東京都新宿区
2023.01.17 (Tue)
目次
実はコーラを手作りできることは、知られていない事実かもしれません。近年、大小さまざまな事業者が、オリジナルレシピでコーラ作りを始めています。“クラフトコーラ”と呼ばれるこのジャンルの火付け役となったのが、新宿区下落合にある伊良(いよし)コーラ。28歳で脱サラし、誰も踏み入れたことのない市場を作ったコーラ小林さんが目指すのは、世界です。
新宿から2駅。そうは思えないほど、細い街路にところせましと住宅が並び、都心離れた下町の風情が漂います。下落合は、神田川と妙正寺川が“落ち合う”ことから、その名がついたともいわれています。
春には満開の桜の花びらを水面に落としますが、冬のこの季節は川のせせらぎが陽光を反射し、乾いた空気を柔らかく彩ります。かつては川の水を利用して、染め物業が盛んだったようです。
川沿いに並行して続くレンガの遊歩道を歩くと、アーチ状に湾曲した屋根を持つグレーのビルが街並みに馴染んでいます。ここは「伊良(いよし)コーラ」の工房。一般的なコーラとは一線を画す、手作りの“クラフトコーラ”を世に広めようと一念発起したコーラ小林さんが、祖父から受け継いだ大事な場所です。
「僕は生まれも育ちも下落合です。川沿いって昔からもの作りが発達するんですよね。ここも同じで、染めの街といわれていて、うちの暖簾(のれん)も作ってもらいました。染め物がメインの産業ですが、下流に行くと印刷工場が増えます。今はずいぶん少なくなっていますが。」
にこやかに語るのが、コーラ小林さん。手元には透明のパウチがあり、手慣れた手つきでかち割り氷を詰め、シロップを入れ、炭酸を注ぎます。薄くスライスしたレモンを添え、ミルで胡椒を一振り。「どうぞ」と出してくれたのが伊良コーラ。ストローでかく拌して全体がブラウンに混ざったら飲みごろです。
飲み口はコーラらしく、シュワッと爽快。レモン、シナモン、ナツメグ、カルダモンとスパイスが複雑に折り重なっていることが感じられます。確かにコーラなのですが、素材とスパイスの存在感が明快で、レモンやライムの果粒が甘やかな味わいの中でアクセントに。大手メーカーのそれとはまるで違います。クラフトコーラという新ジャンルを生み出せた背景には、コーラ小林さんの多彩なルーツがあるようです。
「ここは新宿区ですが、子供が多かったり工場があったり自然も豊かだったりと、風情がノイズとして都会に混ざり込んだような不思議な文化があります。ロジカルとエモーショナルの、絶妙なバランス感覚があるんですよね。」
相反する要素が混ざり合った土地に生まれ育ち、広告代理店に勤務していたコーラ小林さんのクリエイティビティが加わります。さらに、漢方薬づくりの職人であった祖父の影響がありました。
「もともとこの場所は、祖父が営む『伊良葯工(いよしやっこう)』という漢方薬工房でした。僕も手伝いをしていて、小さいころだったのでものを運ぶのを手伝う程度でしたが、もの作りへの真摯な姿勢には刺激を受けましたね。」
伊良コーラという名前も、伊良葯工の屋号を受け継いだもの。土地と経歴、家族の影響、3つのルーツがクラフトコーラという新ジャンルを生み出せた原動力だったようです。もちろん、そもそも無類の“コーラ好き”が素地にありました。
「昔からコーラが大好きでした。もともとビジネスや商売をするつもりはなく、趣味で作って、知り合いに飲ませたら美味しいと評判になって、可能性を感じたんです。」
ラーメンが好きだからお店を始めたり、ワインが好きだから醸造家になったりという筋道は想像が付きますが、「コーラを作ることを仕事にする」という発想にはなかなか至りません。その理由を、コーラ小林さんはこう分析します。
「これまで“クラフトコーラ”というジャンルがなかったのには、2つ理由があると思っています。まずコーラのレシピは企業秘密だと認識されていること。調べれば材料は判明するのですが、製法については分からない。趣味として突き詰める余地が少ないんです。あとは、そもそもコカ・コーラがじゅうぶん美味しい(笑)。」
しかし、コーラを飲み続け、オリジナルコーラまで趣味で作ってしまうコーラ小林さんには、広告代理店で培った先見の明があり、祖父譲りのクラフトマンシップが備わっていました。
「コーラの製法で煮詰める以外のことを思いついたのは、祖父の死がきっかけです。趣味としてコーラを作っていて、家族から話を聞いたり、残された道具を見たりして、バトンを繋いだ感覚です。作り方や精神性は引き継いだものの、ここで作るイメージはありませんでした。いろいろやっているうちにここに辿り着いた感覚です。」
最初はフードトラック。青山ファーマーズマーケットで出してみたところ、評判になりました。お昼のバラエティ番組で紹介され、Eコマースも始めることに。あれよあれよと事態が動き出します。
「パウチで作ってその場で飲んでもらうものでしたが、シロップ瓶詰めにして売ろうと。急いで整備して作れるようにして。」
日本各地の貴重な食材を使った「日本を、飲む。」と題した取り組みも始めました。コーラ小林さんが全国を旅し、各地でストーリーのある食材をコーラに盛り込み、“物語の語り部”としてのクラフトコーラを制作する企画です。まさに順風満帆……に見えるのは傍目からだけで、実際はそれどころではなかったといいます。
「なんとかやってきましたけど、正直この3年間は全ての歯車が合っていない感覚でした。仲卸をお願いしていたネット専業の商社が倒産して、2カ月分の売り上げが入ってこないこともありましたし、メインのメンバーが4人から2人に。流れは良くなかったんですよ。」
とはいえただ手をこまねいているわけではなく、苦境にあっても矢継ぎ早に手を打ち続けました。たとえば、ボトルではなく缶での展開。ここに、勝負を賭ける鍵があるとコーラ小林さんは考えています。
「一般的に炭酸を混ぜた状態がコーラと認識されていますから、シロップの状態は進化途中なんです。最終形態はボトルではなく缶。軽いから、世界中に販路を拡大できます。コカ・コーラは、それを100年スパンでやりました。伊良コーラも、短期間でそれをなぞっています。」
缶のボトリングは大量生産、大量消費を前提とします。その反面、“クラフト”は手作りが前提。量産性とハンドメイドという相反する要素の両立が、コーラ小林さんが現在取り組むテーマです。
「クラフトの価値と世界観を保ちつつ、多くの方に味わっていただけることがポイントです。パッカー(充填業者)さんにシロップを持ち込むケースはかなりレアなのですが、今はそこに挑戦しています。缶でも香りが損なわれないよう、抽出方法を変え、プロトタイプができたらどんどん修正していきます。新しい挑戦で自分に負荷が掛かったからこそ、道が開けた感覚です。」
クラフトビールブームに乗って、巷には「クラフト」と銘打った大手メーカーの量産品が並ぶようになりました。ブームの終焉とともに、“それ風”のものは姿を消すかもしれません。しかし「本流と亜流を隔てるものは、作り手の熱狂的なこだわりです」と意気込むコーラ小林さんが目指すのは、自分のコーラでより多くの人を幸せにすることだといいます。
「一番大事なのは、提供できた価値の総量だと思っています。他者への貢献が僕の楽しみ。目の前のことに取り組むのも大事ですが、同じリソースで多くの人を幸福にできるなら、そうしたい。アフリカは? 南米は? 北欧は? 世界中の人がどんな感想を抱いて、どんな影響を与えられるのかな。それが楽しみだし、醍醐味なんです。」
工房のほとりに流れる神田川は、両国橋の近くで隅田川と交わり、晴海運河に繋がり、やがて東京湾、太平洋へと注ぎます。小さな支流が大海原につながるように、コーラ小林さんの大望によって作られたクラフトコーラは、世界を目指しています。