2024.10.15 (Tue)
目次
長崎市三原の人里離れた斜面地に、どこか懐かしさも感じさせる美しい庭園があります。私財を投げ打ってオープンガーデンをつくったのは、庭園デザイナーの石原和幸さん。いまは亡きエリザベス女王から「緑の魔法使い」と称えられる石原さんが、なぜ長崎の小さな庭園で思いを込めるのか、日本のローカル点在する庭園の魅力についてお話をうかがいました。
イギリス・ロンドン中心部南西に位置する高級住宅街のチェルシー。イギリス王立園芸協会の主催により、この地で毎年5月に開催されるのが、世界最高峰の園芸コンテスト「チェルシーフラワーショー」です。
石原さんは2004年以降、このチェルシーフラワーショーで8年連続を含む計12回のゴールドメダルを獲得し、2016年には全部門の最高賞にあたるプレジデント賞を受賞。2010年に「風花 -kazahana-」という作品を出展したときには、亡きエリザベス女王から「あなたは緑の魔法使いね」と称えられました。
世界を舞台に庭園デザイナーとして活躍しながらも、石原さんの情熱は、広島県庄原市の「庄原さとやまオープンガーデン」、福岡県福岡市の「一人一花運動」「花による共創のまちづくり」など、花や緑を生かした地方の街づくりに注がれています。
そもそも、チェルシーフラワーショーでエリザベス女王から称えられた「風花 -kazahana-」という作品自体、自身の生まれ故郷である長崎市三原で目にした原風景を表現したものでした。
なぜ石原さんは地域の街づくりに情熱を注ぐのでしょうか。その理由は「緑化によって街が変わる」という揺るぎない信念です。
石原さんは1冊の本を手に取りパラパラとめくりながら、「この本が大好きなんですよ」と話し始めました。その本とは、イラストレーターの東京幻想さんの『東京幻想作品集II かつて東京と呼ばれた場所へ──』(芸術新聞社)。東京の街並みを廃墟のように描く幻想風景を発表し続けているアーティストの最新作です。
「この本は、手に取った人それぞれのなかにある、東京の街や建物への思い出を重ねることで、唯一無二の幻想へと導いてくれます。僕は長崎出身で、両親が原爆を被爆した被爆二世なんです。ただ、原爆が投下されてから13年後に生まれましたから、僕が直接知っている長崎の風景は圧倒的といえる大自然でした。」
その一方、両親や地域の人々からは被爆の悲惨さを聞かされて育ったという石原さん。その結果、被爆当時の光景と現在の長崎の美しい景色が同時に記憶され自身の原風景になったのです。
「花農家だった父を助けるために華道の池坊に入門したのが22歳、チェルシーフラワーショーに初参加したのが46歳のときでした。両親の被爆や、そうした庭園づくりを通じて理解したのは、僕たちが当たり前のように見ている景色は人間が壊すこともできるし、緑化によって変えることもできるということです。」
石原さんは「緑化率を高め、そこに行かないと体験することのできない風景をつくれば人が集まり、不動産価値が上がり、街が変わります。国だって変えることもできます。」といいます。
「僕はもう66歳なので、毎日必死です。次の世代や不動産会社のオーナーなどに“街を変えるエネルギー”をもってもらい、花や緑を生かした街づくりを進めていくにはどうすればいいか日々ずっと考えています。」
そうしたなか、石原さんの前に“街を変えるエネルギー”をもった若い世代が現れます。
そのうちのひとりは、コロナ禍に仕事を失った福岡県柳川市に住む青年です。失業した息子を励まそうと考えた母親が「予算100万円で自宅に庭をつくってほしい」と石原さんに依頼してきたのがきっかけでした。
「その依頼に対して、僕は『やめたほうがいいですよ』と返事をしました。自宅に庭をつくっても、青年が直面している状況は何も変わらない。それよりも、僕の名前を利用していいから、その100万円で柳川を花でいっぱいにしてみたらどうですか、と。」
こうした経緯からできたのが、2022年4月に柳川市内にオープンした「石原和幸デザイン研究所 柳川出張所」です。
「その青年は柳川を花でいっぱいにするために働き、年間約5,000万円の仕事を受注するようになり、観光客を呼び込むために民泊もつくりました。一方、僕も柳川市から柳川観光大使を委嘱され、街を花と緑でいっぱいにするため頑張っています。」
もうひとりは、広島県庄原へ講演に行った際に出会った聴衆でした。庄原市は過疎化が深刻な地域です。そこで、石原さんは「この美しい景色は地域の財産です」と語りかけたそうです。
「すると、庄原市のみなさんが『具体的にどうやったら人がきてくれるようになるんですか?』と問いかけてきました。僕はみんなで『どうしよう』と相談している間は無理だと思いました。だから、『たったひとりでも、鬼のように燃えて行動する人がいたら地域は変わります。そういう人がいるなら協力しますよ』といったんです。すると、本当に手を上げた人がいたのです。」
その人は石原さんをアドバイザーにして「しょうばら花会議」を設立し、「庄原さとやまオープンガーデン」という事業を始めました。オープンガーデンとは、個人や企業、団体などが管理する花や庭園などを一般に公開するイベントのことです。
「オープンガーデン事業は庄原市の唯一の観光資源となり、50もの庭園をつくって多くの観光客を集めています。少子高齢化が深刻な過疎地だったのに、現在は移住者も増えました。これは緑化による街づくりを始める前は考えられなかったことです。」
もちろん、地域の人々に“街を変えるエネルギー”をもてというだけではありません。石原さん自身も故郷の現状を憂い、思い切った行動を起こします。そう、それが長崎市三原の里山に石原さんが私財を投げ打ってつくり上げた「三原庭園」です。
三原町は長崎市内から車で15分程度の位置にあり、遡れば「潜伏キリシタン」と呼ばれた人々がつくった集落です。斜面地にある里山で、道幅が狭いどころか道そのものがありませんでした。
「父は被爆して家族を失った人々の面倒を見るために、ここ三原で農業を始めました。両親は僕を畑で育ててくれたわけです。コロナ禍のころ『このままでは故郷が消滅してしまうかもしれない。それでいいのか』と自問自答してモヤモヤしていたんですね。ただ、何をするにしても、そこには大きな壁がありました。私財をすべて注ぎ込んでも足りないくらいのお金が必要だったのです。」
そのとき石原さんが思い出したのが、サグラダ・ファミリアの設計に1926年に亡くなるまで生涯をかけて携わったスペイン人の建築家、アントニ・ガウディの言葉です。
サグラダ・ファミリアは贖罪教会といって、その建設予算はカトリック信者の寄附によってまかなわれてきました。しかし、1880年代のバルセロナの街には貧困層があふれ、教会を建設するような予算はほとんどなかったとされています。
「ところが、ガウディは『予算がないのがいいんだ』といったそうです。予算があると、そこで発想がストップする。予算がないというのは、自由な発想ができるということ。どんな絵も描くことができるわけです。だから、僕もお金なんか気にせず、むちゃくちゃな絵を描きました。10人に相談したら、10人全員に反対されたくらいです。それで余計に心に火がつきました。そうやって2020年8月にグランドオープンを迎えました。」
それから4年余り。石原さんは「僕の夢は建築物の最高峰、サグラダ・ファミリアを庭園で超えること」といいます。
「僕は死ぬまで三原で庭をつくり続けるつもりです。止まったらそこで終わり。だから、今後は僕の意思を受け継ぐ人材も育てなければいけない。そうやって三原庭園はずっと続いていくのです。」
花や緑で少しでも地域に貢献していきたい。その思いは三原庭園とともにいつまでも続いていくことでしょう。三原庭園が日本のローカル・長崎の地で今後どのように進化していくのか、いまから楽しみです。
三原庭園
住所:長崎県長崎市三原2-26-11
営業:10:00~20:00 年中無休
入園無料
TEL:095-841-8066
公式ウェブサイト(外部サイトに移動します。)
https://www.miharagarden.com