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福岡・博多の昭和レトロビル「冷泉荘」がつくる、コミュニティの秘密とは?

福岡・博多の昭和レトロビル「冷泉荘」がつくる、コミュニティの秘密とは?

福岡県福岡市

    2025.06.24 (Tue)

    目次

      戦後まもなく民間のアパートとして建てられ、博多のまちとともに歴史を刻んできたビンテージビル、冷泉荘。今年で築66年を迎え、昨年には国登録有形文化財(建造物)に登録されました。この建物には、古いものに価値を見出した入居者のみなさんが集まっています。そこには互いの関係性を大切にしながら、博多のまちとともに歩む姿がありました。

      にぎわう商店街の路地裏にあるビンテージビル

      川端中央商店街と上川端商店街の2つの商店街から構成され全長は400mに及ぶ

      博多でいちばん最初に栄えた商店街といわれる川端通商店街。約400メートル続くアーケード街には飲食店や生活雑貨などさまざまな店が立ち並びます。商業施設のキャナルシティ博多が1996年に開業してからは、この商店街を抜けて行く人たちであふれるようになりました。近年、外国からの旅行客も増え、アーケードには博多の歴史を彷彿とさせる老舗やトレンドを意識したアイテムを扱う店など、新旧が混じり合った顔ぶれとなっています。

      そんなにぎわいのある商店街を途中で外れ、細い路地を折れた先にひっそりと佇むのが昭和のレトロビル、冷泉荘です。1958年に建築された鉄筋コンクリート造の5階建てで、A棟とB棟からなります。知る人ぞ知るといった場所ですが、入口にはさまざまな入居者がいることを表す看板がにぎやかに飾られています。

      2010年より冷泉荘の管理人を務めている杉山紘一郎さん

      「建築当初は民間が建てた鉄筋コンクリート造の賃貸アパートとして、時代の最先端を行っていたようです。」と管理人を務める杉山紘一郎さんは話します。

      取り壊さず、古いものをいかす発想

      古き良き時代の面影を多分に残す冷泉荘のとある一室の内観

      冷泉荘は福岡大空襲からの復興のシンボルとして、かつては人々の希望を担う存在でしたが2000年ごろにはすっかり荒廃し、一時は取り壊しが検討されていました。

      そんな中、当時お父様から物件を引き継いだ現在のオーナーである吉原勝己さんは、かつてクリエイターたちが集い話題となった「同潤会 青山アパートメント」に思いを馳せます。

      「建物の内部でどんな人が活動しているかが重要で、そこにこそ再生の道がある。職人や商人が多くクリエイティブな方が多く集まる博多でも同じようなことができるのでは。」と思ったようです。このことが今の冷泉荘につながっています。

      その後、クリエイターやアーティストを対象に3年の賃貸期間を条件として入居者を募集するプロジェクトを開始。同時に建物の調査も実施したところ、耐震改修工事やメンテナンスをしていくことで建物自体は活用可能であることが判明しました。

      プロジェクト終了後、今度は築100年を目指す方向に舵を切り、今に至ります。このころ、地域と寄り添えるような建物をめざし、名前を昔からの呼び名であった「『れいぜん』そう」と呼ぶことに変更しました。

      「セルフリノベOK」「原状回復不要」という土壌で育まれた文化

      冷泉荘A棟1階にあるベーグル専門店「RILL BAGEL」

      「交通アクセスがいい場所ながら、雰囲気のある路地裏にあり、博多エリアの中でも、いい意味で隠れ家のようなところ。そこが人々を惹きつける理由かもしれません。」と杉山さん。

      冷泉荘には思わず興味をひかれるような、ほかでは考えられないユニークなスタイルがあります。ひとつは入居時に自由に部屋を改装できることです。床も壁も間取りも可能な限り理想の空間につくり変えていいのです。退去時の原状回復の必要もありません。

      冷泉荘の屋根裏部屋に、写真スタジオ「テトラグラフ写真室」をかまえる雨宮さん

      前の入居者がつくりあげた空間をそのまま引き継げることは大きなメリットです。写真スタジオとして利用する「テトラグラフ写真室」の雨宮さんは、前の入居者が残した古い木材が敷かれた床に魅力を感じて入居し早16年。その床材は冷泉荘ができた当初に用いられていたもので独特の味わいがあり、撮影には欠かせないものとなっているそうです。

      お互いに迷惑をかけられる関係づくり

      2024年12月に冷泉荘A棟3階にて「美容室ヒュッテ」を創業したカラシマさん

      「入居時には、お互いに迷惑をかける関係になりますよ、とお伝えしています」と笑う杉山さん。その理由のひとつが古い建物なので隣や上下の階の音が響きやすいことにあります。冷泉荘が醸し出す、落ち着いた雰囲気が好きで2024年に入居した「美容室ヒュッテ」のカラシマさんはこう語ります。

      「昼と夜と開いているところが違うんです。昼は子どものアート教室があって、子どもの声がしたりして、それが明るくていい。いろんな声や音がいっぱい聞こえてきて、そんなところを気に入ってくださるお客さんもいます。」

      冷泉荘B棟2階に「shoe lab noppo」をかまえる黒木さん

      靴工房の「shoe lab noppo」のご主人は靴の制作は音が発生するため「大きな音がするのはもちろん、そもそも生業が工房だと明かすと通常は入居を断られることが多いため、ありがたい」と話します。

      それぞれ別々の部屋で作業をしていたとしても、互いの気配に安心する側面のもあるのでしょう。冷泉荘全体を包むあたたかい空気を感じました。

      多様な入居者が生む刺激的な空気

      知る人ぞ知る文化発信地である冷泉荘は現在満室。

      現在、冷泉荘はレンタルスペースや、建築当時の間取りをそのまま残した部屋を含めて、25の部屋があります。借主は現在20組で、入居を待っている方もいるそう。

      入居者は先に登場した方々のほかに、和食の飲食店やベーグル店、博多人形工房、ギャラリーのほか、オフィスとして利用している方々など多様です。不定期で年1回ほどのペースで入居者以外の方向けに開催されている「れいぜん荘ピクニック」以外は、定期的な交流や決まったイベントなどはありませんが、「ゆるくつながっている」と杉山さん。お互いがもっているスキルをいかしたイベントや企画が突発的にはじまることもよくあります。

      「テトラグラフ写真室」の雨宮さんと「shoe lab noppo」がコラボレーションしてつくった革製のカメラストラップにはじまり、大小いくつかのコラボレーションがあるそうで。冷泉荘の掃除を毎日している杉山さんのもとには「こんなのをつくりたいんだけど、いい人いませんか?」といった相談がよくあるのだとか。

      「新しく誰かを探すより、知り合いを頼っていくと始めやすかったりしますよね。」(杉山さん)

      伝統工芸品「博多人形」の人形作家・田中勇気さんも冷泉荘を作業場に選んだひとり

      そうした関わりは入居者だけに限らず、入居者のさらに知り合いなど、どんどん輪は広がっています。

      月に1度のフリーペーパーに冷泉荘の今を映す

      2010年より杉山さんが中心となり発行されている「月刊冷泉荘」

      杉山さんはA4四つ折りのフリーペーパーを毎月発行しています。日によってオープンしているところはまちまちで、またオフィスもあるため一度来ただけでは全体像がわかりにくいためです。

      「とはいえ入居者のみなさんは知名度を上げてほしいから、写真を撮って紹介していきたいのです。もちろん建物を記録に残す意味合いもあります。冷泉荘の雰囲気は入居者が決めていくもの。だから一度に一冊ではなく、毎月コツコツと制作し、全体で伝わるように工夫しています。」(杉山さん)

      これからの冷泉荘、地域との共生

      「知らない世界との交流」をテーマにしたギャラリー「ネコチクラ」のスタッフまちどりさん

      ギャラリー「ネコチクラ」などの代表である村上さんは「これからの社会にとって、冷泉荘のような地域コミュニティは大切だと思うんです」と語ります。レンタルスペースは若手アーティストの登竜門ともいえます。

      これからも冷泉荘は文化の発信拠点として、引き続きある種の集客装置として在り続けることでしょう。目標としている築100年まではあと33年。ゆるく、無理なく、自分らしく。古いものと今を行き交いながら生きる方々の心のゆとりに触れた気がしました。

      冷泉荘

      公式ウェブサイト(外部サイトへ移動します。)https://www.reizensou.com/