三重県志摩市
2024.10.25 (Fri)
目次
山間に湾が入り組む美しい景観が広がる三重県・伊勢志摩地方。ここ伊勢志摩は真珠養殖の発祥の地です。明治26年(1893年)、御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功して以来、英虞湾を中心に一大産業となりました。しかし、現在では後継者不足により産業は縮小、過酷な作業にもかかわらず生産した全ての真珠が市場のルートに乗るわけでもない。そんな現状を見て、真珠の新たな魅力に焦点を当てた「SEVEN THREE.」(セブンスリー)が誕生しました。
今回は伊勢志摩で真珠養殖を70年以上続ける中北敏広さんと、ブランドを立ち上げ真珠の魅力を伝える孫の尾崎ななみさんにお話をうかがいました。前編では真珠ができるまでの過程をお届けします。
伊勢志摩の英虞湾は日本有数のリアス式海岸。山々の間に海水が入り込み、複雑な海岸線が広がります。湾が入り組んでいることから風の影響を受けにくく、波が穏やかで安定しています。さらに、豊富なプランクトンが山から流れ込むなど真珠養殖に適した環境が整い、三重県はアコヤ真珠養殖国内3位の生産量を誇ります。国内生産地のなかでも伊勢志摩は、夏と冬の寒暖差により美しい真珠が毎年冬に誕生するといいます。
中北敏広さん(88)はここ英虞湾で、70年以上真珠養殖業を営んできました。「中学卒業後の翌日から年の離れた兄の家業、真珠養殖業に就いてね。それから毎日のように海に出てずっと真珠を作っています。」作業をしながら養殖業について語ってくださる中北さん。チャーミングな笑顔と巧みな動きに思わず引き込まれます。
真珠はまず、母貝を育てることから始まります。顕微鏡で見なければならないサイズから手のひらのサイズになるまで、約2年。プランクトンから栄養を取り込み母貝をしっかりと育てます。次にその母貝に、裁断した「外套膜」と、真珠の中心になる「核」を入れます。
この「核入れ」と呼ばれる作業は、年に2万個の貝に入れる途方もないもの。それを中北さんはひとりで行うのです。5から6月にスタートし、秋頃まで続くこの繊細な作業は、長年養殖業に携わってきたからこそなせる職人技。
核入れをした貝は、15から20日に1度表面の掃除をします。網の中に入れ海中で育てているうちに、海藻や虫が貝の周りに着き、呼吸ができなくなったり、栄養分が取られたりしてしまうため、定期的なメンテナンスが必要となるのです。
中北さんは夏の暑い日も日の出ごろから養殖場へ行き、天候を見ながら夕方まで作業を続けているそう。日々の作業で鍛えられた足腰で、海の足場を軽快に歩き、暑さもものともせず作業を進めるたくましい姿! 疲れた様子を見せることなく、次々と作業をこなしていきます。
自然環境に左右される真珠養殖。数年前には伝染病が深刻化しました。「一番大変なのは台風と地震。津波が来るとみんな持ってかれてしまう。天気予報や地震はいつも気になる。それから、昔よりなぜか貝が死ぬことが増えたね。」
こうした過酷な労働のなか、来る日も来る日も丁寧に手をかけ少しずつ真珠を大きく育てます。
海の中で真珠は夏から冬にかけて、真珠の層を厚くしていきます。外套膜から分泌される真珠質が、核のまわりに何層もまかれ、次第に数百〜数千の層ができ、真珠が作り上げられていくのです。
真珠養殖業者が真珠を取り出す時期は12月から1月。夏の間に分厚くなった真珠層が、冬になり寒くなると締まり、その輝きが一番美しいとされるからです。
「この時は一家一同集まり、子ども、孫、ひ孫も集まってくれます。1年の成果ですし、嬉しいですね。『祭』といっています。」とまるで少年のような笑顔を見せる中北さん。
祭といっても作業は過酷です。極寒のなか、海の上の小屋で取り出し作業をします。ストーブが使えないため、凍えそうな気温に耐えながら、日の出から日の入りまで作業をするのです。4〜5日かけて、今年分の1万〜1万5000個を一気に取り出します。
ひとつの貝から採れる真珠はたったの一粒。豊かな自然の恵みと職人の努力により、3〜4年かけてようやく真珠ができあがるのです。
大変な作業を乗り越え、家族一同集まって、その一粒を手にしたときは喜びもひとしお。『祭り』の様子を話す中北さんから、あふれんばかりの嬉しさが伝わります。
このような長い年月と手作業を経てできるこの地で作られた真珠は、世界的にも美しいといわれています。
こうして長い年月をかけて生まれた真珠ですが、すべてが「真円・真白」ではなく、シルバーや水色など様々な色や、形があるものもできあがります。そのまま売られるものもありますが、多くは加工や調色され市場に出るのだそうです。
そんな業界の常識に疑問を抱いたのが、中北さんの孫の尾崎ななみさんです。尾崎さんは、小さいころから中北さんの養殖場で遊んでいたそう。真珠は当たり前に側にある存在で、真珠養殖業を「仕事」としてみたのは今から10年前のことでした。
おじいさん譲りのチャーミングな笑顔と、自然のなかでのびのびと育った真っ直ぐさを感じさせる尾崎さん。高校卒業後、上京しモデルやタレント活動に励んでいました。転機が訪れたのは2014年のこと。第58代ミス伊勢志摩に選ばれ観光PRをすることになり、東京と伊勢志摩を往来する生活が始まりました。
「毎月、三重に帰り、伊勢志摩の観光や産業をPRするなかで祖父の仕事は地元の一大産業なのに、どのように作っているかをよく知らないことに気づいたんです……!そこで、祖父にくっついて、真珠養殖を教えてもらいました。1年が経つころには多くの課題が見えてきたんです。」
伊勢志摩の真珠養殖業は、バブル期をピークに徐々に衰退。現在の伊勢志摩の真珠養殖業者は50〜60代が中心で、深刻な後継者不足が挙げられています。「昔は200軒くらいあったけれど、今は十分の一くらいになったかな」と、中北さん。
自然の環境により変動も大きく、貝のウイルスが発生したときには育てた貝が大量に死んだことも。尾崎さんは自然と共に作ることの過酷さを肌で感じ、伊勢志摩の真珠養殖業の厳しい現状を知ったといいます。次第に、この努力によってできあがったすべての真珠をなんとかしたいと考えるようになりました。
真珠は競りによって、取引が成立します。その時の需要と供給の関係で高く売れることがあれば安くなってしまうことも。
「高く売れるものだけが価値がある真珠というわけではありません。真珠の品質は業界や会社の基準はあるものの、ダイヤモンドのように明確な世界基準がないんです。」(尾崎さん)
私が重要視している判断基準のひとつが、輝きです。真珠の輝きを『照り』といい、その強さが高品質の基準のひとつに挙げられます。真珠層の重なりを『巻き』といい、『巻き』が厚いほど内側から力強く輝き良質で深い光沢が出ます。つまり『照り』が強く、『巻き』の厚みは、品質が高い真珠の特徴だと尾崎さんは話します。
「形は、丸でも歪でも実はどちらも一番なんですね。また、色は白が一番良いという基準もないんです。選んだ形や色を、素敵だと思って決めていただけたら嬉しいです。」
自身も大人になるまで真珠が作られる過程や、どのように売られているかを詳しく知らなかったことから、他の人はなお一層知る機会がないと考えました。
「品質が良いのに報われていないという現状を見て、職人たちが一つひとつ大切に、長い時間をかけて育てた伊勢志摩の真珠の魅力を伝えたい! と思ったんです。」
そのまっすぐな想いから、尾崎さんは、ある行動に出たのです。
(後編へ続く)