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200年続く伝統美を後世へ「淀江傘伝承の会」の使命

200年続く伝統美を後世へ「淀江傘伝承の会」の使命

鳥取県米子市

    2023.10.13 (Fri)

    目次

    日常的に見かけることは少ない和傘ですが、その美しさと機能性は日本の伝統を象徴するアイテムとして、国内外から高い評価を受けています。そんなジャパンクオリティなアイテムを作り続けているのが、京都、岐阜、金沢と並ぶ「和傘の四大産地」として名を馳せてきた鳥取県米子市淀江町。江戸時代から200年以上続く和傘・淀江傘(よどえがさ)の技術を伝承し続けている淀江傘伝承の会の代表・山本絵美子さんにその魅力と伝統を後世へと繋ぐための取り組みについてうかがってきました。

    無骨で丈夫、優美な糸飾りが特徴的な淀江傘

    和傘といえば、竹の骨組みに和紙を張って作られた手仕事の逸品。鳥取県西部にある米子市淀江町では淀江傘(よどえがさ)と呼ばれる和傘が今も作り続けられています。雨よけとしてはもちろん、開いた時に末広がりの形に見えるため、縁起物として親しまれている淀江傘。

    山陰地方では今でも嫁入り道具の1つにも数えられている、鳥取を代表する伝統工芸品です。

    最盛期である大正時代には町内の傘製造業者は70軒を超え、年間17万本もの量が西日本一円から遠いところでは東北地方まで出荷されていたという淀江傘ですが、その魅力について山本さんはこう語ります。

    「無骨で丈夫、ちょっとやそこらの雨風では壊れない。洋傘が主流になった今でも、結婚式やさまざまなイベントのために、県内外から注文をいただいて、1本1本丁寧に手作りで製作しています。」

    淀江傘の特色はそれだけではありません。独自の糸飾りの美しさもまた淀江傘が愛される理由の1つ。小骨の強度を高めるために傘の内側に施される桔梗(ききょう)飾りと呼ばれる糸飾りは淀江傘ならではの技法で、この技を継承しているのは実は山本さん1人なのだそうです。

    淀江傘の歩みと町を挙げた伝統工芸の伝承

    淀江傘が作られ始めたのは200年以上前のこと。文政4年(1821年)に倉吉屋周蔵(くらよしやしゅうぞう)が淀江に来て、傘屋を開いたのが起こりだとされています。

    「大正時代には年間17万本の傘を出荷していました。また、戦後の傘不足の年には年間50万本もの傘を出荷していたと聞いています。」

    淀江傘がこの淀江で栄えたことにはいくつかの要因があったそう。

    「ひとつは傘の材料になる良質な真竹がこのあたりでたくさん取れること、もうひとつは一度に1万本以上の傘を干すための砂浜(淀江海岸)があったこと、そして傘骨に張る手漉きの因州和紙が近く(鳥取県鳥取市青谷町)で作られていたこと。だから淀江は傘作りに適した土地だったと言われています。」と山本さん。

    一時は隆盛を極めた淀江傘でしたが、安くて軽い洋傘の流行により、昭和26年頃を境に淀江傘の製造業者が次々と廃業。昭和59年には最後の製造業者も廃業を迎えてしまったのだそうです。

    「このままではこの文化が廃れてしまう……。ということで、その翌年である昭和60年に淀江傘の製作技術を継承するため、この淀江傘伝承の会が発足しました。」

    平成2年には、より多くの人にこの文化を伝えるため、「和傘伝承館」を開設。まずは和傘職人を育てるために、町が後継者育成事業を始めました。山本さんもこの後継者育成事業に応募して和傘職人になった1人です。

    「生まれも育ちも淀江なので、淀江傘には幼い頃から馴染みがありました。ちょうど東京からUターンしたところで後継者育成事業の募集があったので応募してみたところ見事に受かって。そこから2年間の修業を経て和傘職人になったんです。」

    明治時代に建てられた小学校の旧校舎を改修したという和傘伝承館では、職人たちが淀江傘作りに励むほか、多様な種類の淀江傘の展示や、「因州和紙で作る折り紙傘体験」や「ランプスタンド銅張り体験」など淀江傘の技術を体験できるプログラムも実施しています。

    70もの工程を経て作られる手作りの淀江傘

    淀江傘にはいくつか種類があり、その中でも代表的なのが番傘と蛇の目(じゃのめ)傘です。番傘は、淀江で最も多く製造されていた傘で、日常使いに適したシンプルな構造と骨組みの美しさが特徴。

    一方、嫁入り道具としても親しまれている蛇の目傘は、傘を開いた時に上から見ると、蛇の目のように見えるのが特徴。シンプルな番傘とは打って変わって色鮮やかで優美な姿が印象的です。淀江では、蛇の目部分に梅の花をあしらった赤蛇の目「うめ型」と、黒蛇の目「亀甲型」の2種類を作っています。

    現在淀江では、この淀江傘伝承の会が傘作りを一手に担っていますが、傘を作るといっても簡単なことではありません。1本の竹から傘を完成させるまでにはなんと70もの細かい工程を踏まなければなりません。

    「淀江傘作りは竹藪に入って竹を刈るところから始まります」と山本さん。

    「刈った竹は作る傘の大きさに合わせて寸法切りし、そのあと“繋ぎ”と呼ばれる作業に入っていきます。傘の軸になる手元ロクロに小骨を、頭ロクロに親骨を、それぞれ針と糸を使って1本ずつ繋いでいく作業です。丈夫で無骨な傘を作るために、この“繋ぎ”の作業に一番時間をかけます。」

    「傘の骨組みができたら、そのあとは和紙を張ったり、えご油、亜麻仁油、桐油をブレンドした油を挽いたり、天日干しをしたり…。最後に糸飾りを施して完成です。」

    気が遠くなるような細かい作業の末、優美な技巧を備えた淀江傘ができあがるのです。

    淀江傘の伝統を未来に繋げるために

    淀江傘伝承の会では淀江傘の技術を後世に継承するため、和傘伝承館を訪れる人に和傘の魅力を伝えるほか、地域の子供たちに和傘作りを体験してもらったり、講演会を行ったりと、さまざまな取り組みをしています。

    「最近は毎年、近くの白鵬高校の郷土芸能部の生徒さんたちと一緒に傘作りをしています。一緒に竹藪に入って、竹を刈るところから始めて、5か月かけて1本の傘を仕上げるんです。生徒さんたちからは『近くにこんな素晴らしい伝統工芸があることが嬉しい』『将来、自分も傘作りに携わることができたら』という声をいただくんですよ。」

    また、地元の淀江中学校の運動会では10年前から全校生徒で淀江傘を使って踊りを披露しているそう。
    「300もの淀江傘が運動場に一斉に花開く様子は見事ですよ。」

    「どんなに素晴らしい伝統工芸でも、何もしなければこのまま廃れていってしまう。私たちには伝統工芸を次の世代へと伝え続ける使命がある。まずはこの技術を受け継いでくれる後継者が見つかれば……。」と山本さんは語ってくれました。

    町を挙げて守り続ける淀江傘の伝統。時代を超えて受け継がれる本物の“美”がここにはあります。

    和傘伝承館

    鳥取県米子市淀江町淀江796
    営業時間 9:00〜17:00
    休館日 日・月・祝
    電話番号  0859-56-6176