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美しく、斬新。椎名切子が受け継ぐ江戸、深川の職人文化

美しく、斬新。椎名切子が受け継ぐ江戸、深川の職人文化

東京都江東区

    2023.02.28 (Tue)

    目次

      切子とサンドブラストの技法を組み合わせ、美しく繊細な模様で注目を集める「椎名切子」のガラス細工。実はここ10年ほどで生まれた新たな試みだそうです。誕生の背景には、ものづくりへの情熱と、地域への思いがありました。職人の町・深川で、そんな2つのテーマに人生を賭ける椎名隆行(しいな たかゆき)さんの挑戦に迫ります。

      清澄白河と聞けば、日本におけるサードウェーブコーヒーの中心地として目新しい印象があるかもしれません。一方、古くからの地名である深川と聞けば、やはり職人の街。江戸の風情が香ります。

      碁盤の目のように理路整然と街並みが区切られているのは、関東大震災と終戦後の整備計画のたまものだそう。いいかえれば、大半の建物がここ100年ほどのもので、その印象とは裏腹に街の造形としては比較的新しいものといえます。

      まさに温故知新。これを地で行くのが、Glass-Labです。美しく繊細な細工を施し、江戸切子に新風を巻き起こす気鋭の工房ですが、“工房”と表現するのは、ちょっと違うかもしれません。

      もともとは自社商品を作らない、ガラス加工の下請け工場

      「1950年に祖父が開いた椎名硝子加工所は、ガラスの加工業というニッチな仕事に取り組んできました。お客様はガラスの成形を行う工房やアーティストです。ですからここにガラスを成形する炉はなく、ガラスに加工を施す研磨機などがあります。ガラス加工の代表格のひとつは江戸切子ですが、これまで自社商品は作ってきませんでした。」

      こう語るのが、CEOの椎名隆行さん。切子の技術でガラスの底を平らにしたり、切断して奇麗に磨いたりする作業で、いわば製造業の裏方。特殊な大きな刃が回転し、そこに押し当てるようにして加工を行うそう。キーンという甲高い音を立てて、ガラスを真っ二つに切って磨くのは、父親の康夫さん。かつては全国に100名以上いたとされる職人も、今や10名ほどなのだとか。

      「そんな事情から、自然と仕事も集まり、おかげさまで仕事がまわっているんです。」

      不動産情報サイトでマーケティングやセールスプロモーションをやっていた経験を活かし、隆行さんが家業に戻ったのは2014年。すでに職人として腕を振るう弟の康之さんと共に、これまでの事業者向けのビジネスから、消費者向けに直接販売する展開を考えました。

      「これまで65年やってこなかったのは、ほかのことに割ける時間も人的リソースもなかったからです。そこで江戸切子の技法を用いたスリットグラスを販売してみたところ、ぜんぜん売れないんですよ(笑)。」

      その理由は、「そういったものはほかにあるから」。世にあるものを新たに作っても、注目は集まりません。求められるのは、消費者が振り向くオリジナリティー。そう考えたときに、椎名硝子加工所には活用できる技術がありました。

      切子とサンドブラスト。2つの技術の融合が、ブルーオーシャンに

      「椎名硝子の3代目は弟なのですが、サンドブラストを独学でマスターしていました。1階で作業する父の平切子、2階で作業する弟のサンドブラストの技法を組み合わせて、商品開発を進めることにしたのです。切子は切断する技術で断面を見せることしかできないのですが、サンドブラストは細かな削りの技法。組み合わせることで、作品に立体性を持たせることができるわけです。」

      回転砥石をガラスに押しつけ、溝を入れたりカットをしたりと、直線的な表現ができる切子に対し、細かな砂の粒子をガラス表面に吹き付けて、磨りガラス状の表現ができるのがサンドブラストです。

      異なる2つの技法を組み合わせて誕生した酒器は「椎名切子」と名付けられました。水を注げば屈折率が変わることで底の模様が広がり、中央の細工は眼前に迫ってくるよう。淡いガラスの色合いは鮮やかに変わり、小さなグラスのなかとは思えないほど華やかな世界が現れます。

      「これらはよく知られているガラスの特性を利用したものですが、うちの裏方の仕事を組み合わせることで唯一無二になりました。」

      康之さんはサンドブラストの精度をさらに高め、一昨年まで罫線の幅は最大0.15mmだったのものが、0.09mmまで安定して出せるように。その技術力は、取引先に「お宅の弟さんは世界レベルなんだ」といわしめるほど。このドラえもん50周年記念グラスは、底に50体のドラえもんが描かれているそうです。

      「あんまりやっている人もいないし、ブルーオーシャンかなって。」

      まさに大当たり。その2つを組み合わせて世に出すプロデュースをしているのが隆行さんが立ち上げたGlass-Labというわけです。冒頭の“工房とはちょっと違う”というのは、このこと。前職での知見が役立ったといえそうですが、思い立った背景には地元・深川に対する思いがあったと振り返ります。隆行さんはGlass-Labに加え、合同会社カツギテの代表社員として、地域振興に関するさまざまな取り組みを行っています。

      神輿の担ぎ手を増やしたい。矢継ぎ早のイベントが、人の輪を広げる

      「前職を辞めたとき、家業を通して地域のアイデンティティーである神輿の担ぎ手を増やしたいという思いがありました。神輿は数百㎏で、長時間担ぐには400~500名が必要とされています。この界隈はブルーボトルコーヒーの日本出店を皮切りに人が増えていくのはいいものの、いかんせん新しい人たちとの接点が作れない。」

      そこで椎名さんは、「コウトーク」と題し、地域の人と御神輿をつなぐトークイベントを企画しました。

      「御神輿の総代さんは古くからの顔です。そんな総代さん1名と街で活動する3名をスピーカーとするイベントを行い、仕事の話を聞きながらお酒を飲むという趣旨にしたところ、1年で500名もの方との接点を作れました。」

      2017年には、ものづくりの街、深川を盛り上げる「深川ヒトトナリ」というイベントも企画。これは御徒町と蔵前の地場産業を紹介する「モノマチ」というイベントから着想を得たものでした。

      「それもうまくいって、アートパラ深川というイベントにつながりました。」

      アートパラ深川は、商店街や神社仏閣、街中に数百点ならべたアートに触れる芸術祭。ハンディキャップの垣根を越えて、まだ世の中に知られていないアーティストに光をあてる目的があったそう。

      「そんな流れから、地元の10名の社長と共同で、『NAGAYA清澄白河』というシェアオフィスを作りました。これまでイベントで集まった地域の人たちの共通の悩みが、働く場所がないということだったのです。」

      さらにシェアオフィスを運営していくうち、活動拠点としての「地元」を複数もちながら、各拠点をつなぐ「トランスローカル」な暮らし方・働き方を実践する人が増えてきたといいます。

      「やれることはまだまだある」。それを受け止める深川という街のポテンシャル

      「僕は深川から出たことがないので、ほかの場所に地元のような場所を作りたいと思ったんです。合同会社カツギテのメンバーにはダブルローカルとして、新潟にも拠点がある仲間がいます。居住地の垣根を越えて関係人口を作れたら、お互いの場所にとってメリットがありますからね。意図せずそういう輪が広がってきた感じでしょうか。」

      と語り、「枠のなかでやれることをやっているだけ」と笑いますが、傍目には初志貫徹のように見えます。仕事と地域の可能性を広げることを志し、実現しているわけですから。そしてもちろん、これからやりたいこともあります。

      「たとえば、ガラスの加工はまだまだまだ可能性があります。プラセオジムというレアメタルを入れると黄色に発色します。そして金を入れると赤になる。また加工技術ひとつで、いろんなことができる。現代ならではのアイデアで、昔からの技術を進化させたいんです。」

      すでに研究され尽くした分野に見えても、まだまだ可能性は眠っているということ。地域についても同じようなことがいえそうです。

      「仕事と地域貢献が相互に作用し合っている感覚です。仲間と一緒にいろんなことをやっていますが、この関係は決してライバルではなく組合。町が盛り上がれば人が来て、地元の事業者にも利点があるわけです。やはり380年続く神輿を次の世代にバトンタッチしないといけない。500年、1000年と続く祭りにしたい。そのためにやれることはまだまだあるし、何ひとつムダにはできません。」

      朝早くに工場にお邪魔して、取材を終えるころには、すっかり町が目覚めていました。どこかで機械が回る音がする一方、方々のカフェから焙煎されたコーヒー豆の香ばしい香りが漂います。夏の祭りの時期に訪れれば、鉢巻きを絞めた旦那衆の威勢のよいかけ声と熱気にあふれていることでしょう。深川という町の懐の深さと可能性には、舌を巻くばかりです。