大分県別府市
2024.08.27 (Tue)
目次
日本古来の養生法である「湯治(とうじ)」は、温泉地に長期滞在して温泉に浸かったり、ゆっくり休息したりして、心身の療養をしていくことです。この湯治文化は、昨今、忙しい日々を送る都市の人々にとっての「リトリート」としても、最注目されています。
今回は、別府と東京の二拠点生活をしながら、湯治を日常に取り入れることを提唱するライフスタイルブランド『HAA』を立ち上げた池田佳乃子さんに、地元・鉄輪温泉の湯治文化をご紹介していただきました。
大分県別府市は、日本有数の源泉数と湧出量を誇る温泉の街。代表的な「別府八湯」の中でも、最も多く湯けむりが集中する鉄輪温泉は昔から湯治が盛んな温泉場として知られています。豊富な噴気で野菜などを蒸して食べる「地獄蒸し」や、熱せられた床の上に薬草を敷いた「むし湯」など、独自の温泉文化が魅力。現在でも、海外からの旅行者も含めて、多くの人を惹きつけています。
そんな別府市に生まれ育った池田さんは、就職後、東京に移り住み広告代理店や映画会社に勤務していました。そして都会で多忙な日々を送っていた30歳を目前に、地元に貢献できるような、地域を活性化できるような何かをしたいと一念発起。それまでの仕事を辞め、東京と鉄輪温泉の二拠点生活を送り始めます。
「東京では、マーケティングに関わる仕事をしてきていたので、その分野で自分のできることをやろうと別府のお手伝いをするようになりました。鉄輪温泉の女将さんたちと話し合ってコワーキングスペースを立ち上げるなど、地域を盛り上げることに携わってきましたね。
(現在の)二拠点生活を後押ししてくれたのは、実は夫なんです。結婚して半年後くらいからこの二拠点生活を始めたんですけど、『別府と行き来すればいいんじゃない?』と夫にいわれたのがきっかけでしたね。」
建築家として、“暮らし方”について常に考えているパートナーの理解もあり、2人に合った心地いいライフスタイルについても柔軟に考えることができたといいます。こうして、池田さんの鉄輪温泉と東京を行き来する二拠点生活、そして、湯治が日常にある暮らしが始まったのです。
都会に住む人も、温泉地に旅行することはよくあります。温泉旅行は1泊、2泊の旅であっても、疲れた心と体に癒しをもたらしてくれる非日常の体験です。一方、池田さんにとって、鉄輪温泉の湯治場は「ハレでもケでもない場所」。特別な日(ハレ)でもなく、かといって日常(ケ)でもない場所として、日常の自分と距離を置ける場所なのだといいます。
「例えば、近所にある温泉は100円で入れるんですよ。午前中仕事をして、休憩がてら湯に浸かります。そこで呼吸を整えて、ちょっと自分を見つめ直すような時間を作ります。そしてまた仕事に戻っていく。日常の中で、ふっと別世界の時間をもっているような感覚ですね。」
まさに、日常の中に温泉がある暮らし。しかも、ただ温泉が身近にあるだけでなく、街の人々との触れ合いが豊かな心を育んでくれるのだと池田さんは語ります。そんな鉄輪温泉の暮らしぶりを池田さんに案内していただきましょう。
まず案内してくれたのは、鉄輪温泉の中心部にあるコワーキングスペース「a side – 満寿屋-」。かつて湯治宿だった建物をリノベーションした、古さと新しさが交わる心地いい空間です。アイデアがふっと湧き出てくるような、いつもと違った「仕事時間」を過ごすことができます。お向かいには、100円で入湯できる湯治場も。
「コロナ禍以降、ワーケーションのような形で別府に長期滞在される方も利用していますね。ちょっと離れた大分市街のビジネスマンの方が『今日はここに籠もるぞ』なんて利用していたりもします。移住者のみなさんとの交流の場としても活用しています。」(池田さん/以下同)
続いて案内してくれたのは、『やおや六画ストア』の別府店。鉄輪のメインストリートともいえる「いでゆ坂」にあります。市場や農家に足を運んで仕入れるという臼杵の「ほんまもん農産物」を中心とした野菜が揃い、店内で購入した野菜を旅館に持ち帰って“地獄蒸し”を楽しめます。
「鉄輪温泉の“地獄蒸し”は、昔から宿泊者の皆さんが自分で調理する文化があるんです。だいたいの宿泊施設で、蒸すための設備やザルの貸し出しをしてくれるので、こういったお店でお野菜を買って、宿泊先で楽しむんですよ。」
六画ストアのもうひとつの魅力が、季節の野菜や果物を使用したスープやジュースを提供しているところ。旅行者が散策ついでに、あるいは住民の方が小休止がわりに六画ストアをおとずれ、店内のイスに腰掛けてジュース片手に会話を交わすことも。定期的にイベントを主催するなど交流の場所としても機能しているのです。
続いては温泉。今回は鉄輪温泉の中でも人気の「蒸し湯」に案内していただきました。「鉄輪むし湯」は鎌倉時代の建治2年(1276年)に一遍上人(いっぺんしょうにん)によって開基された施設です。
続いては、鉄輪温泉の湯治文化の象徴的な料理「地獄蒸し」を懐石風にご提供してくれるお店「蒸士茶楼」へ。料理長の前田進一郎さんは、長年中華料理に携わる中でいち早く低温スチームの調理法をとりいれ、さまざまな研究の末、鉄輪温泉の地獄蒸しに出会いこのお店を構えました。
食材を50℃のお湯で洗い、pH値の絶妙なバランスを保った鉄輪温泉の湯気で低温スチームする独特の手法は食材本来の栄養素を失わず、旨味を最大限引き出してくれるそう。また、前田シェフは薬膳料理にも精通しており、体を中から整える料理をフルコースで味わえます。
最後に、池田さんおすすめの宿をご紹介してもらいました。「二彩乃湯宿 アサヒヤ」は創業95年の老舗宿です。2022年に大規模リニューアルし、歴史とモダンが融合した、洗練された空間に生まれ変わりました。アンティーク家具とデザインにこだわった全10室は、どれもモダンでありながら、温泉宿としての奥ゆかしさを残します。また、この宿では食材を持ち寄って『地獄蒸し』が利用できる厨房があり、宿泊客にも人気です。
「古い鉄柱や、壁など細かいところで古き良き建築の雰囲気を残しているところが好きなんです。部屋は、メゾネットだったり大胆に間取りをアレンジしていたりして、ご夫婦やご家族でゆっくり湯治を楽しむのにおすすめです。」
さて、池田さんにご紹介いただいた鉄輪温泉の湯治文化。もちろん実際に別府に来て湯治を体感してもらうことが理想ですが、多くの人にとっては難しい。そこで、少しでも日常に深呼吸ができる余白を作ってほしいとの思いを込めて池田さんが立ち上げたのが、ライフスタイルブランド『HAA』です。
『HAA』は、2021年に「日常に、深呼吸を届ける」をミッションに掲げ設立。ブランド名『HAA』=「ハー」は、お風呂に入ったときに思わず吐いてしまう最初のひと呼吸から名付けられています。
「鉄輪温泉を歩くと、至る所から、おじいちゃんとかおばあちゃんの 「はぁーっ」という声が聞こえるんですよ。こういう緩んでいる状態を、誰にとっても、どこにいても作りたいと思って、『HAA』と名付けたんです。」
実際、鉄輪温泉へ湯治をしに来てくれた人からも、都会に帰ったらせっかく整った身体のリズムが元に戻ってしまうとの声が聞かれていたのだそう。池田さんは、この問題を解決するため、都市に住む人が気軽に使え、限りなく天然温泉成分に近い入浴剤『HAA for bath』をリリース。現在も、深呼吸するきっかけとなるような商品づくりに取り組んでいます。
池田さんが生まれ育った別府に、今も残されている湯治文化。現代においての湯治とは、生活する上での重要な4つのポイント「入浴」「食事」「休息」「睡眠」をよりよく循環させていくことだと、HAAは掲げています。湯治場という場を越えて、心と身体の根幹に直接アクセスするような時間を作ることさえできれば、都会でも世界でも新たなライフスタイルとして根付くことは可能だと池田さんは語ります。
「深呼吸って普遍的なものだし、なんといっても、誰でもタダでできちゃうことですよね(笑)。そこが、すごく面白いなと思っていて。
今、海外でも“ONSEN”といって観光地としても注目されていますし、別府でも、地獄めぐりには海外からのお客様が多く来てくれています。
今後は、どうしたらこの湯治文化を絶やさずにいられるかっていう視点を持ち続けながら、海外の人にも湯治場まで足を伸ばしてもらえるように、深呼吸することの大切さとか、湯治文化を知ってもらいたいと思っています。世界中の人が深呼吸をしたら、この社会がもっと優しくなるだろうって確信しているんですよ。」
池田さんはこれからも、『HAA』を通じて、日常のさまざまなシーンに深呼吸を届けてくれることでしょう。
HAA
公式オンラインサイト(外部のサイトに移動します。)https://haajapan.com/