京都府京都市
2026.01.22 (Thu)
目次
京都には、長く愛される“ええもん”があります。それは形あるモノに限らず、土地に根づいた美意識や、丁寧に暮らす人の姿勢そのもの。この連載では、そんな「京のええもん」をよく知る京都の人々に、愛用品やその魅力を語ってもらいます。京染めの悉皆屋である日根野勝治郎商店の三代目・日根野孝司さんは、京友禅の伝統工芸士として着物作りに携わっています。その一方、仲間たちと立ち上げたブランド「SOO-ソマル-」では京染めの技術を活かしたメガネ拭き「おふき」をリリースするなど、新しい取り組みに挑戦中。日根野さんが愛用しているのは、京都の織物職人さんたちの技術が集結した「お召(めし)」。伝統を守りながら、現代に合わせてアップデートする。その姿勢は「おふき」にも、愛用品の着物選びにも一貫していました。
日根野孝司さん
プロフィール:1976年、京都市生まれ。京友禅(型染部門)伝統工芸士。京染めの悉皆屋・日根野勝治郎商店の三代目。株式会社日根野勝治郎商店の代表取締役。「SOO-ソマル-」の代表。京都友禅協同組合の理事。呉服関連だけでなく、現代の生活で使えるプロダクトの開発にも取り組む。京都で作られる伝統的な染織品・京友禅の普及活動に力を入れている。
愛用品:お誂えの着物「お召」

日根野さんが代表を務める日根野勝治郎商店は、京都で三代続く京染めの悉皆(しっかい)屋です。悉皆というと着物の染め替えや洗いといったメンテナンスやクリーニングという印象があるかもしれません。着物業界では、このメンテナンスは「後悉皆(あとしっかい)」と呼ばれています。日根野さんが営むのは白い生地を色や柄に染め上げる「前悉皆(まえしっかい)」。京都・室町の呉服メーカーなどを中心に約30社からオーダーを受けます。染める内容に合わせて職人さんを選び、染め加工を依頼。染め上がった生地は着物や小物などになります。その後、問屋さんを経て全国の小売店へと流通します。日根野さんはいわば、染色加工のプロデューサーなのです。
呉服業界のピークは1973年頃でしたが、急速に業界全体が右肩下がりになっていきました。2023年には呉服業界全体の売り上げは2,200〜2,300億円と、ピーク時の100分の1にまで減少しています。
「着物が売れない。全国の職人さんや問屋さん、小売店がつぎつぎと廃業。京都友禅協同組合の青年部メンバーで『呉服業界が危ない。なんとか活路を見出そう』と、打開策を模索し始めたのが10数年前。商品開発のための勉強会を始めたものの、2年間は何もアイデアが浮かびませんでした。」
ある日、ふと、父親が老眼鏡のガラスを正絹(しょうけん)で拭きながら『正絹は、メガネの汚れがよく落ちるんやで』とつぶやいていたことを思い出し、商品化できないかと考えました。正絹とは、絹100%の上質な生地のことです。京都市染織試験場に染めた正絹を持ち込み、試験を依頼しました。試験員が手作業で何万回もメガネのガラス面を拭き、電子顕微鏡でチェックしたところ、傷がついていないことが確認できました。

2016年、手描き友禅の関谷染色、振袖などを染める板場友禅の安藤染工、株式会社美和、日根野勝治郎商店の4社が合同でブランド「SOO-ソマル-」を設立。京友禅のメガネ拭き「おふき」の販売をスタートさせました。

「おふき」は、なめらかな手触りの絹ときれいな発色が特徴。モチーフや柄は、伝統的な図案や四季折々の風物、京都の名所など多彩です。製造工程は、着物と同じ。いくつもの工程を重ねていきます。製造現場は、染めの加工場。職人さんが振袖や着物用の生地を染める横で、同じように「おふき」の生地を染めています。

正絹に、下染めで柄を施します。

型屋さんが彫った「モチーフ型」を生地に乗せ、その上からまた別の色を重ねて染めていきます。
生地に色を定着させるため蒸し、その後水洗い。乾いたら整理後、着物用のハサミで一点ずつカットして完成です。パッケージは着物を保管するための紙包み「たとう紙」をアレンジしたオリジナルです。
「同じモチーフでも、下染め、上染め、色の組み合わせが異なります。色自体も染料を組み合わせて作るため、バリエーションは無限。すべて、世の中に一つとして同じものがない一点ものなんですよ。」

指輪拭きの「おふきpetit」は2025年度(第66回)ニッポンおみやげアワード」(全国推奨観光土産品審査会)で、グローバル部門の最高賞である「国土交通大臣賞」を受賞。
「おふき」はメガネ拭きのほか、スマホ拭き、タブレット/PC拭き、指輪拭きなどがあります。
また、インターネット通販はせず、京都市内の約50店舗のみで販売。大丸京都店4階、ハンズ京都店などでフルラインを揃えるほか、みやげ店、郵便局全局、セブンイレブンの一部店舗で取り扱っています。
「販売店舗を京都に限定しているのは、京都の街に来てほしいから。お客さまには、一期一会の出会いを大切にして、お気に入りを見つけていただきたいと思っています。」

切手を貼るだけで郵便物として送ることができるパッケージバージョン。モチーフは和柄や京都の観光スポットなど定番50種に加え、季節ごとに「年賀状」「祇園祭」などの限定品も登場します。
また、日根野勝治郎商店のライフスタイルブランド「京の染屋がつくった™️」では、アップルウォッチバンドを製造、販売しています。こちらは牛革の上に、手染めした絹を合わせています。

バンドはアップルウォッチ専用。
「京染め生地の美しさを最大限に感じていただけるよう、手仕事らしい温もりを感じられる柄を厳選。生地は私が一つずつハサミでカットしています。こちらのバンドも、すべて一点ものです。」

そんな日根野さんが、ビジネスシーンでよく選んでいるのが着物です。この日は西陣織の羽織とお召に、博多織の帯を合わせたシックなコーディネート。首に巻いているのは、タイで購入したジムトンプソンのシルクストールです。

羽織とお召は秋冬ものの“袷(あわせ)”。「ビジネスにもプライベートにも……と、どんなシーンでも着やすいベーシックな生地なので、よく袖を通しています。」
生地は正絹で、懇意にしている西陣織の織元さんにオーダーしたもの。一見、深緑色の無地のようですが、実は角通し(かくどおし)。角通しは、男性ものの小紋によく用いられる定番柄です。黒色の経糸(たていと)と緑色の緯糸(よこいと)を織り、細かな四角の柄を作り上げています。お仕立ては、知人の和裁士さんに依頼しました。
着物を誂えるときは「落ち着きがある色と柄」「よく見ると生地や仕立てのよさがわかるもの」を選んでいます。着物自体が主張し過ぎない、しかし目が肥えた人には粋な着物に映る──日根野さんの着物選びは、通好みなのです。
「所有しているスーツは喪服のみ。ビジネススーツを着るようなシーンでは着物を選んでいます。日本各地や海外で新たな出会いを求める商品展示会や、POP UPストアで店頭に立つときには、“京都の呉服業界を代表している”という気持ちでいます。」

左が単衣のお召、右が草木染の浴衣。
着物の所有数は10〜20枚。単衣のお召は「お召緯(ぬき)」と呼ばれる光沢のある生地で、さらりと着るだけで存在感がある一着。浴衣は柿渋染めに藍染めを重ねた絞りです。
着物はダークなカラーを選ぶことが多い分、色みのある小物でアクセントをつけるのが“日根野さん流”。首にスカーフを巻いたり、トーンが異なる帯を合わせたり。白足袋は履かず、カラー足袋を選ぶのもこだわりです。

手首からちらりとのぞく襦袢はチェック柄。
見えないお洒落を楽しむのも大好き。羽織を仕立てるときは柄ものの裏地を選んだり、着物の下に着る襦袢(じゅばん)は柄ものを選んだり、日々の着こなしでは遊び心を意識しています。この日の襦袢は、京染め職人さんがハケで手描きしたチェック柄。よく見ると、柄が均一ではなく、ところどころに滲みやハケ跡があります。

夏襦袢のお気に入りは、おばけ柄。
「京染め職人さんの手描きです。こちらも着物の下に着る襦袢なので、袖口や裾から少し見えるのが粋かなと思っています。」

チベットのポタラ宮にて。中国・チベットの旅ではさまざまな伝統工芸品に出会い、刺激を受けました。
インプットの源は、旅。日根野さんは大学生の頃から世界40カ国をバックパッカーとして訪ね歩いてきました。
「世界各地の織物や染め物は、ある意味ざっくりしていて、それが持ち味。手で作られている温もりを感じられます。対して、日本の伝統工芸品は、緻密かつ繊細。我ながら『よくこんなに細かな作業をしているな』と感心しています。旅を通して、それぞれの国の風土や文化、人の気質がモノづくりに反映されていると感じています。」
近年は、日本の伝統工芸品の産地に旅をすることも多いそう。最近は九州で織物の工房や有田焼の窯元、山形ではワイナリーを訪れました。

台湾で開かれた、アジア最大級の手づくりビジネス展示会「POP UP ASIA」では京染めの技術を紹介。
「伝統工芸品が廃れてしまいそうなのは、ある意味、仕方ないことだと思っています。なぜなら生活必需品ではないからです。今の時代、伝統工芸品がなくても生きていけるんですよね。特に着物は、高価格、洗濯しにくい、着ていく場所がない、という三重苦。さらに『ルールに従って着るべき』という暗黙のプレッシャーもあります。だからといって『ニーズがないから、着物は廃れて当然』と、あきらめたくない。廃れそうなのは、私たち作り手・発信者の努力不足だと思っています。どの産地でも、現代の生活に合うようアップデートされたプロダクトは若い方からも支持されています。呉服業界も同じで、私たちが現代の暮らしに寄り添う商品を開発し、伝統の価値を広く発信することが大切なのではないでしょうか。」
その答えの一つが「おふき」。京友禅の技術を日常の道具に落とし込むことで、数多くの人たちの手に取ってもらっています。そして、愛用する着物にも同じ想いが込められています。「着物は、もっと自由でいい」と、日根野さん。自然体で着物を着ることで伝統をまとう。日根野さんの仕事からも、着こなしからも「京都の職人文化を次世代に繋ぎたい」というメッセージを感じることができます。

最後に、着物に造詣が深い日根野さんの目に、“京都メイド”はどのように映っているのかをお聞きしました。
「京友禅の染色のクオリティは非常に高い。京都の職人さんたちはおのおの、型染、手描染といったさまざまな種類、そして38センチ幅、80センチ幅などの生地にも対応しています。また染め加工以外にも、図案を描く図案屋さん、染料を生地に定着させる蒸し屋さんなど数多くの職人さんが携わっています。世界を見ても、これほどに手間と時間をかける染めものはなかなかありません。一つのプロダクトを作り上げるまでにたくさんの工程があり、それぞれの職人さんがこだわりを持って携わっている。しかも、それらの技術一つひとつが数百年にもわたり受け継がれている。着物に限らず、“京都メイド”の伝統工芸品はすべて、歴史、感性、技術の集大成だと感じています。」
「京のええもん」とは、形のことだけではなく、受け継いできた技術に今の感性を重ね、使う人の暮らしの中で息づかせていく姿勢。伝統は守るためにあるのではなく、使われ続けることで残っていくものなのでしょう。着物をまとい、日常の道具を染め、それを楽しんでくれる人と出会い続けることが、日根野さんにできる「ええもん」を未来へ渡す方法といえそうです。