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「SUN SURF」が継ぐ「着るアート」。両国で紡ぐハワイアンシャツの記憶と更新

「SUN SURF」が継ぐ「着るアート」。両国で紡ぐハワイアンシャツの記憶と更新

東京都墨田区

    2025.10.07 (Tue)

    目次

      浮世絵師・葛飾北斎ゆかりの地としても知られる東京の下町、墨田区両国。ここに拠点を置く東洋エンタープライズが展開するブランド「SUN SURF(サンサーフ)」はハワイアンシャツをメインに製造するブランドです。今回は同ブランドの2代目ディレクターであり、世界屈指のハワイアンシャツ研究家としても知られる中野喜啓さんを訪ね、ハワイアンシャツの魅力と日本との意外な関係、「北斎の町」から世界へハワイアンシャツを発信する意義をうかがいました。

      かつて衣料品メーカーが立ち並んだ両国で生まれた「SUN SURF」

      1930~1940年代の両国橋。奥に見えるのが当時の両国の街並み。

      旧くは江戸時代より、旗本や浪人たちが内職として編み物を手がけたことに端を発し、明治期以降はニット産業の盛んな地域へと発展した両国。戦前から昭和期にかけては、衣料品メーカーが立ち並んだこの地で、1965年に誕生したのが「東洋エンタープライズ」でした。

      同社は前身となった「港商」(1940年代に創業)の流れを汲み、在日米軍基地関係者を対象とした衣料品製造を目的として生まれた背景もあり、当初からアメリカンスタイルのウエアの製造を得意としていました。その名残は同社を代表するアメリカンカジュアルブランド「SUGAR CANE」をはじめとしたさまざまなブランドに引き継がれています。

      東洋エンタープライズに残る「港商」の資料。ちなみに、現在「スカジャン」と呼ばれるスーベニアとして生まれたジャケットは「港商」の当時の社員が考案したもの。

      さて、本記事で紹介する「SUN SURF」は、初代ディレクターでもあり現東洋エンタープライズ代表でもある小林亨一さんが「アート」としてのハワイアンシャツに魅了され、その文化を後世に継承したいという思いからはじまったブランドでした。

      1970年代のブランド設立当初から、1930~50年代に製造されたいわゆる「ヴィンテージ」と呼ばれる時代のハワイアンシャツを収集、研究、復刻してきたことが最大の特徴です。小林さんに並ぶハワイアンシャツ研究家としても知られる2代目ディレクターの中野喜啓さんに、まずはハワイアンシャツの魅力について聞いてみました。

      和柄? トロピカル柄? 謎多きハワイアンシャツの魅力

      今回お話をうかがった「SUN SURF」のディレクター、中野喜啓さん。

      高校生の頃にリアルタイムで経験したアメリカンカジュアル(以下アメカジ)ブームを通じてヴィンテージのハワイアンシャツに魅了され、それがきっかけで20代の頃からハワイアンシャツの研究に没頭し続けてきた中野さん。まずは、そのきっかけとハワイアンシャツの魅力を教えてもらいました。

      「いわゆるアメカジプロダクトのほとんどはワークウエア、もしくはミリタリーウエアに起源を持っているんです。ですから、特に後者に関してはその出自や用途、機能や仕様の変遷に関して多くの資料が残っています。一方、同じアメカジプロダクトの中でもヴィンテージのハワイアンシャツに関しては当時圧倒的に謎が多く……。ハイビスカスやパイナップルといったハワイ由来のモチーフだけでなく、鷲や虎、龍といった日本由来のモチーフも散見され、他カテゴリのウエアとは確実に趣を異にする謎と魅力を秘めていました。いままでに多くの謎を『SUN SURF』が解き明かしてきましたが、いまだに解明されていない謎も少なくない。そんな奥深さがハワイアンシャツの最大の魅力だと私は思います。」

      4000着以上のヴィンテージアーカイブを所蔵する「SUN SURF」。その中から毎年数十着を復刻してリリースし続けている。

      また、ハワイアンシャツには「アートピース」としての魅力もあると中野さんはいいます。

      「ハワイアンシャツは大胆な総柄が特徴的なわけですが、例えば1940年代に活躍したテキスタイルデザイナー『ジョン・メイグス』は画家ポール・ゴーギャンの版画をシャツのモチーフとして使い、名作を生み出しました。さまざまなアーティストの創造した『アートを着る』ことができるハワイアンシャツは、唯一無二の衣類といえますね。」

      ハワイアンシャツの起源と日本との意外な関係

      2025年にリリースされた「SUN SURF」の新作。「ハワイアン」シャツなのに、なぜ「和柄」が存在するのか不思議に思っていた人も多いはず。

      先述した通り、ハワイアンシャツにはハワイ由来のモチーフの柄だけでなく、日本由来のモチーフの柄も多く存在します。その理由は、ハワイアンシャツのルーツにあると中野さんはいいます。

      「19世紀末から20世紀初頭にかけ、新天地を求めた多くの日本人がハワイへと入植し、その大半は当時、現地の主要産業でもあったサトウキビ農業に従事していました。彼らは日本から持ち込んだ浴衣など普段使いの和装の衣類を使い古すと、その生地を仕立て直して子どもたちにお手製のシャツを設えたといわれています。そんな南国リゾートとは不釣り合いな和柄のお手製シャツが、現地の人々や本土アメリカからの観光客たちの目に止まり、後のハワイアンシャツへと繋がる雛形となっていったのです。つまり、日系移民たちの文化がなければ、ハワイアンシャツが生まれることはなかったとも考えられるわけです。」

      墨田区両国で解き明かしてきたハワイアンシャツの歴史

      ハワイ在住時にはスリフト(リサイクルショップ)やアンティークショップでヴィンテージハワイアンシャツを探し回る日々を送っていたという中野さん。

      大手メーカーが明確な開発経緯をもった上で生まれたデニムなどのプロダクトと違い、ハワイで自然発生的に生まれ、ハワイの観光業の発展とともにスーベニアとして広まっていったハワイアンシャツの歴史を、体系的につかむのは容易ではありません。しかしながら、今日その歴史を振り返ることが出来るのは「SUN SURF」のおかげといっても可言ではありません。その背景を中野さんはこう語ります。

      1950年代に「港商」が展開していたブランド「FASHION MART」のハワイアンシャツ。ブランドタグの下には、アメリカ海軍の基地内で販売されていたことを意味するタグが見て取れる。

      「1950年代前後に空前のハワイブームがアメリカでおきまして。ハワイアンシャツのスタイルもこの時代に確立され、大量につくられるようになります。そして、飛躍的に成長を続けるアメリカ市場において重要な生産拠点のひとつとなっていたのが、戦後しばらくアメリカの施政下に置かれていた日本でした。弊社の前身となる『港商』は、そんな時代に米軍基地関係者を相手としたビジネスを行なっていました。現在では『スカジャン』と呼ばれるスーベニアジャケットをはじめ、彼らが帰国する際のいわばお土産や記念品として、オリジナル柄のハワイアンシャツを米軍施設の売店へと納入していたのです。」

      「SUN SURF」創設者にして初代ディレクター・現東洋エンタープライズ代表でもある小林亨一さんが手掛けたハワイアンシャツの歴史を紐解く書籍の数々。

      「そして、1970年代に『SUN SURF』が生まれるわけですが、さまざまな名品の魅力を蘇らせるために『SUN SURF』は、1930~50年代に製造されたヴィンテージハワイアンシャツを収集して、その背景を徹底的に研究してきました。その結果は弊社代表の小林が手掛けたいくつかの書籍にまとめていますが、ハワイアンシャツの持つストーリーが世に知られていない当時から歴史背景を紐解く活動をしてきたことが『SUN SURF』の強みだと思います。」

      中野さんも現代では希少なヴィンテージハワイアンシャツのアーカイブをまとめた専門書の監修を務めている。現時点ではVol.4が最新。

      「港商」が50年代のハワイアンシャツの世界的ブームの当事者だったこと。そして港商の歴史を継ぎ、墨田区両国で約半世紀にわたってハワイアンシャツを研究してきた「SUN SURF」の長年の活動がなかったら、いまだにハワイアンシャツは出自が一切わからない謎のプロダクトのままだったのかもしれません。

      地元「すみだ北斎美術館」とのコラボレーション

      葛飾北斎が川中島の戦いでの武田信玄と上杉謙信の一騎打ちを描いた「画本武蔵鐙」(左)、吉祥を題材とした花鳥画シリーズのひとつにあたる「亀」(右)。ともに¥38,500(税込)

      近年「SUN SURF」は、同じく両国にある「すみだ北斎美術館」とのコラボレーションを展開しています。富嶽三十六景に代表される北斎の作品群から厳選を重ねた作品をハワイアンシャツへと落とし込み、新たな時代のアートピースの一形態として発信しているのです。

      「両国で歴史を紡いできた弊社が、同じく両国で文化発信をおこなっている『すみだ北斎美術館』とコラボレーションすることで、日本を代表するアーティストである北斎の芸術をハワイアンシャツというキャンバスに表現することができました。これらの作品が後世の人々に『2020年代のヴィンテージハワイアンシャツ』として評価されるようになったらそれ以上に光栄なことはないですね。」

      両国から世界へ。後世へと文化を繋いでいく思い

      ハワイアンシャツの本場ともいえるハワイでは、1970年代頃からより大量生産にシフトしたものづくりが進み、柄のモチーフへのこだわりも減り、素材も古き良きレーヨンやコットンから量産向けのポリエステルなどの化繊へと変遷してしまっているそうです。

      「我々が展開するハワイアンシャツは、柄だけでなく当時の製法も忠実に再現しています。それは日本がハワイアンシャツの発祥と発展に深く関わっており、日本のものづくりを通してハワイアンシャツの魅力を後世に伝えていきたいからです。これからもハワイアンシャツの歴史背景や、ハワイアンシャツならではの粋なスタイルを、東京の下町から発信し続けていきたいと考えています。この先数十年後、未来のコレクターたちが血眼になって探すような本物のハワイアンシャツをつくり続けていきたいですね。」

      SUN SURF

      公式ウェブサイト(外部サイトへ移動します。)https://www.sunsurf.jp/