福岡県北九州市
2024.08.23 (Fri)
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昭和初期に一度は生産が途絶えた「小倉織」。40年前、染織家の築城則子さんによって復元・再生され、現在では、その美しさがアートの世界で注目を集めています。国内外の美術館に収蔵されるほど高い評価の作品を生み出す築城さんに、なぜ「小倉織」が世界を魅了するのか聞きました。
小倉織は、豊前小倉(現在の福岡県北九州市)の特産品として江戸時代に誕生しました。小倉という場所は比較的カラッとした気候であり、当時から小倉織の生地となる木綿が採れたそうです。
小倉織は、経糸の密度が高く丈夫であることから、武士の袴や帯として広く使われ、古くは徳川家康も小倉織の羽織を愛用していたのだそう。その後、明治時代の文明開化で和服から洋服への転換が進み、この時期には機械化も進んでいきました。すると、手織りの袴の需要は減少し、かわって機械織りの霜降り小倉木綿が男子学生の制服として全国に広がっていきます。
そんな歴史を持つ小倉織の特徴は、なんといっても経糸を多く使用した縦縞模様です。経糸の密度は緯糸(よこいと)の2倍以上で、緯糸がほとんど見えないほどの高密度。この織り方により、色の濃淡が立体的な効果を生み出し、深みのある美しさを引き出します。
世界中を見ても、小倉織ほどの密度で経糸を使用した織物はないのだそう。一度途絶えた小倉織だからこそ、伝統に縛られすぎず、着想、イメージにこだわって作ることができる。そのデザイン性が海外でも評価されています。
隣り合う経糸の色は微妙に異なり、細かな濃淡を表現しています。通常は緯糸の色味が被さって干渉してしまいます。「このデリケートなグラデーションを出せるのは小倉織だけ」と築城さんはいいます。
織物はまず経糸をセットしてデザインを決めます。一度セットした経糸は変えることができない一方で、緯糸は織り進めながら使う糸を変更していける。この関係性を、「経糸は頭で決断する“理知”であり、緯糸は“感情”だ」と築城さんは表現します。
「自分の感情に合わせて、感じ取った色の糸を緯糸で表現するデザイナーさんもいます。私は、感情を閉じ込めるように経糸だけが突出している縞模様が好きなんです。」
小倉織へのまっすぐな想いを語る築城さんですが、実はもともと文学の道を目指していたのだといいます。「学生時代はジャーナリズムの世界に進む気満々でした。本格的に文学を学ぶために、北九州から東京へ上京。そこで演劇文学を学び始めたことをきっかけに、能装束に魅せられ、私も作ってみたいと思ったんです。」
その後、京都の工房で能装束の工房を訪れましたが、思い描いていたような感動を得られなかったのだそう。「私が惹かれたのは、能装束の模様ではなく、色の美しさだったのだと気づかされました。」
大学を中退した築城さんは、染織家として活動を始め、さまざまな伝統工芸技術を学びました。勉強のために訪れた地元・北九州の骨董店で見つけたのが、小倉織の小さな切れ端でした。当時から緯糸の色に干渉されない経糸の表現を求めていた築城さんにとって、「幸せな出会い」だったといいます。
生産が途絶えていた小倉織を復元、再生しようと動き出した築城さん。残されていた小倉織の切れ端を参考にし、同じように織ってみたものの、艶やかさを再現することができませんでした。研究を重ねるうちに、そのなめし革のような艶やかさは長い間使い込まれた経年変化によるものだと判明。
「現代ではそこまで使い込む人は少ないと思いました。そこで、糸を細くし、経糸本数を増やすことで、初めて手に取った時点からなめし革のような質感を出せるようにしたんです。そのため私が織る小倉織は、昔のものより経糸がさらに高密度になってます。」
こうして、築城さんは1984年に小倉織の再生・復元に成功。「小倉織の復元・再生までは2年で成功しましたが、その後の『私らしいデザイン』を追求する過程の方が大変でした」と築城さんは語ります。
「過去の小倉織は藍色や茶、グレイの縞模様が繰り返されるシンプルなもの。そこに『私らしさ』をどう加えるかを模索し、自分が小倉織のどんな部分に惹かれたのかを深堀りしていきました。」
最終的にたどり着いたのが濃淡です。染め物のようなグラデーションを織物でも表現することが、自分の求めたデザインであり、小倉織の特色を最大限に活かせるという結論に至ったといいます。
現在も築城さんは、滑らかさと凛とした色合いを持つ「はんなりくっきり」な小倉織を作るために、日々挑戦を続けています。
築城さんの手によって復活した小倉織。現代のライフスタイルに合わせて販売するべく、2007年に妹の渡部英子さんらと共に、オリジナルブランド「小倉 縞縞」をスタートさせました。新しい時代の小倉織として、テキスタイルをはじめ、小物、洋服、インテリア商品など多様なアイテムを取り扱っています。
築城さんは、「手織りの表現」を追求する一方で、「小倉 縞縞」では機械織りを導入し、汎用性のあるアイテムづくりを実現しています。
「私の手織り作品をお求めいただけるのは本当にありがたいことです。しかし、手織りには作れるサイズの制限があり、帯などの限られた品しかお届けできません。多くの人が長く使える汎用品があれば、小倉織の特長である『使い込むほどに増す美しさ』を楽しんでいただけると思いました。汎用性ある商品作りには機械織りの導入が必要だったんです。」と築城さん。
機械織りになっても、その価値は変わりません。手織りが生み出す「たて縞の美しいデザイン」と木綿の「艶やかでマットな質感」を、機械織りでもできる限り再現しています。この再現力の秘訣は、現代の最新技術にあります。
自社工場では、国内でも希少な整経機が稼働しており、経糸の配置など細かい指示を機械に出すことができます。コンピューターにデータ入力することで、難しいストライプも忠実に再現できるようになりました。
小倉織が持つ従来の美しさは数々のアーティストも惹きつけ、「小倉 縞縞」とのコラボレーションが生まれています。
「伝統工芸は、その土地の持つ風土と気質を反映する」と話す築城さんに、小倉がどのような場所なのか尋ねてみました。
「一言でいうと不器用な街です。近隣都市の博多と比べると、この街の人々はシャイで控えめ。派手さを求めるのではなく、質実剛健で、ものづくりの精神に富んでいます。『筋を通す』人柄が小倉織にも表れていると思います。経糸が多いと織りにくい。それでも楽な方に流れず、貫き通してきたのは不器用で融通が効かないという表れではないでしょうか。袴から学生服を作り出した明治時代の先人たちがそうしてくれたように、『守り』と『攻め』のバランスを大切にしていきたい。」と語ってくれました。
伝統へのこだわりと自由な発想で生み出される「小倉 縞縞」や築城さんの小倉織に今後も注目です。