北海道沙流郡
2025.01.28 (Tue)
目次
アイヌ集落の中でも特に伝統が色濃く残り、自然を敬うアイヌの精神文化とともに、アイヌ工芸の技術が受け継がれている北海道・平取町(びらとりちょう)の二風谷(にぶたに)。高い技術で丁寧にものづくりを続ける工芸作家がいる一方、新たなものづくりを通して、アイヌ工芸を発信しようとする若者の姿がありました。
近年、人気漫画「ゴールデンカムイ」の大ヒットや、アイヌをテーマとした初の国立博物館「国立アイヌ民族博物館」を含む「ウポポイ(民族共生象徴空間)」がオープンしたことなどにより、注目されているアイヌ文化。
「アイヌ」はアイヌ語で「人間」を意味しますが、現在は日本列島北部とりわけ北海道の先住民族のことをいいます。北海道にはアイヌ語由来の地名が多いことや、食や工芸品などにもアイヌ文化の影響が見られます。
かつては山や川で食べ物を取り、動物の皮や植物の繊維などで衣服を作り生活していたアイヌは、自然界のすべてのものに魂が宿っていると考えます。中でも、人間が素手で立ち向かうことができないものをカムイ(神)として敬います。カムイは祈りを捧げる対象であり、同時に人間の祈りに応えてくれる存在でした。
このようなアイヌの精神世界を基礎として、暮らしの中で生まれたのがアイヌ工芸です。
毎日の生活に不可欠なものから、祭事や神事に使うものまで、アイヌ工芸にはアイヌの知恵や工夫が詰まっています。
自然から素材をいただき、恵みを与えてくれたカムイへ感謝の意を形にしたアイヌの生活の道具。毎日の暮らしに欠かせない狩りの道具や衣服、調理に使う器具など、種類は多岐にわたります。
細かな手仕事によって作られたアイヌ工芸は、高い技術が認められ、江戸時代には幕府との交易品としても重宝されていました。
アイヌ文様と呼ばれる独特な文様が施されているのもアイヌ工芸の特徴のひとつです。渦巻を意味する「モレウノカ」や目の形をした「シㇰノカ」、トゲの形をした「アイウㇱノカ」などのパーツを組み合わせ、美しい文様が施されています。文様には地域性はあるものの、身体の中に侵入する邪気から身を守るために施されるようになったともいわれています。
数ある工芸品の中でも北海道で唯一伝統的工芸品に指定されているのが「二風谷イタ」と「二風谷アットゥㇱ」です。
イタとは、カツラやクルミを主な原料とする木製の平たい形状のお盆。盆の面にアイヌ文様が彫り込まれているのが特徴です。
地域によってそれぞれ特色はあるものの、あらかじめ決められた規則があるわけではなく、基本的なアイヌ文様と工芸作家のオリジナリティが表現されます。
その中で「二風谷イタ」は、「モレウノカ」「シㇰノカ」「アイウㇱノカ」を基本に組み合わせた文様と、その文様の隙間を埋めるように魚のウロコを模した「ラㇺラㇺノカ」が彫り込まれるのが特徴とされています。
そして、もうひとつの伝統的工芸品「二風谷アットゥㇱ」。アットゥㇱとは、オヒョウやシナなどの樹皮によって作られる平織の反物のことを指し、丈夫で水にも強く、通気性に優れているため、かつては船乗りたちの仕事着としても重宝されていました。
初めは固くしっかりとした肌ざわりですが、使いこむほどに手になじみ、しっとりとした風合いに変化するところも魅力です。
代々女性の手仕事として受け継がれてきたアットゥㇱは、機械化が進んだ現代でも100年前とほぼ同じ道具を使い、すべて手作業で作られています。山に入って樹皮をはぎ、糸となる繊維を取り出して、糸を紡ぐところから始まるため「糸作りが9割、編むのは1割」ともいわれているのです。
特に沙流川(さるがわ)流域にある二風谷の指定工芸作家によって作られたものが「二風谷イタ」「二風谷アットゥㇱ」と呼ばれ、その技術に込められたアイヌの文化が脈々と受け継がれています。
かつて日高地方最長の川・沙流川流域には、たくさんのアイヌのコタン(集落)が栄えていました。中でも1万年以上も前から人々の営みが繰り返されてきた平取町・二風谷には、今もなおアイヌの伝統が色濃く残っており、町をあげてアイヌ文化が守り続けられています。
アイヌ文化関連施設が集結している「二風谷コタン」には、チセ(家)が復元されているほか、平取町立二風谷アイヌ文化博物館、平取町アイヌ文化情報センター(二風谷工芸館)などがあり、誰でもアイヌの歴史や文化に触れることができます。
「二風谷コタン」から少し足をのばした「匠の道」には、アイヌ工芸作家の工房が立ち並び、作家の作業風景を見ることができます。
「二風谷イタ」の指定制作者のひとりである貝澤守さんは、繊細で美しいラㇺラㇺノカ(ウロコの形)に定評がある木彫の名工です。「アイヌ文様の隙間をラㇺラㇺノカで埋めるのが二風谷流です。人によって彫りの深さも変わってきます」。守さんは手作りの彫刻刀を何本も駆使しながら、二風谷特有の力強い文様を彫っていきます。
守さんの母である、貝澤雪子さんもまたアイヌ工芸作家として活躍中。雪子さんは御年83、半世紀以上にわたりアットゥㇱを織り続けています。
「今でも5月末には山に入り、樹皮をはぐところからやるんですよ。樹皮をはいで繊維にして、洗って、加工して、糸を撚る。そこまでも多くの作業がありますが、そこから糸を染めるのも自分でやっています。糸はすべて草木染。クルミやアカネ、マリーゴールドなど、花や草木を山の中から集めます。すごく大変ですが、この優しい色合いは、天然のものだからこそなんですよ。」
大変な時間と労力がかけて作られる雪子さんのアットゥㇱは、その独特の淡い色合いの糸で作る帯などを求めて、全国から多くの注文が寄せられます。
貝澤さん親子のようにルーツを継承して二風谷で工芸作家をしている人もいれば、移住者としてやってきて名工になった人も。そのひとりが東京出身でありながら、アイヌ工芸の第一線で活躍し続ける髙野繁廣さんです。
「旅の途中にたまたま立ち寄った二風谷の木彫に惚れ込んで、そのまま移住してしまったんです。二風谷は意外と移住者も多いんですよ。」
髙野さんの作品は、平取町立二風谷アイヌ文化博物館や、ウポポイ(民族共生象徴空間)の展示などでも見ることができます。また、映画「ゴールデンカムイ」のセットや小道具は、二風谷の工芸作家が協力しており、髙野さんが制作した作品も数多く登場しています。
「匠の道」にある各工房は、職人の手仕事に触れられるだけでなく、若手作家の修業の場として道内外からたくさんの人が集まってきています。
アイヌ文化の継承に力を入れている二風谷ですが、工芸品だけで生計を立てられるのは、名工と呼ばれる熟練の工芸作家のみ。そこで、工芸技術を習得するまでの収入につなげ、新たなマーケットを開拓する「二風谷アイヌクラフトプロジェクト」が2020年に立ち上げられました。
脈々と受け継がれてきた伝統文化や工芸技術を大切に守りながらも、日常使いできる商品を通じて新たなマーケットを開拓することで、二風谷の伝統工芸を未来へつなぐことを目的としています。
2023年には、これまで木彫や刺繍などで表現されてきたアイヌ工芸が別の素材で表現したときにどういう表情が出るのだろう、と富山県高岡市の老舗錫物メーカー「能作」とのコラボ商品を開発。好評を博したことから、2024年も「能作」とのコラボが行われました。
二風谷アイヌクラフト×能作のコラボ作品は、大丸札幌店6階「能作」売場でご覧いただけます。
観光客はもちろん地元客からも注目度の高いこちらのプロダクトですが、実際に制作を担当した工芸家も、二風谷に暮らす作家です。
プロジェクトに抜擢された西山涼さんと平村太幹さんは、平取町アイヌ文化振興公社のイオル再生事業部でチセづくりや森や畑などでの作業を行う傍ら、外で作業ができない冬の期間は木彫作家として活躍しています。
「能作さんとの商品開発では、アイヌの祭具『エトゥヌㇷ゚』から着想を得た片口と、アイヌの民具にはないぐい呑みのデザインを担当しました。木彫では出ない風合いを楽しんでもらえたら」と意外性を楽しんでほしいと話す西山さん。
「手仕事で作る木彫品は量産できず、料金も高いので、木彫にこだわらず、こういった身近で手に取りやすい商品も少しずつ作っていけたらとは思っています。」
デザイン画を完成させるのが大変だったと話す平村さんはプレートやタンブラーを担当。名工たちの意見も取り入れながら、デザイン画を完成させていったといいます。「彫り始めるまでに十数回デザインを書き直しました。自分らしさも出しながら、二風谷イタの力強さを表現するのが難しかったですね。」
こちらも錫の特性を生かし、伝統的なイタにはない穴を開けたデザインや、曲げて使えるデザインに仕上げたといいます。
「名工の先輩方が私たちに木彫を教えてくださったおかげで今の僕たちがあります。二風谷には若手にチャンスを与えてくれる風土があり、たくさんの経験を積ませてもらっていることにも感謝しています。つなげていただいたバトンを僕たちも次の世代につないでいければと思っています。」
100年以上受け継がれてきた二風谷のアイヌ工芸。伝統の技術とそこに息づくアイヌのアイデンティティを次の100年へつなぐべく、二風谷の工芸作家たちの挑戦は続きます。
平取町 アイヌ文化 (外部サイトに移動します。)https://www.biratori-ainu-culture.com/
二風谷アイヌクラフト(外部サイトに移動します。)https://www.nibutani-ainucraft.com/
二風谷アイヌ 匠の道(外部サイトに移動します。)http://nibutani.jp/