岩手県陸前高田市
2023.06.07 (Wed)
目次
古くから醸造業が盛んだった岩手県陸前高田市。2011年の東日本大震災から長い年月をかけて復興に取り組み、現在は「発酵のまち」として経済界や行政からも注目される存在になっています。そこには、まちを愛し、仲間を想う文化と絆がありました。そんな陸前高田の物語を、このまちを代表するブランドのひとつである「八木澤商店」の9代目社長・河野通洋さんに語っていただきました。
「東日本大震災前、陸前高田市の今泉地区には、味噌・醤油蔵が3軒ありました。そこかしこで醤油の火入れをし、大豆を蒸し、小麦を炒っている。小学生の通学路が常に発酵食品の音と香りに包まれている地域でした。」と河野さん。
江戸時代、伊達藩の直轄地だった旧今泉村は、平泉へと続く今泉街道を中心に宿場町として栄えたとされています。気仙川に面し、すぐそばに広田湾が広がる同地区は、湧き水と塩に恵まれ、醸造業にはうってつけの土地でした。
八木澤商店は1807年に「八木澤酒造」として創業。長く「気仙川」というブランドで酒造りをし、後に1945年から醤油・味噌の醸造を始めます。1960年に株式会社八木澤商店としての歩みをスタートし、醤油を加工したつゆ・たれ類、漬物などの製造・販売も手がけていました。
東日本大震災以前は、約10ヘクタールの畑を有し、米や大豆、小麦や野菜を栽培していたという同社。大量生産が求められた時代にも、自分たちで育てた野菜で漬物をつくり、天然醸造の醤油造りに取り組んでいました。
「商品づくりにおいて、生産から加工までを担うからこそ、自分たちが食べておいしく、安全・安心なものをお客様にお裾分けするという考えが根付いていました。」と河野さん。
社員全員で田植えをし、野菜をつくり、ともに昼食をとる。「ある意味、近代に至ってまで古い会社だった。」と笑いますが、近代化により多くの場所で失われてしまった風景がここには残っていたことがうかがえます。
また、「エネルギーも自給自足できたらいい」という考えを、震災前からもっていたというのも先進的です。
「会社として、なぜ、自給自足を目指すかといえば、世の中がどう変化しても、社員と地域の人を飢えさせないと心に決めているからなんです。かつてはそんなことを考えている人はほとんどいなかったと思いますが、世界情勢や地球環境の変化が激しい今となっては、現実感のある発想だと思います。」
2011年3月に起きた東日本大震災。陸前高田のまちは波にのまれ、八木澤商店も本社や工場、蔵や畑を失いました。雇用を全員維持しながら事業の再生に挑んだ同社は、信頼できる同業者に自社製品のレシピを公開し、製造してもらうことで、被災から2カ月後の5月には商品販売を再開。河野さんが「仲間」と呼ぶ、東北管内の味噌・醤油蔵の協力を得て、実現することができました。そして同年10月には、内陸の一関市に本社と工場を建設。醤油・たれ類の自社製造を再開させます。
2021年には本社、2022年には味噌工場の再建を、創業の地で実現。
「震災直後から、必ず帰ろう、陸前高田に“発酵のまち”の風景を取り戻すんだという想いを強くもっていました。」と河野さん。
さらに、本社移転に先んじて、2020年には「発酵のまち」をスローガンに掲げた復興計画に賛同した仲間とともに、「発酵パーク CAMOCY」を陸前高田市今泉地区に新設します。
発酵パーク CAMOCYは、「ベーカリーMAaLo」、「クラフトビール醸造所 陸前高田マイクロブルワリー」、「クラフトチョコレート CACAO bromo」、「DELI and BENTO gentil」などから成る複合施設。八木澤商店も、自社製品と、セレクトした全国・世界の発酵食品を販売する「CAMOCY 発酵MARKET」、自社製品を使った定食メニューがそろう「発酵食堂やぎさわ」を出店しています。
「小さくてもいいから、かつての今泉のように発酵の音や香りを感じられる“工場”をつくりたいと考えて生まれた施設です。」と河野さん。定食も惣菜もビールもパンもチョコレートも、施設内でつくられているのが特徴です。
運営するのは、地元7業者で設立した「株式会社 醸」。長く陸前高田で暮らしてきた人、ふるさとに帰ってきた人、移住して事業を始めた人など、まちを愛する人たちが集い、ともに「発酵のまち」としての魅力を高め、発信している、今とこれからの陸前高田を象徴する施設です。
200年以上続く八木澤商店を再生し、陸前高田を「発酵のまち」として盛り上げる努力を続ける河野さん。これからの醸造業やまちへの想いを問うと、こんな答えが返ってきました。
「何百年も続いて来た会社には、何らかの社会的な役割があったのだと思うんです。それは何だったのか。例えば、私たち味噌・醤油蔵は、発酵食品を造る原料である大豆や米や小麦を、撒けば芽が出る“種”の状態で1年間分備蓄しています。さらに、枯れない井戸と塩を持っている。それはつまり、地域のために生命が維持していく機能を全部持っているということなんです。だからこそ、醸造業は地域の中で大事にされて、続いてきたのではないかと思うんですね。」
しかし、まちの醸造業がなくなることが、地域が飢えることと直接結びつかない現在、八木澤商店として、新しい社会的機能をもたなくてはならなくなったと、河野さんは続けます。
「この地域を、人口がいくら減っても持続可能にしていくためには何が必要か。考えてたどり着いた答えは、当社がかねてより志していた、エネルギーと穀物の自給化なんです。社員1人1人が掲げる10年ビジョンの中でも、実現に向けた議論を始めています。」
また、「この地域では一社も潰さない、ひとりの雇用も切らない」ということをスローガンに、会社の経営を包み隠さず話ができる環境をつくることも大切にしていると河野さん。
「私も先輩経営者に助けられてきました。経営者にとって、一番良くないのは孤立すること。仲間の会社が困っていたら、答えをすぐには出せなくとも、一緒に考えることはできますよね。そういう活動も、地域を持続可能にするためには必要だと思っています。」
東日本大震災後に「発酵のまち」の再興を思い描いた河野さん。「10年後のことは考えられない」という人も多い中、同じ志をもった仲間たちと有言実行してきたからこそ、今目指す持続可能なまちづくりもきっとかたちにしていくと想像できます。
まちを愛し、仲間を想う。誰もが直面するエネルギーや食の問題に向き合う先駆者でもあり、学ぶことの多いその取り組みから、目が離せません。
八木澤商店(外部サイトに移動します。)https://www.yagisawa-s.co.jp/index.php
発酵パーク CAMOCY(外部サイトに移動します。)https://camocy.jp/