静岡県静岡市
2025.04.15 (Tue)
目次
500年にわたり静岡の地に根付いた染色文化「駿河和染」。職人たちが染色方法やデザインを自由に組み合わせ、独自のスタイルを築いているのが特徴的な染め物です。その中で静岡県の特産品であるお茶を取り入れた染め物を考案し注目を集めているのが、「お茶染めWashizu.」。新たな表現を切り開く、その代表・鷲巣恭一郎さんにお茶染めに込めた想いをうかがいました。
静岡には、布に関する地名が多く残っており、古くから織物が盛んな地域として知られています。そこで、今川時代から江戸時代にかけて発展したのが駿河和染でした。藍(あい)の栽培が行われていたことから、駿河和染の染色の主軸となっていたのが藍染めです。しかし、時代の変化とともに染め物職人の仕事は減少し一度衰退してしまいます。
お茶染めのストール
それを復活させたのが、型絵染で人間国宝に認定された芹沢銈介(せりざわけいすけ)氏です。彼は、技術継承やデザイン性を高めることに注力し、新しい染め物を目指しました。その自由な発想と創作の精神は、駿河和染に新たな息吹を吹き込み、今に続く文化を築く礎となりました。現在の駿河和染は、そうした古来の文化を継承しながら、静岡の地で新しい色彩芸術を目指した染め物の総称で、それぞれの職人たちが今の暮らしに合わせて表現を進化させています。
お話をうかがった「お茶染めWashizu.」代表の鷲巣恭一郎さん
駿河和染の長い歴史の中で、静岡市葵区羽鳥にあった大正時代から続く老舗染色工房「鷲巣染物店」もその一端を担ってきました。その五代目として生まれ育ち、幼い頃から駿河和染を間近に見てきた鷲巣恭一郎さんが、染め物の世界に足を踏み入れたのは、21歳の時。大学生だった鷲巣さんは、就職活動中に父親の重い病が発覚し、就職を辞めて家業を継ぐことを決意しました。
「家業を閉めて就職する道もありました。でも、一度閉めたらやり直すのは難しいだろうと思ったんです。小さい頃から慣れ親しんだ染物の現場には愛着もありましたし、『とりあえずやってみて、ダメなら就職すればいい』と、軽い気持ちで始めました。伝統を絶やさないために、覚悟を決めて……というよりも、ただ、そのまま閉めてしまうのが名残惜しく、寂しかったんです。」
家業を継いだ鷲巣さんの前には、時代の壁が立ちはだかりました。布に印刷できるインクジェットプリンターの登場により、染物の仕事は激減。最初は「ダメなら就職しよう」と考えていた鷲巣さんですが、必死に覚えた技術を簡単に諦めることはできませんでした。そんな時、高校時代の先輩が「これで染物ができるんじゃないか」と、大量の茶葉の出物(お茶を作る際に出る端材)を持ってきました。
「一番大きな転機は、職人から作家へと意識が変わったことでした。きっかけは、『するがクリエイティブ』という異業種の若手クリエイターが集まる会へ参加したことです。木工屋や漆屋の方々と交流する中で、作品を見るだけでその人の顔が思い浮かぶ、“作家性”のあるものづくりに触れました。その時、自分も“作る人”として名乗れる存在になりたいと思ったんです。
何の作家になるかを考えた時、ふと思い出したのが先輩からもらった茶葉でした。“お茶の静岡”という強いイメージがあるにもかかわらず、お茶染めを専門にする作家は見当たらなかったんです。まだ誰も手がけていないジャンルに挑戦できることが、背中を押してくれました。」
突発的に思いついたお茶染め作家というアイデアは、実は駿河和染の文化と深くつながっていることに気づきます。染め物の産地には共通する技術や材料があると思われがちですが、駿河和染は芹沢銈介氏の自由な創作の精神によって、職人ごとに異なる染料や技法を持ち、独自のスタイルを築いてきました。
「駿河和染は自由度が高いため一言で定義するのは難しいのですが、今川時代から500年以上続くこの地の文化として、現在も自分の表現を届けようとする人たちがいる。そこに魅了され、自分もこの文化に少しでも貢献できたらと思いました。」
お茶染めを追求すると決めたものの、草木染めとは異なり、お茶染めに関する文献は一切存在しません。今までありそうでなかった技法を確立することは、決して簡単ではありませんでした。
「化学染料にはレシピがあり、塗って乾かし、色染め剤を塗って洗えば完成します。しかし、お茶は食品のため染まりにくく、草木染めの技法を真似しても思うような色が出ません。先人たちがお茶染めをしなかった理由を、ここで思い知らされました。だからこそ、何とかして実現したい。むしろ挑戦する価値があると、気持ちが一層強まりました。」
試行錯誤を重ねること1年。陽に当てると色が濃くなる、蒸して洗うと色落ちしにくいなどの発見を積み重ね、理想の形に近づいていきました。
現在の手法は、お茶で作った染液に生地を入れて加熱し、一晩かけて温度を下げた染液に無添加の木酢酸鉄液を加え、生地とともに再度加熱する煮染めが中心です。全体の温度が均一になるよう、かき回し続けることで、染めのムラを防ぎます。手間暇を惜しまず、一つひとつの工程が、味わい深い風合いを生み出すのです。
一つひとつ柄を型紙に彫っていきます
静岡茶で染めた駿河和染。それ自体に魅力があり、絶対に売れると信じていた鷲巣さんでしたが、現実は甘くありませんでした。
「お客様の反応は、『へえ、お茶で染まるんだ』程度で、全く売れませんでした。今思えば、染め方は甘く、デザインのクオリティも低かったのですが、それでもここまで売れないのはショックでした。そこから、デザインの研究を始めたんです。」
芹沢銈介氏はもちろん、弟子である柚木沙弥郎氏の大胆なデザインにも影響を受け、総柄を多く取り入れるようになりました。グラフィックデザイナーとのコラボレーションも刺激になり、染物以外の世界にも目を向けるようになったといいます。
「切り絵や展覧会もよく見に行きますし、何事も経験だと思い音楽ライブも行きます。人はワクワクするものに時間とお金を使います。ジャンルを問わず、そこに共通するエネルギーがあると思うので、いろいろなものに触れるようにしています。」
そういって笑う鷲巣さんのワクワク探求心が、「お茶染めWashizu.」の魅力の源泉のように思えます。
現在は総柄を中心にさまざまな柄を手掛けている
静岡にはお茶工場が多く、本来廃棄される茶葉の端材を活用できるため、材料には困りません。しかし、鷲巣さんは「お茶屋さんに恩恵を還元できる取り組みでなければ意味がない」と考えました。そこで、これまで開発してきたお茶染めのレシピをすべて公開。それを機に、お茶染めの広がり方が大きく変わっていきました。
「お茶染めのカルチャースクールも始め、現在は6組の方がお茶染めを行っています。作るものも違えば、コミュニティも異なり、そこからお茶染めを知る人も増えてきました。市場が広がれば技術が残り、静岡茶の価値も上がる。お茶屋さんに還元しながら、伝統工芸を継承できるよう、これからもお茶染めを広げていきたいです。」
鷲巣さんが目指すのは、自分の作品を多く販売することではありません。駿河和染やお茶染めの広がり、技術の伝承、そして静岡茶が注目されること。これらを通じて、お茶染めを文化として根付かせたいと考えています。
「文化の定義は曖昧で、いつ何をすれば文化になるのかは誰にもわかりません。でも、『そこにあるのが当たり前で、誇らしいもの』というのが、自分の考える文化です。静岡の人たちが『静岡にはお茶染めがあるんだよ』と誇りを持って語れるようになったら、それは文化になったといえるのではないでしょうか。たとえば、着古した衣類をお茶で染め直すのが当たり前になり、『えっ、お茶染めしないの?』と自然に会話されるような未来。静岡はお茶の産地です。だからこそ、『静岡といえばお茶染め』となれば、喜ぶ人も大勢いるはずです。」
お茶で染めるたびに、静岡の風土が色となって宿ります。やがてそれが暮らしの中に当たり前のように溶け込み、「静岡にはお茶染めがある」と次の世代へと受け継がれていく日を目指して、お茶染めの文化は広がり続けます。
お茶染めWashizu.
公式ウェブサイト(外部サイトへ移動します。)
https://www.ochazome-shizuoka-japan.com/