高知県高知市
2024.06.28 (Fri)
目次
組子(組子細工)とは、飛鳥時代から続く日本の伝統木工技術。障子や襖といった建具の一部に細工として組み込まれており、釘を使わずに細い木片を組み合わすことで作り出す美しい幾何学模様が魅力です。
全国的に組子職人が減り、技術の継承に黄色信号が灯る中、技術革新や新たな挑戦に取り組んでいるのが、高知県高知市にある「株式会社 土佐組子」です。伝統に学びながら、組子の可能性を模索する若き社長にインタビューしました。
土佐組子の代表は、建具屋さん「岩本木工」の3代目として生まれた岩本大輔さん。高校卒業と同時に家業を継ぐために岩本木工に就職し、建具製作の技術を学び始めました。
といっても、家業を継ぐことを初めから望んでいたわけではありませんでした。幼い頃から、家族や周りの大人たちの「家業を継いでほしい」「当然、継ぐよね」という空気感をヒシヒシと感じていたという岩本さん。そうした周りの思いに反発し、中学校からは受験をして私立の進学校に進みました。
その頃、将来の夢として興味を持ったのは、発見や未知の分野への挑戦です。あらゆる分野に未知の領域があり、日々研究が行われ、技術革新につながっています。対して、家業である建具屋さんは、工芸品あるいは注文品として型が決まったものを製作し、納品するという仕事です。自分が目指す仕事の在り方とは違っているように見えていました。
そんな思いを抱きながらも、高校卒業後には岩本木工に就職。父親の元で、技術習得のために研鑽する日々が始まりました。いざ仕事を始めてみると、建具製作の世界にも誰も挑戦したことのない工法や技法があることを知ります。どうせやるのだったら、建具の世界で誰もやったことのないことをやりたいという思いが岩本さんに芽生えました。そう考えられるようになったのは、就職から5年ほどの歳月を経たころ。その頃から、この仕事のおもしろさにのめり込んでいきました。
「建具製作の仕事の中で、技術的にもっとも難しいのが組子細工とされています。おじいさんは習得する機会に恵まれず、父親は埼玉県で組子の技術を習得してきました。せっかく学ぶのであれば基本からしっかりと学びたいと思い、宮城県の職人さんに弟子入りすることを決めました。」
こうして、2010年に宮城県での修行がスタートしました。細かな部材を手作業で精緻に作っていく技術や、組子に使用する特殊な工具の手入れや修理。来る日も来る日も、夜遅くまで作業をしながら組子の技術を学んでいきました。そんな中、2011年3月に東日本大震災に見舞われます。
岩本さんは、また必ず帰ってくるという思いで荷物を残して一度高知県へ戻ります。しかし、先行きの見えない状況が続く被災地で、研修を続けることは困難となり岩本さんの組子細工の修行は約1年で終了することになりました。
高知県へ帰ってきてからは、建具製作の仕事と並行して、ひとりで組子に打ち込みます。宮城県で学んだ組子の技術を自分のものとするために納得のいく作品を仕上げていく、組子職人として技術を極めるための時間でした。
岩本木工の一員として、そして3代目として組子の技術を習得したものの、30年以上「安い建具」を販売してきた実績のある会社が、いくら優れた技術であっても「高い組子」を販売することは難しいという、厳しい現実に直面します。そこで、別会社を立ち上げるために動き始めます。建築家やデザイナーなど信頼できるビジネスパートナーとの出会いもあり、2016年に「株式会社 土佐組子」を設立。岩本さんが社長に就任しました。
「『土佐組子』と聞くと、そういう伝統工芸があるように思う人もいるかもしれませんが、これは造語で元々あったわけではありません。ですが、将来的には国の伝統工芸に認められることを目指したい。そして、高知県からたくさんの組子職人を輩出したいという思いを込めて『土佐組子』という社名にしました。」
かつては、日本の家のあちこちに見られた組子。今ではそうした需要が落ち込み、新築の住宅を建てるときには選択肢として挙がることも稀になっています。しかし、失われるにはあまりにも惜しすぎる技術。この組子を優れた伝統工芸として確立させたい、組子が身近にあった世代だけでなく、若い世代にも組子の魅力を知ってほしい。そんな想いから土佐組子がスタートしました。
「職人として組子づくりに打ち込んでいたときには、細工は細かければ細いほど良いもので、難しい技術を取り入れたものほど評価されるべき、そして価格もそれに比例するべきだと考えていました。技術の粋を尽くしたもの=お客様に喜んでいただけるものと考えていたのです。」
職人として技術を突き詰める中で、たどり着いた答え。それも間違いではないかもしれません。しかし、岩本さんはこの後、もうひとつの答えに出会います。
土佐組子を立ち上げ、職人としてあるいは社長としてさまざまな場所に出向く中で、たくさんの人と出会ってきました。デザインをする人、商品を販売する人、建築をする人、まったくの異業種の人、そして消費者。そんな中で、ある人から「良いものというのは、必ずしも手が込んだものではない。市場やお客様が反応するものが良いものじゃないか。」という意見をもらいます。
その言葉が胸にストンと落ち、そこからシンプルで分かりやすい組子を作るようになりました。大きくなればなるほど、一般の消費者にも組子ということがパッと見て分かる。そのため厳密には「組子細工」ではなくとも、多くの人にとって「これで良い」「これが良い」と思える組子の制作を始めました。
職人として技術の研鑽にあたっていた岩本さんにとっては、そちら側に振り切るのは葛藤もあったと言います。それでも、組子を未来へつなげるという目標を実現するために、分かりやすく組子のイメージを消費者へ伝えるという手段をとることは絶対的に必要でした。分かりやすく、そして美しいものづくり。「こんなのは組子じゃない」という批判があるのは承知の上。思い切って、制作の幅を広げることを決断しました。
2017年、自由な発想で新しいモノづくりに取り組む日本各地の若き「匠」をサポートする「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」に高知県代表として岩本さんが選定されます。そして、2019年にはプロジェクトの一環として、世界的な建築家・隈研吾氏とコラボレーションする若き匠が150人の中から2名選抜されました。そのひとりが岩本さんです。
隈研吾氏と土佐組子がコラボレーションして制作したのは「GUNE-GUNE」と名付けられた曲線が美しい組子の椅子です。兼ねてから、組子を立体で表現したいと考えていた岩本さんの思いが隈研吾氏と合致し、アート作品のような組子が完成しました。
「理論的にはできると分かっていても、削り出すことでたくさんの削り屑が出ることが分かっていたため、制作に踏み切ることができませんでした。このような特別な機会をいただきましたので、思い切って制作しました。」
制作したことで、立体の組子のおもしろさを改めて感じ、今後も取り組むべきプロダクトであることを確信した岩本さん。
一方で、改良すべき点も見つかります。ひとつは削り屑の多さ。予想していたことですが、やはり大量。これでは、部材を効率よく使うことでロスが少ないという組子の良さが消されてしまうため、そこは改善しなければなりません。
こうあるべきという枠を一度外して取り組んでみたことで、見えてきた新しい壁。岩本さんにとっては、また次の挑戦に向かうチャンスです。
近年、土佐組子が制作に取り組んでいるのが耐力壁です。新築・改築にかかわらず用いられる耐震補強のための壁で、「筋交い」なども耐力壁に用いられる部材のひとつです。これに組子の技術を転用して作っているのが、土佐組子の「組子耐力壁」。
「東京大学の稲山正弘教授と協力して作ったのが、組子耐力壁です。これも厳密には組子細工ではないですが、組子の技術を転用した、伝統紋様の美しい実用性のある商品です。また、前述した立体作品も組子の技術を転用したもので、組子ではありません。組子細工の職人として、よりたくさんの人に組子の魅力を知ってもらうために、こうした作品や商品をこれからも作り続けていきたいです。」
組子職人として取り組みたいこと、そして組子の未来のために取り組むべきことは何か。さらに、もっと根源的な「組子とは何か」。岩本さんの中にはそんな「問い」がずっとあるようです。
革新的でありながら、凛とした美しさを宿した土佐組子のものづくり。土佐組子が見ているのは、伝統に学びながらも、その枠をはみ出すことで見えてくる組子のまだ見ぬ可能性です。その先にどんな未来が広がっているのか、これからの挑戦が楽しみです。
土佐組子
住所:高知県高知市春野町西分80-1
公式ウェブサイト(外部サイトに移動します。)https://tosakumiko.jp