徳島県阿波市
2025.11.21 (Fri)
目次
創業以来161年にわたり、昔ながらの和三盆づくりを続ける服部製糖所。その味わいは、土地の風土と一家の努力によって守られてきました。現在16代目を継ぐ服部滉輝さんは、製糖所の伝統を大切にしながらも、和三盆専門のスイーツブランド「BON COFFRET」を立ち上げ、阿波和三盆の新たな魅力を発信しています。伝統を守るために、縛られるのではなく、新たな価値観を築いていく。そこにある想いをうかがいました。
さらさらとした粉雪のような質感。柔らかなベージュ色。その優しい甘さは舌の上でほどけ、すっと消えていく−−阿波和三盆は、徳島県と香川県の境に位置する、阿讃山脈のふもとで作られている全国でも希少な在来種「竹糖(ちくとう)」でつくられる砂糖で、高級和菓子などには欠かせない存在です。

「白砂糖に比べ、独特の風味やコクがあり、繊細な味わいが特徴です。」
そう教えてくれたのは、徳島県・阿波市の服部製糖所16代目の服部滉輝さん。元治元年(1864年)の創業以来、自社畑で栽培した竹糖だけを使用した“昔ながらの和三盆”づくりを守り続けてきました。

服部製糖所16代目の服部滉輝さん。
徳島県の和三盆づくりの歴史は、江戸中期にまで遡ります。
「四国遍路の途中で行き倒れた鹿児島(薩摩国)の修行者を、この地域の人が助け、そのお礼に黒糖づくりの技術を伝えたのが始まりだといわれています。温暖で雨が少ない気候と、水捌けのいい土が地元に似ていたことから、サトウキビを栽培するのに適していると考えたようです。」
鹿児島で学んだ黒糖づくりを持ち帰り、この地の独自性を出すため蜜を抜いて黒糖よりも白く仕上げたのが、和三盆となりました。以来、和三盆はこの地を代表する名産品となり、徳島県(阿波国)でつくる和三盆を阿波和三盆、香川(讃岐国)でつくる和三盆を讃岐和三盆と呼ぶようになったとか。

10月の竹糖畑。太キビよりも小さく、背丈は2mほど。
「阿波和三盆の味を決定づけるのが、原料となる在来種のサトウキビ『竹糖(ちくとう)』です。九州や沖縄で見かけるサトウキビに比べ背丈が小さく、太さも親指ほど。繊細で、除草剤を使うと枯れてしまうため、草刈りもすべて手作業で行う必要があります。」
さらに、現在は竹糖に対応する機械がないため、収穫もすべて鎌を使って一本一本刈り取るというから、その手間は相当なもの。それでも、「ほかでは出せない糖度や味、風味がある。」と服部さんは語ります。

冬、1年を通して丁寧に育ててきた竹糖を、1本ずつ手作業で収穫します。収穫した竹糖は、皮ごと砕いて絞り、出てきた汁を煮詰めながら、アクを丁寧にすくっていきます。とても根気のいる作業ですが、阿波和三盆の味を決める重要な工程です。

煮詰め続けると、大きな釜いっぱいにあった搾り汁は1割以下まで量を減らし、茶褐色のとろりとした「白下糖」になります。それを冷却結晶化させ、さらに蜜を抜く作業へ。この「研ぎ」と呼ばれる工程を何度も繰り返し、最後に乾燥させて粉砕すれば、やっと完成です。
かつては米農家ほどにたくさんあったという竹糖農家ですが、海外から安価な白砂糖が入ってくるようになると、その数は次第に減っていきました。現在、製糖所は、徳島県と香川県を合わせても、わずか5軒だけ。そのなかでも、竹糖100%で昔ながらの和三盆づくり続けているのは服部製糖所だけだといいます。
「実は和三盆には明確な規格がないんです。そのため時代の流れの中で、実際には竹糖を使ったものではない、安価な砂糖を混ぜた商品が『和三盆』として多く出回るようになっていきました。」

160年以上の歴史を持つ服部製糖所も、事業の継続そのものが危ぶまれたことがありました。
「父の代になると、取引先もかつての三分の一ほどにまでになり、卸しだけではどうにもならない状況になってしまって。そこで他社と同じように和三盆100%のこだわりを捨てようと思ったこともあったそうです。でも、祖父に“混ぜ物をするくらいなら廃業しろ”とはっきり言われ、思いとどまったそうです」
そこで服部さんの父親が力を入れ始めたのが、自社製品の開発と小売りでした。
「『今、自分たちが辞めてしまったら、昔ながらの和三盆づくりがこの世からなくなってしまう。』そんな想いが、父の中に“守り続ける覚悟”を芽生えさせたのだと思います。」
さまざまな和三盆製品が増え続ける中で、自分たちはこれまでの製法を守りながら、竹糖100%の和三盆を届けようと、存続する道を模索しました。その努力と想いは3人の息子たちへと受け継がれ、兄、弟が代表を務めたのち、現在は、次男の服部さんが代表に。

もともと大阪で菓子職人を志していたという服部さんは、地元を離れ、独立を目指していた時期もありましたが、父親の体調不良や自身の体調の変化をきっかけに帰郷。家業を手伝ううちに、阿波和三盆の魅力を深く知るようになっていったといいます。
数は少なくなっても、和三盆の魅力を理解してくれる卸先の存在と、干菓子など自社製品の評価。希望を取り戻し始めた服部製糖所でしたが、そこに再び存続の危機が訪れます。
「コロナ禍、卸先であるお菓子屋が営業ストップとなり、卸の売り上げがほぼゼロになってしまったんです。この状況がいつ終わるかもわからない。これは自分たちでなんとかしなければと家族で考えた末、生まれたのが、和三盆を使ったおはぎでした。」

まるで花束のように美しいおはぎ「花輝」。
和三盆を使った餡に、天然素材で着色し、まるで花束のように仕上げたおはぎ『花輝(はなひかり)』。「最後の“賭け”のつもりだった」という服部さん。その華やかさに目を留めたある有名人が、SNSで紹介したことをきっかけに、「花輝」は、一躍人気商品に。問い合わせや注文も増えていったといいます。
そして2023年、服部製糖所の隣接地に、和三盆スイーツ専門店「BON COFFRET(ボンコフレ)」をオープン。竹糖畑の真ん中に建てられたこの店舗では、阿波和三盆を使ったソフトクリームやおはぎ、シュークリームなどを提供し、地元客から県外から訪れる観光客まで、多くの人に親しまれています。

「竹糖100%の和三盆は、手間もコストもかかります。でも、本当の和三盆のおいしさを、もっと多くの人に知ってほしい。そのために、自分たちの手で届けられる場所をつくりたかったんです」


「BON COFFRET」。店のテラスはカフェスペースになっており、生い茂る竹糖を眺めながら、阿波和三盆のスイーツを楽しめる。
阿波和三盆を未来に残していくために、服部さんは今も模索を続けています。かつて製糖工程を担っていた職人たちも高齢化が進み、技術を受け継ぐ人材が少なくなる中、未経験の工程にも自ら挑みながら、日々の製造を担うようになりました。
「現在稼働しているのは、祖父の代から使い続けてきた昭和初期の製糖機械です。長年酷使されてきた設備には故障のリスクがつきまとい、どこかの部品が壊れてしまえば、作業の時期を休まざる得なくなってしまいます。竹糖の収穫時期はわずか1ヶ月ほどと短く、気候変動の影響で収穫期がずれると、糖度や風味にも大きく影響が出てしまう。さらに、毎回の修理費も大きな負担になっています。そこで今、新たな工場の建設を計画しているところです。」

効率化や省人化のためだけでなく、これまで熟練者に委ねられてきた“勘”や“コツ”の再現性を高めるための機械化。それは、製糖を“誰でもできる作業”にすることで、未来の担い手を増やす試みでもあります。人の手だけに頼る体制には、限界がある——だからこそ、伝統を守るために、あえて「変わる」ことを選ぼうとしているのです。
「今のままでは続けられない。でも、続けるために形を変える。阿波和三盆の伝統を守ることができるなら、機械化も立派な選択肢だと思うんです」

徳島の名物、渦と鯛をモチーフにした「BON COFFRET」の干菓子はお土産にも人気。添加物不使用で子どもも安心して食べられる。
伝統を継承していくためには、「自分たちの代がなんとかするしかない」と服部さん。そんな中で、徳島という土地への見方も少しずつ変化してきたと語ります。
「昔は“徳島には何もない”と思っていたんです。観光ツアーも鳴門の渦潮と美術館が定番で、変わり映えしない。でも最近は、知らないだけなのかもしれない、と思うようになりました。たとえば、先日YouTubeでにんじんが徳島県の特産だと初めて知り、驚きました。そうした特産品と和三盆と組み合わせて新しいものを作れないかと考えるのも、楽しみの一つになっています」

竹糖を育んでくれる徳島の風土。阿波和三盆を作り続けていくために、この土地とのつながりは切っては切り離せなません。
「今後、新しい工場が完成したら、見学やワークショップを組み込んだ観光ツアーなど、和三盆とともに“徳島の魅力”を伝えていくような体験の場づくりにも力を入れていく予定です。」

昔ながらのやり方や美意識に縛られるのではなく、次の世代が“今”という時代にふさわしいかたちで伝統を再構築していくこと。服部さんの姿勢は、阿波和三盆を次の100年へとつないでいくための、新たな「継承」の形を映し出しているようでした。
服部製糖所
公式ウェブサイト(外部サイトへ移動します。)https://www.awawasanbon.com/