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「獺祭」を超える「獺祭」を。ニューヨークで挑む酒造り。

「獺祭」を超える「獺祭」を。ニューヨークで挑む酒造り。

山口県岩国市

    2023.02.28 (Tue)

    目次

      国内はもちろん、世界中に多くのファンを抱える日本酒「獺祭」。この「獺祭」を誕生させた旭酒造は、山口県岩国市の山間にある自然豊かな地域「獺越(おそごえ)」にあります。山口県を飛び出して東京という大市場で「獺祭」をヒットさせた旭酒造は、現在、ニューヨークでの酒造りに向けて着々と準備を進めているとか。旭酒造の桜井一宏社長に、世界を目指す、その想いをうかがいました。

      地方の小さな酒蔵を成功へと導いた酒「獺祭」。

      旭酒造の創業は1770年。1989年に新ブランド「獺祭」を立ち上げるまで、200年以上にわたって銘柄「旭富士」を造っていました。

      「獺祭」以前は、山口県東部のごく限られたエリアのみを商圏とする酒蔵でしたが、人口の減少に伴い、売りあげも年々減少。次第に生き残るための要となる地元の基盤が揺らいでいったそうです。

      「縮小し続ける市場を抜け出さねばと、私の父である先代は東京進出を決めました。」と桜井社長。先代は、どんなに品質を高めても、どれだけ力を入れても、「旭富士」のままでは売れない酒のイメージを引きずってしまうと、東京市場で戦っていく中で新しいブランドを立ち上げることに。そうして誕生したブランドこそが「獺祭」でした。

      「獺祭」という名の一文字「獺」は、酒蔵のある「獺越」から取ったもの。

      「東京に進出するなら、地元を背負っていきたい、そんな想いから『獺祭』というブランド名にしました。獺越は『獺祭』の生まれた場所。ということは、私たちの産みの親であるようなもの。でも大事だからこそ、執着し過ぎてもいけないと思っています。もっといい酒にするためには、世界に出て勝負しないといけない。国を背負いつつ世界に挑む、オリンピアンと同じですね。」

      旭酒造の酒造りは、常に世界に照準を合わせ、昨日より今日、今日より明日、明日よりは明後日と、日々おいしさを追求するもの。「獺越で積み重ねたものが、『獺祭』の味を支えている。」という桜井社長の言葉からは地域への愛と感謝が伝わってきました。

      地域の人々を勇気づける復興のシンボル「久杉橋」。

      旭酒造の地域愛を象徴するものの1つとして、2022年7月に竣工した、旭酒造の本社と獺祭ストア本社蔵とをつなぐ久杉橋(くすぎばし)があります。この橋をデザインしたのは、獺祭ストア本社蔵と獺祭ストア銀座のデザインも手がけた隈研吾氏。国立競技場をデザインした日本を代表する建築家です。

      山口県が構築した旧久杉橋は、2018年7月の西日本大豪雨で被災し崩壊。県が原形復旧を断念し新たな橋を架ける計画を立てていることを知った旭酒造が、地域の自治会とともに復興のシンボルとなる橋の構築を県に要望した結果、現在の久杉橋の建築に至りました。

      「きっかけは災害を知った隈先生が『何かできることはないか』と申し出てくれたこと。そこで思いついたのが久杉橋でした。ただ再建するだけでなく、復興のシンボルとなるような橋を架ければ、地域の方々を勇気づけられるはずと考えました。」

      斬新ながら周辺の風景に溶け込むよう設計されたなだらかな曲線を描く新しい久杉橋には、山口県産だけでなく、全国各地にある「獺祭」を醸すための酒米、山田錦の生産地から取り寄せた杉が使われています。

      「日本食のおとも」としてではなく、
      日本酒そのものの文化を世界に根づかせたい。

      常に品質の向上を目指し続ける旭酒造の酒造りは、その工程で得られるすべての情報をデータ化し、徹底的に管理しているのが特徴です。また、一般的な酒蔵には杜氏がいますが、旭酒造には杜氏がいません。ただ、それは杜氏の業をデータで置き換える、合理化やスマートファクトリーの様な考え方とは違います。精米、洗米、蒸米、麹づくり、発酵、絞りといった工程ごとに複数の蔵人が酒造りに加わっています。その人数は現在176人。これは酒造りをする人数としては日本で一番です。彼らが酒造りの一つひとつに手間をかけ、その上で収集・分析したデータを基に、各々がプロフェッショナルとして持ち場を担当します。つまり、杜氏の経験や勘を超え、現代だからこそできる酒造りの進化を目指しているということです。

      「私たちは常においしい酒を目指していますが、それは同じ味を造り続けることではありません。なぜなら同じ山田錦でも産地や収穫年度によって品質が異なり、いくら分析したデータがあったとしても、二度と同じ酒を醸すことはできないんです。分析の結果をフィードバックし、微調整を繰り返すことでおいしい『獺祭』に行き着きます。それほど日本酒造りは繊細で、奥深いのです。」

      データや分析を合理化のためではなく、品質の向上に特化して使用していくことで醸された『獺祭』は、華やかに立つ香りと芳醇な味、全体を引き締める程よい酸味のバランスのよさ、そして、爽やかな後口と長く続く余韻が特徴です。そんな『獺祭』の味わいは世界的にも評価され、フランス料理界の巨匠、故ジョエル・ロブションも唸らせたほど。

      2023年4月、ニューヨークの酒蔵が完成予定。
      「獺祭」を超える「獺祭」づくりに海外で挑戦。

      現在、旭酒造はニューヨークで酒蔵の建設を進めており、完成まであとわずかに迫っています。桜井社長いわく、「これまでの挑戦が、また次の挑戦の扉を開いた」のだそう。

      「きっかけを作ってくださったのは、ニューヨークにある世界最大の料理大学、CIA(カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ)です。近年の日本食ブームにより、彼らにとって日本食が無視できない存在となり、その流れで日本酒も学ばねばならなくなったのだとか。そこで、本物を学ばせるために、近くに酒蔵をつくって欲しいという話が舞い込んで来たのです。」

      数ある酒蔵の中から旭酒造が選ばれた理由を問うと、「CIAの幹部に『獺祭』を知っている、『この酒蔵ならば』と言ってくれる人が多かったから」という答えが返ってきました。これは、これまでの海外での取り組みが実を結び、『獺祭』が世界に通じる酒の1つになったという証でもあります。

      そんな期待を受けて始まるニューヨークでの酒造りですが、ただ単に現地工場を設けるというような考えではありません。目指すのは日本と同様、とにかくおいしい日本酒を造ることなのだそう。そして、醸すのももちろん『獺祭』です。桜井社長は、ニューヨークの人たちの嗜好に寄せたり、アメリカの料理に合う酒ではなく、ニューヨークの環境の中で出来うる最高の『獺祭』を生み出す、そして日本の「獺祭」を超す品質をつくるのが目標だと話してくださいました。

      ニューヨークでつくる『獺祭』の商品名は『DASSAI BLUE』。「本家を超えて欲しい」という願いを込め、弟子が師より優っていることを例えることわざ「青は藍より出でて藍より青し」から名付けられたそうです。そんな『獺祭』を超える『獺祭』を醸すために、すでに3名のスタッフが現地入りを果たしています。

      「現地入りしたスタッフは蔵長と元蔵長に加え、瓶詰などの工程のスペシャリストと、エリート中のエリート。3人がそろえば間違いなくおいしい酒がつくれるというメンバーです。」と桜井社長。酒蔵が完成する4月から酒造りを始め、9月には世に出しても恥ずかしくない『DASSAI BLUE』がお披露目できる計算なのだとか。ちなみに酒蔵のオープニングパーティーをすでに9月23日で予定しているそうです。

      アメリカのアーカンソー州では、すでに山田錦の生産を始めており、実験的に栽培したものは、思いのほかいい仕上がりだったとか。しばらくの間は日本から精米した山田錦も送るそうですが、いずれはアメリカ産の山田錦のみで『DASSAI BLUE』を醸します。

      「『DASSAI BLUE』が成功すれば、現地での雇用が増やせ、地域の農業も潤う。さらにCIAがあるエリアは『食の都』を目指しているので、『DASSAI BLUE』目当ての観光客が増えれば、観光地としての雇用も見込めます。『獺祭』の生みの親である獺越を大事にするように、私たちはニューヨークも大事にしていきたいので、そのためにも絶対に『獺祭』を超える酒を醸したいですね。」

      ニューヨークの酒蔵の構造は、獺越にある酒蔵とほぼ同じで、瓶詰めのラインなどが若干違う程度だそう。そのため、これまで培ってきた酒造りの技術、データや分析を基に品質を検証し進化するし続ける酒造りのスタイルが、遺憾無く発揮できるのだとか。

      「このチャンスは負け組だった旭酒造が、東京や海外に必死になって販路を開拓してきたからこそいただけたもの。挑戦の先に、さらなる挑戦の扉が待っている。こんなドラマチックな展開が想像できたでしょうか?」

      現地の人に本物の酒と本物の酒造りを伝えるためにと始まったニューヨークの酒蔵づくりですが、「今はただ面白くて走っているという感覚」と桜井社長。『DASSAI BLUE』の完成が待ち遠しくてたまらないご様子でした。

      ニューヨークの次は宇宙!? 挑戦はまだまだ続く。

      インタビューの最後に、ニューヨークでの成功の先には何を目指すのかを聞いてみました。ニューヨークで『DASSAI BLUE』以外の酒を醸すのか、全く異なる国に酒蔵をつくるのか…。しかし、返ってきたのはそんな予想を遥かに飛び越えた答えでした。

      「次は月。月でつくった日本酒を飲んでみたくないですか?(笑)」

      世界の『獺祭』から宇宙の『獺祭』へ。こんな自由な発想が『獺祭』を高く高く羽ばたかせているのかもしれません。桜井社長、そして旭酒造の挑戦はこの先もまだまだ続きそうです。