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だるまの里・高崎で父娘2代の夢が舞う。女性職人が切り拓く新時代

だるまの里・高崎で父娘2代の夢が舞う。女性職人が切り拓く新時代

群馬県高崎市

    2023.11.21 (Tue)

    目次

      だるまの生産量日本一の群馬県高崎市。市内には多くのだるま工房がありますが、ひと際個性的な工房として知られている老舗「だるまのふるさと大門屋」。「グラデーションだるま」など、伝統の枠にとらわれないだるまづくりで注目されています。その仕掛け人であり、5代目社長をつとめる中田千尋さんは「伝統的な赤いだるまがあるからこそ、私が新しいことに挑戦できる。」と話します。

      特徴は顔の「鶴」と「亀」。200年の伝統を紡ぐ高崎だるま

      だるまの産地は日本各地にありますが、そのなかでも高崎市は日本一の生産量を誇る「だるまの里」として知られています。

      国道18号線沿いの豊岡・八幡地域に50余りのだるま工房が集中し、国道に沿って流れる碓井川対岸の観音山丘陵には、縁起だるま発祥の寺として有名な少林山達磨寺が地域を見守るかのように静かに佇んでいます。

      少林山達磨寺の本堂に納められた役目を終えただるまたち。

      高崎だるまは、200年以上前、郷士の山縣友五郎が故郷である上豊岡村に戻って製造・販売したのが始まりとされます。その特徴は、眉毛が「鶴」、鼻から口髭が「亀」を表していること。鶴と亀は古来より吉祥や長寿の象徴とされてきました。以来、200余年の伝統に培われた匠の技で、1つ1つの赤いだるまを丁寧につくり上げてきたのが高崎のだるま職人です。

      しかし、旧来の赤いだるまが売れるのはおもに年末年始などの限られた時期で、ただ伝統を守るだけではこの先、生き残っていけないかもしれません。3年前のコロナ禍をきっかけにそんな危機感を抱き、これまでにない新しいデザインのだるまづくりに挑戦しているのが、大門屋の5代目社長・中田千尋さんです。

      「私はだるま屋さんになります」。勤務先の慰留を断り職人の道へ

      大門屋は、4.5cmから74cmまで22サイズのだるまを年間7万個も製作する高崎市で最大規模のだるま工房です。今年5月、実の父親で、群馬県ふるさと伝統工芸士でもある中田純一さんから会社を引き継いで5代目社長になりました。

      中田さんは「小さいころから店を遊び場にし、父もだるまのことも大好きでした。」と振り返ります。とはいえ、大学生活後半まで自分が5代目になるとはまったく考えていなかったそうです。

      「父は厳格な職人なので、とにかく厳しかったんです。門限を守って帰らないと携帯が鳴り続け、門限通りに帰宅しても夜まで勉強、習字やピアノも……。ずっとそんな毎日でした。ここにいるかぎり私は自由になれないと思い、親の反対を押し切って都内の女子大に進学したんです。」

      航空会社のCAに憧れ、専攻は英語で第二言語はフランス語。周囲にはモデルをしている子もいたり、大学3年生になるまで伝統工芸とはかけ離れた学生生活だったといいます。

      「3年になると卒業研究のためにゼミを選ぶじゃないですか。そのときに、一度立ち止まってよく考えたんです。いま高崎だるまについて勉強しなければ、私はこの先、一生だるまを勉強することはないって。だから、ゼミは日本文化を選びました。」

      卒業論文のテーマは「高崎だるまの変遷」。だるまの歴史を紐解き、だるま産業や高崎だるまと正面から向き合い、どうすれば高崎だるまという伝統工芸を未来に向けて存続させることができるだろうかと、当時の中田さんなりに考察したものでした。

      「大門屋以外にやりたいことがなかったので、就職活動もせず卒業後は高崎に帰ってきました。ただ、私は遊んでばかりで、社会のことを何も知らなかったので……。いったん大門屋を離れ、貴金属店で働き始めました。父から『外の世界で1年働き、営業成績で1番になったら帰ってきていい』といわれて。」

      その言葉に奮起した中田さんは毎日営業電話をかけると決めると、働き始めてからわずか半年で売り上げトップになります。これほどのセールスを上げていたので、1年後に会社から引き止められたそうです。

      「でも、お断りしました。『私はだるま屋さんになります』と。」

      「ぶれる」のではなく「しなる」。アマビエだるまの誕生秘話

      大門屋の店頭に飾られている特大サイズのアマビエだるま。

      大門屋に戻りだるま職人として修行するなか、中田さんに転機が訪れたのは2020年でした。年明けから日本国内で新型コロナウイルスが猛威を振るい始め、それまで年間数万人が訪れていた大門屋からお客様の姿がいっさい消えてしまったのです。

      国道18号線にも車が一台も走っておらず、売上は100%減。電気代の支払いも心配しなければいけない最大の危機でした。

      「それなのに、父はむしろ通常時の2倍の量の材料を仕入れていました。おそらく、だるまの成形を専門とする生地屋さんや塗料屋さんが潰れないよう考えていたのだと思います。当時の私にはそれがわからなかったので、『こんなに仕入れて、どうやって売るの?』と。そんなときSNSのフォロワーさんから『千尋さんがデザインしたアマビエだるまがほしい』といわれたのです。」

      アマビエは疫病の流行を防ぐご利益があるといわれる妖怪で、すでに他社からだるまが販売されていました。そこで、中田さんは欧州出張で目にしたユニコーンのおもちゃの色使いに着想を得て、従来にないカラフルなアマビエだるまをデザイン。

      すると、このアマビエだるまが累計約5万個の大ヒットを記録するのです。これほど売れた商品は大門屋史上、初めてでした。

      「ただ、職人の父からすると、顔に鶴と亀が描かれていないアマビエだるまは高崎だるまではありません。アマビエだるまを父が知ると『お前は大門屋を潰す気か!』と大ゲンカになりました。でも、だるまの魅力を伝えていくにはアマビエだるまのような新しい商品も必要。芯がぶれるのではなく、しなっていけば高崎だるまの伝統も守っていけるはずです。」

      アマビエだるまに次ぐヒット商品となった業界唯一のグラデーションだるま。

      伝統的な赤いだるまが大門屋の「芯」だとすると、赤いだるまが売れなければ芯がポキっと折れてしまいます。しかし、時代の流行を取り入れながらしなっていけば、芯は折れません。赤い高崎だるまという芯から「ぶれる」のではなく「しなる」。これが商品を生み出すときに中田さんが心がけていることだといいます。

      こうした中田さんの考えが色濃く表れているのが、アマビエだるまに次いで開発した業界唯一のグラデーションだるまです。

      グラデーションだるまは、だるまの目の周りにぼかしを入れるエアブラシで全体を着色した商品で、ハイブランドなどが相次いでグラデーション商品を展開していたことから「いける」と確信して開発したもの。なかでも、日本らしいさくらのグラデーションだるまは外国人観光客が必ず手に取る人気商品になっています。

      赤い高崎だるまを買ってもらえたとき、父娘2代の夢が叶う

      中田さんが5代目となって会社を動かしても、先代の父・中田純一さんは店舗奥の工房で毎日筆を走らせ、すべてのだるまの眉と鼻、口髭を書いています。その佇まいはまさに職人。中田さんはそんな父親との関係性について、こんなふうに話します。

      「私自身もだるま職人ですけど、どちらかというと私は経営者で、父は根っからの職人。私は先を考え、父は歴史を掘り下げて伝統を伝える。まったくタイプが違うんです。たとえば、父は赤いだるまにこだわりますが、私は『いまは家に神棚がある時代ですか?』と反論します。でも、実は父も私も目指すゴールは同じなんです。」

      たとえば、自宅に神棚はなくても、アマビエだるまなら部屋の雰囲気に合うので置いてみたいと思うかもしれません。それをきっかけに、次はカラフルできれいなグラデーションだるまや、健康長寿を祈願して紫のだるまを購入しようと思う人もいるはずです。

      「紫のだるまの次は何を買おうか。じゃあ1回、伝統的な赤いだるまを買ってみようとなるかもしれない。そのとき、高崎の赤いだるまを広めたいという父と私の夢が叶うんです。私はその入り口として、現代的なだるまをデザインしています。伝統的な赤いだるまがあるからこそ、私が新しいことに挑戦できる。高崎だるまに対する想いは同じなんです。」

      新しさを追い求めているように見えながら、実は誰よりも高崎だるまの伝統を大切に思っているのは中田さんなのかもしれません。高崎が誇る伝統工芸はきっとこの先、インバウンド需要も背景に国内から世界へとどんどん広がっていくことでしょう。

      だるまのふるさと大門屋

      群馬県高崎市藤塚町124番地2
      027-323-5223

      公式ウェブサイト(外部サイトに移動します。)https://www.daimonya.jp/

      中田千尋さん Instagramhttps://www.instagram.com/chihiro.1105/