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大阪で愛されて100年。いま再び注目される“大阪のジャズ文化”

大阪で愛されて100年。いま再び注目される“大阪のジャズ文化”

大阪府大阪市

    2023.08.23 (Wed)

    目次

    古くから文楽や人形浄瑠璃、漫才や新喜劇など多彩なエンターテインメントが育まれてきた大阪。実はこの地で愛されてきた文化の1つに音楽の“ジャズ”があります。大正時代に花開いた大阪のジャズは、2024年に発展から100年の節目を迎えようとしています。その現在地とともに、現地で歴史を辿りました。

    面白い・新しいもの好きな大阪人が愛す「ジャズ」の始まり

    ジャズが大阪で発展して100年――。ジャズが日本にやってきたのは1920年代で、当時神戸や横浜といった港町が“ジャズの窓口”の役割を果たしていました。そこから各地へ広まると、面白いもの、新しいものが好きな大阪の人たちにもすぐに普及したといいます。

    大阪ジャズ発展の転機。活動の場を失ったミュージシャンが一堂に関西へ

    大阪でのジャズの流れは、1922年から。デパートとホテルを開業した『なだ万』で、サックス奏者・前野港造の楽団が演奏したことが始まりといわれ、当時のジャズは、「聴くための音楽」ではなく、「ダンスの伴奏音楽」として浸透し、道頓堀周辺のカフェやダンスホールを中心に演奏されました。

    1924年ごろの大阪戎橋かいわい。右手には「カフェ・パウリスタ」も
    (『大阪名所絵はがき帳』1924年刊(大阪市立中央図書館所蔵)所収)

    そんなジャズが大阪で花開いた1923年、関東で関東大震災が発生。東京は壊滅的な被害を受け、多くのミュージシャンが演奏する場と仕事を失い、関西へと拠点を移すことに。

    大阪のジャズミュージシャンたちの働きかけもあり、1924年、ダンスホールのオーナーらと交渉して彼らを迎え入れ、演奏の場を提供。これを契機に、大阪ではダンスホールが次々に誕生し、カフェを含め、あらゆるところでジャズが演奏されました。この動きこそ、大阪のジャズが大きく盛り上がるきっかけとなり、ジャズは一大ブームになりました。そして1924年を、「大阪ジャズ発展の年」としているのです。

    発展の契機から100年。現在もかたちを変えて残る大阪ジャズの音色

    2024年に100周年を迎えるいま、地域団体をはじめ、街の至る所でジャズにまつわるイベントが行われています。

    「ジャズシティ大阪」で幹事長を務める吉川裕之さん

    ジャズで大阪を盛り上げようと活動する「ジャズシティ大阪」もその1つ。幹事長を務める吉川裕之さんに話をうかがいました。

    かつて「カフェ・パウリスタ」があった戎橋付近(現在)

    「船の楽士の形で渡米した日本人ミュージシャンが現地からジャズを持ち帰って始まった大阪のジャズですが、当時と今とでは、聴く人も社会も変わっています。だからこそ現代にあったかたちで、大阪のジャズに触れてほしい。そこで、我々はこのゆかりの地でジャズの生演奏を聴きながらボートで道頓堀川を航行する『とんぼりリバージャズボート』、商店街で演奏する『道頓堀ウェストJAZZストリート』などを開催しています。道頓堀川の近くにあった『カフェ・パウリスタ』は、日本初のプロジャズバンド『ラフィング・スターズ』が契約し演奏していた歴史の地です。」

    とんぼりリバージャズボートの様子 写真提供:ジャズシティ大阪

    道頓堀ウェストJAZZストリートの様子 写真提供:ジャズシティ大阪

    その他にも、現在は金龍ラーメンとなっているオレンジ色のビルも大阪ジャズを語るうえで欠かせない「いずもや」という鰻店があった場所です。

    「いずもや」があったのは、オレンジ色のビルの場所辺り。

    当時、話題作りや宣伝のためにジャズを演奏する少年音楽隊が結成されていて、のちに作曲家として活躍する服部良一も「いずもや少年音楽隊」の一員でした。道頓堀に出した船の上で演奏をしていたのだそう。

    大阪ジャズの再出発に向けて

    大阪のジャズ文化は形を変えながらも愛されていますが、吉川さんは自らが「“ハブ”の役割を果たしたい」と、歴史を振り返りながら話します。

    「今でこそ盛り上がるジャズですが、実は順調な発展とはいえない時代もありました。1928年に府の条例によってダンスホールが閉鎖に追い込まれ、当時、道頓堀ではダンスホールは0軒になったんです。多くのミュージシャンが大阪から流出し、震災から復興した東京へと戻りました。しかし一度大阪に根付いたジャズの火は消えてなく、長年、私は大阪の地域性や人柄はジャズと相性がいいのではと感じています。この文化を守るために演奏場所などの情報を集めたいと思っています。みんなで競い合って、盛り上げて大阪ならではのジャズサウンドを楽しめたらうれしいですね。」

    新感覚のジャズ体験が味わえる「DAIMARU SATURDAY NIGHT JAZZ CLUB」

    道頓堀から徒歩圏内の大丸心斎橋店でも、100周年を機にジャズイベントが行われています。それが「DAIMARU SATURDAY NIGHT JAZZ CLUB」。実はこのイベント、ミュージックホールやステージなどで演奏されるジャズとは異なり、食事を楽しむ空間に演奏者がやってきて、近い距離でジャズを楽しめるイベントです。

    毎月土曜日の2日間、大丸心斎橋店本館地2階で大阪ゆかりのプロミュージシャンによるジャズの生演奏が行われています。この取り組みは、2023年3月から始まりました。

    「100年前、道頓堀でジャズが盛んに演奏されていた、その歴史と文化を皆さんに知っていただきたいと企画しました。ジャズの生演奏を気軽に、そしてこんなに近くで聴くことはなかなかない機会です。ジャズをまだ聴いた経験がない人にも、足を止めていただけたら。」と、大丸心斎橋店営業推進部の藤田幸久の案内で幕を開けます。

    フードコートで税込1,000円以上の商品を購入すると、大丸オリジナルのチップ用紙幣をもらうことができ、ミュージシャンへ投げ銭ができるというシステムも導入。

    場所は心斎橋フードホール内のエスカレーター西側。この日は、谷山和恵さん(vocal)、永田有吾さん(piano)、湯川岳さん(Guitar)、魚谷のぶまささん(Bass)の4人が出演し、本格的なジャズを届けてくれました。

    演奏が始まると、フードホールで食事をしていた人たちが耳を傾け、手拍子をしたり、曲調に合わせてリズムをとったり。だんだんと足を止める人が増え、多くの人がジャズの世界に引き込まれていきました。この日は30分間で5曲を演奏し、大きな拍手に包まれて終了しました。

    「食事をしながらジャズを楽しむ」くらいライトに、ジャズの世界へ入ってきてほしい

    ジャズミュージシャンの魚谷のぶまささん

    「食事をしながら楽しんでもらえるような、そしてみなさんがどこかで聞いたことがあるような曲を意識してここでは演奏しています。」と話してくれたのは、演奏を終えた魚谷さん。魚谷さんは、ジャズミュージシャンでありながら、今回の「DAIMARU SATURDAY NIGHT JAZZ CLUB」のプロデューサーも務めています。

    「ここでの演奏は、ジャズクラブで演奏するのとは違った感触があって、ジャズクラブで演奏する場合は、僕らのジャズを聴くために来てくれていますが、こういう場では、偶然居合わせた方がほとんどです。気に入ってくれるかなと僕らも皆さんの反応をみながら演奏をしていたりするので、笑顔が見えると本当にうれしい。ジャズを身近に感じてもらって、もっと多くの人にジャズを聴いてもらいたいです。」

    “広く、低い敷居”で叶える、大阪ジャズの新局面

    コロナ禍で、演奏の機会を得られない時期も長く続き、最近ようやく、以前のような演奏活動も可能になってきたとか。100年という節目を目前に、最後に魚谷さんが想う大阪のジャズの在り方についてうかがいました。

    「まずはミュージシャン、1人1人を見てもらうこと。僕自身としては“魚谷のやってるジャズはいい”と、聴きにきてくれるファンを増やすことが、ジャズ全体を盛り上げることになると思っています。ジャズは少し難しいと感じる人もいらっしゃいますし、いきなりジャズクラブへ行くのは敷居が高いかもしれません。ですからこういう日常の中でジャズを感じる、いわば敷居が低くて広い入り口を機会にして、大阪のジャズにどんどん触れてくれるとうれしいです。」

    大正時代に海外から入ってきて根を下ろし、東京の被災地からミュージシャンを迎え入れ、大きく発展した大阪のジャズ。演奏の場を失う危機的状況も乗り越えて、大阪では今日も、力強く、そして楽しいジャズが鳴り響いています。

    「DAIMARU SATURDAY NIGHT JAZZ CLUB」
    期間:8月19日(土)・26日(土)各日17時〜、18時〜、19時〜(各回30分)
    9月16日(土)・23日(土・祝)各日17時〜、18時〜、19時〜(各回30分)
    場所:大丸心斎橋店本館地2階 心斎橋フードホール内 エスカレーター西側

    URL(外部サイトに移動します。)
    https://www.daimaru.co.jp/shinsaibashi/jazzclub/

    参考書籍
    橋爪紳也編著『大大阪の時代を歩く』(2017年洋泉社)