもいい島。大好きな島です。私は海を見ているだけでも落ち着くんですよ。毎日のように海を見ています。海は毎日表情を変えます。荒れていたり、凪になったり。沈んでいく太陽も美しい。ただ、本当に何もない。でも、何もないのが私にとっては最高なんです。」

      萩市菊ヶ浜からみた大島など六島諸島

      萩城下町

      萩の夜景

      現在も、挑戦を続けるお二人ですが、そのエネルギーの源泉は、やはり萩という郷土への愛であり、漁師という仕事への誇りであるように思えます。そして、その内には熱い想いを秘めています。

      坪内:「日本の漁業を変えるために、高い志を持って漁師を目指す人を増やしたい。いずれは全国の漁師や漁業関係者が連携し、気候変動や海洋汚染を含む環境破壊などに立ち向かっていきたいですね。」

      長岡:「ITの分かる若者が漁師になって、漁業はどんどん変わっていきます。それでも、海は簡単じゃないんです。一歩間違えば、船が沈んだり遭難したりする。だから、海を大事に思うこと。漁師としてそれだけは忘れてはいけないし、これからも変わらない想いです。」

      変えるものと変えないこと。豊かな自然、古き良き歴史や文化を備えた萩や萩大島で、長岡さんら漁師と坪内さんが築く新しい漁業、新しいローカルの未来をこれからも見守っていきたいですね。