長野県下高井郡
2023.05.02 (Tue)
目次
スノースポーツと温泉の村、野沢温泉。この村の土地と気候が生み出すおいしい湧き水を使ったシングルモルトウイスキーとクラフトジンを創り出す「野沢温泉蒸留所」が2022年冬にオープンしました。豊かな自然の恵みの水を使ったクラフトジンを通して、野沢温泉の魅力や暮らしについて、野沢温泉蒸留所の八尾良太郎さんにお話をうかがいました。
長野県の北東部に位置する「野沢温泉村」。日本屈指の豪雪地帯でありながら、江戸時代初期にはすでに24軒もの宿屋があったといわれ、古くから温泉地として栄えた場所です。大正12年には野沢温泉スキークラブが発足し、「野沢温泉スキー場」が開発されたことにより、スノーリゾートとして発展しました。野沢温泉の冬は長く、ゴールデンウォークまでがスキーシーズン。今や、野沢温泉といえば「温泉とスノースポーツ」。パウダースノーが楽しめるスノーリゾートとして海外からも多くの観光客が訪れます。
そんな野沢温泉ではいま、県外や海外からの移住者が増え、新しいチャレンジが盛り上がっています。それは古き良き地域の伝統や文化とうまく溶け合い、「新しい野沢温泉」を魅せているのだといいます。
「野沢温泉ロッヂ」のオーナーである八尾良太郎さんもそのひとりです。
「もともと僕はアルペンスキーをやっていて、『野沢温泉ロッヂ』には合宿などでスキー客として来ていたんです。通っているうちに、オーナーから老朽化のためにここを閉めて壊すと聞いて。そんなのもったいなさすぎる、だったら僕にやらせてくれってお願いしたのが始まりです。」と八尾さん。
野沢温泉ロッヂは、世界的建築家ル・コルビュジエの三人の弟子のうちのひとりである建築家の吉阪隆正が手がけた建物。どんぐりのような形をしたユニークな建築は、わざわざ訪れる建築ファンも多いのだといいます。この歴史的にも貴重な建築物を守ることは運命だと感じた八尾さんは、移住をきっかけとして、今までスキーをしに訪れるだけだった野沢温泉にどっぷりと向き合うことになったのだといいます。
「僕は東京で育ったので、野沢温泉に来ると『ああ、お水がおいしいな』って思うんですが、野沢温泉村で生まれ育った人たちからするとそれってすごく当たり前のこと。僕の娘はまさにそう。だって、生まれた時から湧き水を飲んで、使っていてこれが『普通』なんですからね。このおいしいお水が傍にあることが特別だとは思っていないみたいです(笑)。僕は外から来た人間だからこそ、その魅力を客観的にわかるのだと思います。スキー場に積もる雪も、温泉も、おいしい野菜もその源は『水』なんですよね。」
当たり前のことですが野沢温泉は水を中心として文化が成り立っており、そこにはもっと拡張できる価値があるのではないかと野沢温泉蒸留所のチームで考えました。
近年はオーストラリア人を中心に欧米からやってくる訪日外国人が増えた野沢温泉。彼らがスキーや温泉以外にも楽しめるものがもっとできないだろうかと考えた八尾さんや野沢温泉蒸留所のチームは、野沢温泉の宝である“水”を活用し、ウイスキーやクラフトジンを作る蒸留所を設立しました。
「野沢温泉の宝である“水”の価値を高められるものはなんだろうと考えてたどり着いたのが蒸留酒でした。蒸留酒の世界では、何よりも水が大切といわれており、ジャパニーズウイスキーの価値は世界的にも評価されていますし、外国人が多い野沢温泉には“ハマる”んじゃないかなと思ったんです。」
ウイスキーは熟成が必要なので、つくるのに数年、数十年かかるため現在まだ製品化はされていませんが、先行してクラフトジンができあがりました。
2022年冬にオープンした「野沢温泉蒸留所」は、温泉街の中心で古くから缶詰工場として村の経済を支えていた場所をリノベーションして作られました。
醸造の作業をするスペースはガラス張りで見学できるようにしてあり、製品を販売するとともに試飲できるスペースを設けてあります。
天高の開放的な空間にところ狭しと樽が積まれている様子は壮観です。奥には醸造機がガラス越しに見え、窓からは太陽光が柔らかく入り込む様子はなんともフォトジェニック。訪れる人々が皆ここで思わずカメラを構えてしまうほどシンメトリーに美しく設計されています。
将来的には蒸留所ツアーやイベントなどが企画されていく予定ですが、現在はウイスキーとクラフトジンの蒸留、クラフトジンの試飲と販売が行われています。
「蒸留にはCARL社(ドイツ)やKnapp社(オーストラリア)のスチル蒸留機など、最新の設備を使用しているので、まさに世界レベルの製造工程を実現しています。製品が魅力的になるのはもちろんですが、この場所が観光スポットとしても機能するようにしていく予定です。」
野沢温泉村のおいしい湧き水と、丁寧に選んだ地元産の食材を使用してできたクラフトジンは、飲めば野沢温泉の風や自然が感じられる味わい。3種類のブレンドを販売していますが、そのどれもが地元のストーリーを纏っています。
〈左〉爽やかな味わいが特徴のシグネチャードライジン。森の中を歩いているかのような香ばしい香りと爽やかな味わいが特徴。ジュニパーベリー、杉、レモンが深い後味をもたらします。
〈中〉大胆なスタイルのクラシックドライジン。パンチの効いた柑橘系の香りに、ピリッと感じる山椒の香りが加わり、マティーニなどカクテルのベースに最適。
〈右〉野沢温泉村の実りの季節を祝うIWAIGIN。すもも、桜の葉、林檎の木の繊細なフレーバーで、フルーティーでフローラルなジンに仕上がりました。
「ラベルを見てもらえればわかるんですが、ロゴマークは野沢温泉の山々を表しているんです。ぐるーっと楕円を描いているのは、野沢温泉の季節が巡る様子を表していて、地層や年輪を表現するようにロゴが層になっています。この“層”が時間をかけて水をおいしくしているんですよ。」
と八尾さんが解説してくれます。
「野沢温泉の山々にはブナの森が広がっています。ブナの葉は保水力がすごく高いんですよ。そのおかげで、野沢温泉に降った雨や雪は、じっくりじっくり濾過されていくんです。今日降った雨は、50年の時間をかけて澄んだおいしい水となって僕らの元にやってくる。これこそがこのジンがおいしい理由。それを視覚的にも理解してもらえるようなデザインになっています。」
3種類のジンそれぞれで、ストーリーが違うのも魅力的。ボトルの中に閉じ込めた山の物語をラベルデザインが物語っています。よく見ると、デザインの中にスキーヤーが隠れていますが、これは片桐匡さんという野沢温泉スキークラブの創始者の方をモデルにしているんだそう。ラベルをじっくり見ると、野沢温泉の文化や歴史に触れられるのも魅力です。
また、世界的な酒類のコンテストである「サンフランシスコ ワールド スピリッツ コンペティション(SFWSC)2023」の結果が4月28日に発表され、取材後に発売された新フレーバー「Shiso」を含めた全4種類すべてが金賞を同時受賞という快挙を成し遂げました。世界レベルの品質であることが証明され、ますます注目が高まります。
社長のフィリップ・リチャーズさんも野沢温泉に魅せられて移住してきたひとり。
「何よりも、人があたたかい。自然の魅力もあるけれど、コンパクトなサイズの村だからか、距離がすごく心地いいんですよね。東京や大阪に住んでいたこともあるけれど、野沢温泉には死ぬまで住みたいと思っているくらい気に入っています。」(フィリップさん)
「最初は『スキーが好き』という共通項がきっかけで出会うんですが、さまざまなバックグラウンドのメンバーが知り合い、『野沢温泉に貢献したい』とまた共通の想いがあるんですよね。移住者同士もそうだし、地元出身の人もそう。村の祭りに参加したり、対話を重ねていくことで、『村の課題解決に寄与しなくちゃダメだ』という想いは強くなっていきましたね。」(八尾さん)
通年雇用の創出や、夏季でも観光スポットとして人を呼べる場所を目指すなど、地域の課題解決への取り組みも野沢温泉蒸留所は積極的に行っています。
「やっぱり“継承”が最も大切」と八尾さんが語るように、自然だけでなく、文化や暮らしを継承していくことは野沢温泉村のアイデンティティーであるようです。
野沢温泉村の暮らしには、湧き水だけでなく温泉水も深く関わっています。源泉「麻釜(おがま)」は村民だけが入ることのできる場所。「野沢温泉の台所」ともいわれ、村の人々はここで野菜や卵をゆでるなど日常的に利用しています。温泉が暮らしと密接に関わり合っている様子はまさに野沢温泉らしい風景といえるでしょう。
古いものを守るだけでなく、新しいものに作り変えるだけでもない……。双方がリスペクトし合い、混じり合うことこそが野沢温泉らしさなのだと八尾さんは教えてくれました。
「50年前の水を今、僕らが享受しているように、50年後の環境や暮らしのために“今”がある。それは水の循環が教えてくれていることです。」
村のどこにいても、雪解け水が流れる音が聞こえる野沢温泉村。観光資源でもあり、暮らしや文化の根源には常に「水」があります。50年前の暮らしを継承し、50年後の暮らしを守るために、想いを馳せながら活動していくことが「野沢温泉蒸留所」の現在地であり未来なのです。
野沢温泉蒸留所
長野県下高井郡野沢温泉村豊郷9394
公式WEB(外部サイトに移動します。)
https://nozawaonsendistillery.jp/