京都府京都市
2025.10.29 (Wed)
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京都府はコーヒー消費量が日本でトップクラス。総務省統計局による家計調査によると、コーヒーの年間支出額は滋賀県に次ぐ2位となっています。その理由にはさまざまな説がありますが、呉服関係の職人さんなど自営業の商売人たちが喫茶店で集うから、大学が多いため学生や教授がカフェで語り合うから、といわれています。
確かに、京都では大通りから一歩入ると、数十年続く喫茶店、個人経営のこだわりカフェ、スペシャルティコーヒー専門店、自家焙煎にこだわるコーヒーショップなどさまざまなお店に出会うことができます。

なぜ、京都の人たちはコーヒーが好きなのだろう? 京都の人たちにとって、コーヒーとは何なのだろう? その答えを探るため訪ねたのは、長年に渡り京都でカフェやコーヒーイベントを手掛けるコーヒーディレクターの牧野広志さん。コーヒーを通して人と人を繋ぎ、地域文化を育む“京都のコーヒー伝道師”です。

牧野さんは1966年生まれ 福井県出身。京都芸術短期大学(現・京都芸術大学)入学を機に、18歳から京都暮らしを始めました。
1980年代、21歳の牧野さんは「フィッシュ&チップス」というクラブを立ち上げます。その後にオープンしたクラブメトロ、GARDENといった名クラブにも関わりました。
「フードの仕入れ業者さんが、おまけでコーヒー豆を持ち込んできたんです。ウォッカに入れて提供していましたが、豆がどんどん溜まってくる。そこで、豆を手挽きしてドリップし、お客さんにコーヒーを提供するようになりました。コーヒーの淹れ方は完全に独学です。」
1994年から約5年間はフランス・パリ、ルーアン、リヨンに滞在。周辺の町や近隣の国にも繰り出しました。そこで目の当たりにしたのは、真のカフェ文化でした。
「どの町を訪れても、あちらこちらにカフェがある。そしてどのカフェも、コーヒーもフードもすべて美味しい。お客さんはテラス席でスタッフさんと会話を楽しんでいる。ヨーロッパのカフェ文化をうらやましく感じました。」

2000年に帰国した牧野さんを待っていたのは、空前のカフェブームでした。街中、住宅街、路地奥などに多種多様なカフェがオープン。牧野さんはさまざまなカフェに足を運びました。
「どの店に行っても、個人的にはコーヒーにも料理にも満足できなかったんですよ。SNSがない時代でしたが、お客さんがフードやスイーツを“可愛い”と表現している気がしてしまって。お店側も“可愛いでしょう”とアピールしているのではないか、と。喫茶店の閉店が続いた影響なのか、本来はくつろいてコーヒーをゆっくり味わっているはずなのに、おじいちゃんやおばあちゃんが自分達でコーヒーを運んでいる姿を見てしまって。それがなんだか淋しくてね。ヨーロッパで体験した、豊かなカフェ文化との違いに愕然としました。」

いっぽうで、牧野さんは京都の人たちの文化度の高さも知っていました。
「僕が中学、高校生のころ、田舎の喫茶店で聞こえてくるのは下世話な話題が多かったですね(笑)。しかし京都の喫茶店では、職人さんたちが着物のデザインの打ち合わせをしていたり、学生や教授がアカデミックな話をしていたり。ヨーロッパの古い町にあるカフェも同じく、お客さんたちは文化的な会話をしていることが多かった。」
京都には、喫茶文化の土壌がある。しかし、足りないものもたくさんある。だからこそ真剣にコーヒーに取り組み、京都のコーヒー文化を高めたい。そう考えた牧野さんは、本格的なカフェ運営に取り組むことにしました。
2002年、京都の中心部である御幸町姉小路に「パークカフェ」をオープン。ナポリ帰りで中央市場にいた友人をシェフに迎え、自家農園の無農薬野菜を使った化学調味料を使わない料理を提供。さらには、フランスのモン・サン・ミシェルから生きたムール貝を仕入れたり、当時珍しかったイリーのコーヒーを取り入れたり。フードは “正しく美味しい家庭料理を”と、わざと雑に盛りつけたワンプレートのスタイル。カフェの概念を覆す挑戦でした。またたく間に、ちょっと“尖った”人たちから支持を得る人気カフェとなりました。

「ターゲットはカルチャー好きの人。それから、誰よりも大切にしていたのは地域の人。街中のカフェでしたが、地元の方たちもよく来店していただきました。昔ながらの喫茶店のように配達もしました。電話で注文を受けることもあれば、道端で『コーヒー持ってきてくれへんか』と声をかけられることもありましたね。」
次のステップは2015年。木屋町の元・京都市立立誠小学校でコーヒーショップを開店します。現在、木屋町エリアは飲食店やバーが入居するビルが立ち並ぶ歓楽街ですが、地元の人にとっての立誠小学校は「かつて通っていた、思い入れのある小学校」。住民たちの働きかけにより建物や教室のたたずまいを残す施設として生まれ変わり、1階の元職員室には牧野さんが手掛ける「トラベリングコーヒー」が入居しました。
このとき、牧野さんはこう決意します。
「コーヒーはコミュニケーションツール。コーヒーがその場にあれば、誰かと話すきっかけになる。京都には、コーヒーを介して人と交流する文化がある。京都を、コーヒーの街にしたい。」
2016年、映画「ア・フィルム・アバウト・コーヒー」の上映に合わせ、トラベリングコーヒーは京都初のコーヒーイベントを開催。1日限りのイベント、しかも大雨だったのにも関わらず1000人近くが来場しました。

写真提供:COFFEE BASE NASHINOKI
イベントの成功を受け、牧野さんは同年に京都発のコーヒーイベント「ENJOY COFFEE TIME」をスタート。京都にあるさまざまなコーヒー店が一同に集結するイベントで、京都市内の各地で開催されています。コーヒーの飲み比べチケットがあり、お客さんはさまざまなお店のコーヒーを楽しむことができます。牧野さんは、イベントの出店に「京都に実店舗があること」「イベント限定フードを提供しない」「多店舗とのコラボはNG」というルールを設けています。
「その場でコーヒーを飲む。お店のスタッフさんと会話を楽しむ。イベントとしてはこれだけで完結しますが、僕が目指しているのはその先。『美味しかったから実店舗に行ってみよう』『店主に聞いたあのコーヒーをネットで注文してみよう』と、次のアクセスに繋げることが目的です。」

写真提供:COFFEE BASE NASHINOKI
ちなみに、参加店舗のオーナーさんの多くは「トラベリングコーヒーでの映画コラボイベントに来場した」という人なのだそう。
「それまで、京都にコーヒーイベントはありませんでした。みんな、コーヒー好きが集まるイベントを求めていたのでしょう。オーナーさんたちはそれぞれ、他のコーヒー店をライバルではなく仲間だと思っています。知人のコーヒーショップをお客さんに紹介する人も多いんですよ。」
コーヒーは人と人、お店とお客さん、そしてお店とお店も繋げる“コミュニケーションツール”なのですね。牧野さんはコーヒーの輪を広げるべく、牧野さんは全国のコーヒーイベントにも積極的に参加しています。
「お客さんや出店者さんとコミュニケーションを取り、その地方でコーヒーがどう捉えられているかを確認したいという気持ちもあります。ネットで何でも買える時代だからこそ、直接やり取りすることは重要だと思っています。」
現在、牧野さんの拠点は「株式会社 COFFEE BASE」。京都、大阪、東京、滋賀で8店舗を展開していますが、すべての店舗で意識しているのは「地元密着」です。

取材で訪れたのは、京都御苑の東側、梨木(なしのき)神社の境内にある「Coffee Base NASHINOKI」。京都三名水のひとつ、染井の水で入れるスペシャルティコーヒーの専門店です。
染井の水が湧く井戸があるのは、店舗のそば。毎日地元の人たちが水を汲みに訪れています。

おすすめは、水出しコーヒーブレンド。深みがありながら香りが高く、すっきりとした飲み口です。
お客さんたちは縁側に座って木々や空を眺めながらひと息ついたり、日によって開放される茶室でくつろいだり、テイクアウトをして境内を散策したりと、思い思いに過ごしています。混んでいることが多いと知っているご近所さんは、電話でオーダーをしてから来店する、マンションに持ち帰る、コーヒー豆を購入して自宅で淹れる、という人も多いそうです。

最後に、現在の京都は牧野さんの目にどう映っているのかをお聞きしました。
「京都の中心地は、インバウンドの方々が多く、可愛いものやおもしろいものを求めてたくさんの人たちが体験に訪れるアミューズメントパーク的な街になっていますね。僕は“京都ランド”と呼んでいます。いっぽうでテナントの賃料が上がり、京都の飲食関係者は出店することが難しくなってきています。
京都の人たちの想いを感じられる喫茶店やカフェを訪れるなら、中心部を離れるのがおすすめ。そこに暮らす人たちに合わせたお店が、地域と共存する様子を見られると思います。」
牧野さんが追求し続けるのは、コーヒーがある豊かな文化。スペシャルティコーヒーが会話のきっかけになるのもいい、イベントをきっかけにコーヒー店を訪ねるのもいい。牧野さんは一杯のコーヒーには人と人を繋げる力があると信じ、活動を続けています。
COFFEE BASE NASHINOKI
京都府京都市上京区染殿町680https://kanondo.theshop.jp/