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美大を出て、迷わずこの道へ。女性職人が復活させた「江戸手描き」鯉のぼり

美大を出て、迷わずこの道へ。女性職人が復活させた「江戸手描き」鯉のぼり

千葉県市川市

    2023.04.19 (Wed)

    目次

      5月5日は端午の節句。江戸の行事として広がった鯉のぼりは、やがて日本中の空に舞うようになりました。時代を経て、生活様式の変化に伴い需要が減少する中、江戸時代の手法である「江戸手描き」を現代に復興させたのが、東京に本拠を置く秀光人形工房の“三代目金龍”こと金田鈴美さん。廃れつつある江戸の文化を蘇らせた、女性職人の技が青空に舞います。

      取材に訪れたのは3月の雨が降る日。春の雨を境に桜が咲き、葉桜を横目にひと月ほど経てば、5月の節句です。男の子のいる家庭には、青空を背景に鯉のぼりが泳ぐ季節。今日広く知られる鯉のぼりは、もともとは江戸の文化です。かつては職人による手描きが多くありましたが、需要が減った昨今は、化学染料による型染めが主流となりました。

      染料を乗せた筆で描く、色鮮やかな鯉のぼり

      秀光人形工房の鯉のぼりは千葉県市川市で作られており、今では珍しくなった江戸手描きの鯉のぼりが作られています。現在ここで腕を振るうのが、3代目の“三代目金龍”を名乗る金田鈴美さん。この日も工房で筆を進めます。

      「染料は難しくて、にじむと商品としては成り立たないんです。鯉のぼりは雨風に晒されますから、にじんだり擦れたりしないように強い染料を使います。調合はとくに難しくて、布の中に水分が含まれるため、日によって染まり方が違うんです。毎日必ず検証して作業するようにしています。」

      描くというより、筆を押しつけて繊維に定着させるのが染め物の描き方。染料も自分で調合します。色の粒を染料に溶かし、豆を煮だしたタンパク質を配合、定着性を高めます。基本的に調色はしないそうで、それは色を混ぜるほどくすんでしまうから。大空にたなびく鯉のぼりは、「色鮮やかなものに限ります」と金田さん。

      美大出身。鯉のぼりへの情熱から、迷うことなく職人の道へ

      手描き鯉のぼりは、それぞれに個性が備わり、筆の線跡が残るのが特徴です。迷いなく筆を入れているのは、金田さんに備わった美術スキルが存分に発揮されているから。もともと美術大学の出身です。

      「中高から美術学校で、美大では彫刻を専攻していましたが、美術の基礎を学べたのは大きかったですね。修行中には本物の鯉を見てデッサンをしたりも。うちの鯉はデフォルメされていますが、実際の鯉を描くことで破綻せず、実際を解ったうえでやるのは大きいんです。」

      ※こちらは型染め鯉のぼり

      戦後鯉のぼり文化を復興し、江戸手描き鯉のぼりを確立した初代と、型染め鯉のぼりの職人として今も一緒に仕事をする父親の背中を見てきた金田さんにとって、この世界に入ることには何も抵抗がありませんでした。それどころか、率先して門をくぐったのは、鯉のぼりへの情熱を抱いていたから。

      「子供のころから、職人に囲まれて育ったので、将来は自分も何か作るんだろうなと思っていました。鯉のぼりに決めたのは、単純に好きだからです。だって空に大きい魚が泳いでいるのって、愉快じゃないですか? いろいろ学んできましたが、鯉のぼり以外は考えられませんでした。」

      手描きの復刻は、大好きな「川尻の鯉のぼり」と共に

      地域性や作り手によって、鯉のぼりは姿や表情が異なりますが、ぽってりとかわいらしい川尻の鯉のぼりの顔が一番好きだといいます。かくして、筆をとることを志した金田さんが、職人として最初に手を付けたのは、失われた技術の復刻です。

      「初代がもともと手描きをやっていましたが、当時の作品は残っていませんでした。ただ、失敗作や初代の手による型染め用の型は残っていたんです。それを見るとおおよそのことはわかりますから、コツコツと復元作業から始めました。」

      小さなものから大きなものまで。時代に即した鯉のぼりを

      古い文化を蘇らせる一方、時代に即した柔軟性を備えていることも、金田さんの仕事の特徴かもしれません。

      「もともと鯉のぼりは赤と黒しかありませんでしたが、紫のような華やかな色は初代が作りました。童謡にはお父さんや子供しか出てきませんが、高度成長期で女性の社会参加があることを背景に、オリンピックにカラフルな旗が上がるのを見て、色とりどりの鯉のぼりを作ってみたところ、評判を呼びました。」

      技術に加えて創造性も受け継いだ金田さんは、ラインアップも拡大。小さいものは1メートルほどのものからあり、ベランダや屋内でも飾れます。これらは金田さんが始めたものだとか。

      • 実際に室内で飾った様子。子供の目線にもちょうどよく、場所を選ばず飾れるのはうれしい。(編集部自宅にて撮影)

      • 実際に室内で飾った様子。子供の目線にもちょうどよく、場所を選ばず飾れるのはうれしい。(編集部自宅にて撮影)

      こだわるのは技量がわかる吹き流しと、伝統の愛らしいフォルム

      また、技法にもアレンジが。当て書きに使う青い線は、なんとフリクションボールペン。樹脂などで擦ると消せる特殊インクを使った、お馴染みの汎用品です。もともと熱を加えると落ちる「あおばな液」という染料を使っていたそうですが、使い勝手の勝る新技術を取り入れたそう。

      「もともと鯉のぼりは、男の子が生まれたということを神様にお伝えするためにあげるもの。多少技法は変えましたが、鯉を育てるような真心で取り組んでいます。」

      ちなみに、金田さんが一番心を込めて作るのは吹き流しと呼ばれるもので、鯉のぼりの一番上に付く装飾です。家紋や名前を入れたり、鯉の姿を描き入れたり、職人の技量が示せる腕の見せどころです。

      三代目金龍・金田さんが作る自慢の吹き流し

      「普段は無心で仕事をしますが、吹き流しは鯉の表情などがわかってしまう部分ですから、気合いが入りますね。初代川尻金龍からやってきた、優しくて親しみやすくて、子供が好きそうな形が一番好き。やるからにはこれを貫きたいと思います。」

      江戸から始まった鯉のぼりの文化を、次の世代の青空へ

      職人の仕事は同じものを作り続ける仕事。美術を志してきた金田さんにとって、自由に創造性を生かせる分野ではありません。しかし、そこにこそ、仕事の醍醐味があるといいます。

      「私は個人でやっているのではなく、あくまで秀光人形工房に所属する職人です。だから、多くのお客様と関わることができるんです。作って販売までして、納品後もコミュニケーションできることが、この仕事の面白さのひとつ。お客様からお写真をいただいたり、ご意見をいただくこともあります。『こういうところを気にするんだ』とか、学べるのはためになりますよね。」

      小さな声をヒントに、金田さんの仕事はより洗練さを重ねていきます。

      見事に手描き鯉のぼりを蘇らせた金田さんですが、これからに向けても強い想いがあるといいます。
      「鯉のぼりが珍しくて崇高なものではなく、誰しもの思い出にある気軽な文化であってほしいんですよね。父が型染めで私が手描きと分けているのは、両方の選択肢があって選べるようにしたいという想いがあるんです。これからもこのやり方を続けていくと思います。」

      そういえば「鯉が滝登りをして龍になる」という伝説から、新人が最初に立つ難関を示す「登竜門」という言葉が生まれました。金田さんが職人を志して13年、登竜門はとうにくぐりましたが、その姿勢は初志貫徹。

      提供:秀光人形工房

      時代に即した柔軟性、そして初代から受け継がれてきた伝統を受け継ぎ、鯉のぼりの文化を次の世代の青空へ。そこに掲げられるのは、唯一無二の江戸手描き鯉のぼり職人である、金田さんの熱い志です。