高知県香南市
2024.06.27 (Thu)
目次
高知県の空の玄関、高知龍馬空港からほど近い香南市野市町。その小高い山の中腹に、「井上ワイナリー」があります。ワイナリーからは香長平野やそこから続く太平洋を望むことができ、高知の海・山の自然を体感できる環境の中でワインは造られています。
井上ワイナリーが追求するのは、“高知らしいワイン”です。のいち醸造所の所長であり、醸造責任者である梶原英正さんに、高知県という土地だからこそ生まれたワイン造りのストーリーを聞きました。
井上ワイナリーを手掛けるのは、1884年創業の「井上石灰工業株式会社」。良質な石灰の産地として知られる高知県で、石灰を原料とした医薬品や化学工業製品の原料、また建材などさまざまな商品を開発・販売しています。
そうした商品のひとつが、JAS法有機農産物に使用可能な環境にやさしい農薬である「ICボルドー」です。140年以上前に生まれた殺菌剤「ボルドー液」を使いやすく改良した商品で、主にブドウなどの果樹に用いられる農薬です。より多くの農家さんにこの商品を使ってもらうために、ブドウ生育に関する知識を身につけ、全国津々浦々のブドウ農家やワイナリーを訪れ、商品の効果的・効率的な使い方の提案を行ってきました。
ある農家さんから病気が出て困ったと相談があれば現地へ赴き、解決方法を一緒に模索するといった業務を重ねるうち、自ずと井上石灰工業にもブドウ栽培に関するノウハウが蓄積されていきました。
一方で、140年の歴史がありながらも地元・高知のお客様が少なく、地元に貢献できる事業ができないかという課題感を持っていました。そして全国を飛び回る中で目にする、離農や少子高齢化で農業が荒廃していっている現状。農業資料・農薬を販売する井上石灰工業として、農業の活性化に寄与することはできないものかと考えていました。
転機となったのは、2010年くらいのこと。出張先でのふとした会話の中で出た、「自分たちでブドウを育てて、ワイナリーを始めてはどう?」という技術顧問からの一言で、全てが動き出しました。そこから井上石灰工業の井上社長と梶原さんは日本全国のワイナリーをめぐり、高知に自分たちのワイナリーを作る計画を立て始めます。
「ワイナリーは完全な異業種からの参入です。始めるまでは、そのハードルの高さには気づいていませんでした。気づいてなかったからこそ、チャレンジできたのかもしれませんね。」
その言葉通り、ワイナリー始動に向けて動き出した梶原さんの前に現れた幾重もの壁。何度もぶつかりながら、手探りでその壁をひとつずつ乗り越えていくことになります。
2012年からブドウの試験栽培を始めます。畑を耕し、まずはヨーロッパで一般的な垣根栽培を試しました。杭を立てる作業なども全て自分たちで行います。作業に必要なバックホーなどの重機を運転するための免許やクレーンの免許、それに付随するさまざまな資格を取得し、朝から晩まで畑に出て、ほとんどの時間を畑で過ごしていました。
そうして初めての収穫に漕ぎ着けたのは2015年のこと。収穫したブドウは山梨県に運び、委託醸造先で初めてのワイン造りを行いました。2016年、完成したワインをみんなで試飲し、「これならいける!」と確認し、同年に井上ワイナリーを設立。本格的にブドウの栽培と自社醸造に向けて進み始めました。
「初めて自分たちのワインを飲んだときには、『こんなに美味しいワインができてしまってどうしよう!』というのが正直な感想でした。我が子が世界一可愛いと思うのと同じ感覚ですね。そこから、テイスティングの会などを重ねて、冷静に分析していくと良いところと同時に改善が必要なところも分かり、目指しているワインの味わいとどれほどの乖離があるのかなども明確になっていきました。楽天的だったのは最初だけで、実際は反省点の方が多かったですね。」
その後、2020年までの4年間は山梨県で委託醸造をしながら、梶原さんらも山梨県に長期滞在して醸造を学びました。ひたすらワインの仕込みを学ぶ日々。長いときには5カ月間ものあいだ山梨県に滞在して、醸造の技術を身につけました。
経験のない梶原さんが一から醸造を学ばなくても、経験ある醸造責任者を他県から招いて、井上ワイナリーの醸造をしてもらうことも可能でした。しかし、その選択肢を取らなかったのは「“高知らしいワイン”を造りたい」という、井上社長や梶原さんたちの強い想いがあったからこそ。理想とするワインを実現するために、自分たちで醸造を学ぶことを決め、山梨県での研修を行ったのです。
高温多湿、日照量が多く、夏には台風もやってくる高知の土地は、ブドウ栽培には向いていないとされています。そのため、まず取り掛かったのが高知の気候でも生育可能なブドウの品種を選定することです。最初に植えたのは、「富士の夢」「エイトゴールド」「コベル」の3種。いずれもヤマブドウが掛け合わされた品種です。
「実際に育ててみると、高知のブドウは甲信越地方と比べて1〜2カ月ほど早いスケジュールで生育していくことが分かりました。高知では3月から作業が始まり、4月下旬から順次開花が始まります。5月のゴールデンウィーク明けくらいにはブドウの実がマッチ棒の先くらいの大きさまで膨らみ、梅雨入りの時期には小豆くらいの大きさまで育っているので、雨に弱いブドウでも病気などのリスクを最小にすることができています。また湿度についても、垣根栽培から棚栽培に切り替えることで根本周辺の通気性を良くするなど、栽培の工夫次第で弱点をコントロールできることが分かってきました。」
太陽の光を目一杯浴びて、成長の速度が早い高知でのブドウ栽培。加えて、フランス・ボルドー地域にも負けない良質な石灰質の土壌を有することで、ブドウの木に適度なストレスがかかり、それによりギュッと甘い実をつけるのです。
適さないと思われていた土地が、実は工夫次第で好適地になるのでは……。2012年から10年以上ブドウ栽培の研究を積み重ねてきて、高知の風土は決して逆境ではないという答えに行きつきました。
醸造所の建築に際しても、なかなかスムーズには進んでくれません。高知ではワイナリー建設のノウハウがある業者が見つからず、建築士や設計会社と一緒に全国のワイナリーへ出向き、設計図を見せてもらうなど2年以上の歳月をかけてワイナリーに必要な設備や設計を研究しました。そうして2021年に完成したのが、井上ワイナリーのいち醸造所です。
「たくさんのお客様にワイナリーの誕生を喜んでいただきました。醸造初年度のワインは発売から数カ月で完売に。お客様の嗜好に合わせて、他県で栽培したブドウで仕込んだワインを勧めても『高知産のワインを飲みたいんだ』と受け入れてもらえないなど、お客様の高知産ワインへの熱量が高いことに驚きと同時にうれしさを感じました。」
ただ、熱し易く冷めやすいのも高知県民の特徴です。飲み手が飽きないよう同じ品種でも少しずつ仕込みを工夫して仕上がりを変化させるなどして、8品種のブドウから20種類ほどのワインを醸造しています。
現在は、県内6カ所、約2.5haの畑でブドウを栽培し、青果で約20tの収穫、ワインとしては2万本(750ml)ほどの製造を行っています。
ワイン造りで味を決めるポイントは、原料のブドウが8割。それに加えて、収穫、発酵前の処理、酵母の選択、木樽を使うかどうかといった要素を組み合わせて、その年のワインができていきます。
井上ワイナリーは、フランス・ボーヌで開催された「フェミナリーズ・世界ワインコンクール2024」で「tosa cavatina梼原マスカット・ベーリーA樽熟成2022」(赤ワイン)と「tosa cavatina山北アルバリーニョ」(白ワイン)が入賞、「サクラアワード2024」では「tosa cavatina正光園シャルドネ」(白ワイン)が金賞に輝くなど、国内外で評価を得ています。
井上ワイナリーのワインの特徴は、辛口でキレが良いこと。食中酒として、食事と一緒に楽しめるワインです。たとえば、「鰹の藁焼き塩たたき」と合わせるならば「TOSA」というワインがおすすめ。渋みが少ないため食事に合わせやすく、詳細な統計データを見ても鰹との相性が抜群だということが明らかでした。高知の美味しい食べものと合わせて、みんなで楽しく飲むワイン。これぞ、高知の食文化に合うワインです。
こうした高知の食文化に合うワインこそが、井上社長や梶原さんなどが求めるもの。ではあるものの、“高知らしいワイン”とは何かという問いには答えることが難しいと言います。
「“高知らしいワイン”とは、造る側だけが決めるものではなく、飲み手と共に決めるものだと思っています。高知の食事に合うもの、好まれるものを10年、20年そしてそれ以上の時間をかけて飲み比べてもらって、いつの日か『高知らしいワインはこれです』と言えたらいいですね。どんなワインになっているのか、そのときが楽しみです。」
高知の太陽、土、風、水が育んだブドウと、理想を持ってワイン造りにあたる醸造家。どこかの模倣ではない、高知らしいテロワールから井上ワイナリーのワインが生まれているのです。
井上ワイナリー のいち醸造所
住所:高知県香南市野市町大谷1424-31
営業時間:10:00〜18:00(ショップ)
公式ウェブサイト(外部サイトに移動します。)https://www.tosawine.com
公式Instagram(外部に移動します。)https://www.instagram.com/inoue_winery/