2023.08.31 (Thu)
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近年、全国各地で多く開催されている「移動映画館」。公園、キャンプ場、美術館、カフェなどさまざまな場所で企画され、季節性やそのイベントらしさが感じられるような作品が多く上映されています。映画館で見るのではなく、その場所でしか体験できない特別な映画の時間とはどんなものなのでしょうか。上映イベントのプロデュースを手がける「キノ・イグルー」の代表・有坂塁さんに話をうかがいました。
「旅する移動映画館」として今や全国のイベントから引っぱりだこである「キノ・イグルー」。代表である有坂塁さんが、かつて1920年代にフランスで熱狂的な支持を得ていた「シネクラブ」をやるのが夢であったことからスタートしました。
「2003年に、友人から『映画館を開くので、そこで試しにやってみないか』と誘われたのがきっかけでした。当時は『映画=映画館で見るもの』という時代でしたし、SNSなどもなかったので、イベントのチラシを制作して、ショップやカフェにそのチラシを置いてもらえるように足で営業していました。」
何回か続けていくうちに、お客さんから「カフェをやっているのですが、うちのお店でもできませんか?」と声をかけられることが増えていったのだそう。
映画というカルチャーの持つ力は、見知らぬ人同士を結びつけ、空間をハッピーに変えることができる。そう信じたキノ・イグルーは空間づくりに徹底的にこだわっているのです。
「映画の持つハッピーな力を“映画好き”だけのものにしたくなかったんですよ。」と語る有坂さん。その真意は、映画カルチャーの裾野をもっと広げたいという強い想いでした。
「映画好きというと“難しい映画こそ名作”とか“ハリウッド超大作を好きなのは真の映画好きではない”とか、そういった“映画をたくさん観ている人が偉い”みたいなとっつきにくさみたいなものがあったんですよね。実際に僕の周りにもそういう人多かったんです。でも、映画って別に何が偉いとかそういうのじゃない。映画オタクではない人たちと『映画って素敵だよね』と共有する世界をつくっていきたいなとずっと思っていました。」
「映画はもちろん好きなんですが、僕はその他の雑誌やインテリア、音楽、ファッションなどカルチャー全般が好きなんです。映画自体は、他のカルチャーと近いものなのに、なぜか他のカルチャー好きとの繋がりが薄かった。そこをなんとかしたいと思っていました。」
キノ・イグルーのイベントは場所や業界、規模を選びません。
博物館、カフェ、公園、商業施設、無人島、酒蔵……。映画好きだけのイベントではないものにしたいという想いは20年の活動を経た今も大切にしていることなのだそうです。
毎回趣向を凝らし、場所も内容も変わるのに、いつもワクワクさせてくれる。そんなイベントを作り出し続けるキノ・イグルーのイベントには、上映する作品名ではなく、「キノ・イグルーがやるイベントだから」という理由で多くの人が集まるようになっていきました。
キノ・イグルーの上映イベント最大の特徴は、どんな場所であれ、毎回オーダーメイドで企画内容にこだわっていることです。
東京国立博物館で行った上映イベントでは最大6500名もの人が集まりました。
「大規模のイベントでも、目指している空気感やキノ・イグルーらしさもまったく損なうことなくできたのはやはり自信にもなりましたね。主催者側と想いを1つにして、イベントをつくっていけば、どんな場所でも特別な場所にできると思います。」
有坂さんがそう語るように、キノ・イグルーでは「場所を借りてイベントをやる」のではなく、「その場所の良さを一番知っている人と一緒にやる」ことに徹底的にこだわっているのだそうです。
「僕らは自主企画というのはやっていなくて、誰かからお声がけいただいて、共にイベントをつくっていくのがキノ・イグルーのカラーだと考えています。カラーがないのがカラーというか(笑)。」
「北海道の層雲峡温泉で行ったイベントは印象的でした。氷のドームの中で上映をしたいということが決まっていたのですが、寒すぎて通常の機材は使えない。あまり長編すぎると観客の健康を害する。かといって、短編を流しているだけでは少し味気なく感じてしまったんです。『こんな体験はきっと一生に一度です』とアナウンスして、『強制的に短編映画を3本流すので、一緒に見ましょう』というイベントにすることによって、あの場にいた方には一生忘れられない映画体験になってのではないかと思っています。寒すぎるというネガポイントを、いかに特別なものにするか、という点に苦慮した思い出深いイベントですね。」
「どういう環境をつくるか、というのは実はすごく大事なんですよ。早い人だと4時間くらい前から来て芝生でワイン飲んで、という感じで待ち時間自体も楽しんでいます。映画を見られる“いいポジションを勝ち取った”という感覚ではなく、ピクニックを楽しみに来た、というお客様の雰囲気を作り出すんです。」
そのために、上映前に流す音楽のプレイリストも毎回作るのだといいます。
また、キノ・イグルーのイベントでは基本的に「これはダメです」「詰めてください」などのアナウンスをしない、ということを運営ルールにしているのだそうです。
「あくまで公園のように、自由に使ってもらうことでだんだん参加者側の自主性が出てくる。『すみません、そこ詰めてもらえますか?』『あ、いいですよどうぞどうぞ』という会話が自然発生することこそが大事なんです。」
気持ちいい環境が作られることによって、ポジティブな会話が飛び交い、気持ちがどんどん前向きになっていく。
「そういうポジティブな空気を纏った人が500人になると、場所の空気って変わるんですよ。」
最近は、屋外での上映イベントも多いそうですが、その中でも神奈川県の横須賀美術館で行われている「夏のシネマパーティ」は長く続いているキノ・イグルーのイベントの1つです。
会場となっているのは、海から山へと向かう気持ちの良い風が抜ける、美術館前の芝生の広場。
上映開始時間が近づくに連れ、家族連れやカップル、友人グループなど多くの人たちが集まり、レジャーシートを広げ始めます。
「この場所最大の気持ちよさはなんといっても海風。その気持ちよさをイベントに来た人に味わってもらうために、スクリーンは風が通るメッシュ素材でつくることにしました。それに、スクリーンの向こう側は海なので、船が通るとそのライトが透けて見えるんです。これもメッシュ素材のスクリーンだからこそできること。普通のスクリーンだと、向こう側の景色は見えません。このイベントでなら、まるでスクリーンの中を船が走っているみたいになって、すごく綺麗なんですよ。」
こういった「ここならでは」の仕様は、この場所の良さを一番よく知っている人たちとのコミュニケーションから生まれるアイデアなのだそうです。
「まずは関わる人1人1人とパーソナルに関わり合うことがコミュニケーションの根幹だと思いますね。この場所でいえば、横須賀美術館の人たちとコミュニケーションを重ねるなかでどんどん形がつくられていきました。」
コンセプトや仕様、イベントだけの話ではなく、「好きな映画は何か」「どんなジャンルのものが好きか」という映画の話をすることで、有坂さんは相手がどんな人なのかパーソナルな部分にアプローチするのだそうです。
「映画は総合芸術。だから好きな映画の話をするだけでその人のことってよくわかるんですよね。やるイベントの規模やコンセプト、そして地域性ということだけで見てしまうと、大事なことを見落としてしまう気がします。何より大切なのは、その場所を知り尽くした人の想いです。」
そして、どんな想いでイベントをつくり、どういった気持ちで作品をチョイスしたのかを、必ず上映前に有坂さんが集まってくれた人々に向けて語るのがキノ・イグルーのスタイルです。
それまで寝転んだり、ワインを飲んだりしていた人も、有坂さんの挨拶をきっかけとして、ゆるやかに鑑賞モードに入っていきます。思い思いに過ごしていた楽しい待ち時間と、上映作品の世界がつながっていくのです。その場所で感じた風、におい、音楽……。五感で感じるすべてがその日の映画体験として記憶に残っていくことでしょう。
この夏も、全国たくさんの場所でそれぞれの特別な空間をつくり出してきたキノ・イグルー。今後は書籍の発売や、映画の余韻に浸れるようなお酒の開発など、「映画のある空間」のプロデュースの幅を広げていくそうです。彼らが丁寧につくり続ける「その場所だからこその特別な映画体験」から目が離せません。
撮影協力:横須賀美術館
キノ・イグルー
公式ウェブサイト(外部サイトに移動します。)https://kinoiglu.com/
公式Instagram(外部サイトに移動します。)https://www.instagram.com/kinoiglu2003/
有坂塁 Instagram (外部サイトに移動します。)https://www.instagram.com/kinoiglu/?hl=ja