北海道札幌市
2025.12.23 (Tue)
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温暖地の作物とされてきたサツマイモを、札幌近郊の農業地帯、由仁町・栗山町で育てられないか。そんな一見無謀にも思える挑戦に踏み出したのは、地域の若手農家たちでした。彼らは「そらち南さつまいもクラブ」を結成し、寒冷地ゆえの厳しい条件をひとつずつ乗り越えながら、“早さよりも、ゆっくり・おいしく・続けられる栽培”という独自のスタイルを確立しました。そうして生まれたブランドいもが「由栗いも(ゆっくりいも)」です。今回は中心メンバーである井澤孝宏さんに、挑戦の始まりから現在、そして未来についてお話を伺いました。
由仁町と栗山町は、開拓期以来の農業地帯で、豊かな土壌が多様な作物を育んできた札幌近郊の農業地帯です。一方、北海道で“いも”といえば主役はジャガイモで、サツマイモは積算温度の不足や遅霜などの理由から長く“不向き”とされてきました。

取材時、由栗いもの畑は淡い雪に覆われ、春の準備が静かに始まっていました。
井澤さんたちは、若手農業者団体「4Hクラブ」で合同の「サツマイモプロジェクト」を立ち上げ、7名体制で並行試験を始めました。しかし最初の年は、積算温度が足りず親指大の芋しか育たない、見た目は生育しても糖度が上がらないなど、厳しい現実に直面したといいます。それでも、土壌・気温・霜というハードルを、ひとつずつ“設計し直す”というアプローチで突破してきました。
重要だったのは、まず地温管理と霜対策でした。地中に効率よく熱を伝えるグリーン系マルチを採用し、5月上旬の早植えに不織布を併用することで霜のリスクを回避しました。これにより夏が短い北海道でも、サツマイモの肥大期を確保できるようになりました。

さまざまな実験を経てたどり着いたグリーン系のマルチを使うという打ち手。黒ではなくグリーンが最適なのだそう。
土づくりもゼロから見直したのだとか。畑ごとに土壌検査をおこない栄養バランスを調整し、タマネギやカボチャなどとの輪作を徹底して連作障害を回避しています。
さらに、北海道の平均気温が上昇するなどの気候変動も追い風となりつつあり、井澤さんは「新しい作物への挑戦は、これからの北海道農業を守るための選択肢を増やすことにつながる」と話してくれました。

積算温度を稼ぐために本州よりも早め、5月上旬から由栗いもの栽培は始まる。その結果、収穫時はこのぐらいのサイズに。
「4Hクラブ」による「サツマイモプロジェクト」が軌道に乗り始めた頃、中心メンバーが「4Hクラブ」の区切りとなる30歳を迎えます。それがきっかけとなり「そらち南さつまいもクラブ」が誕生しました。当初7名だったクラブは、現在では生産者約30名+応援会員約7名の計37名へと広がっています。

「そらち南さつまいもクラブ」のメンバーたち。挑戦の輪が広がっています。
さらに、転機となったのは、子どもたち向けの芋掘り体験でした。「ジャガイモからサツマイモに変えた年があったのですが、子どもたちの喜び方が全然違ったんです。あの笑顔を見た瞬間『本気でやろう』と思いました。」と井澤さんは振り返ります。
販路についても、そらち南さつまいもクラブはJAに頼らず自分たちで開拓するスタイルを選びました。地域の飲食店や小売店と直接つながれる環境があったため、クラブ自ら営業・販促・イベント運営まで手がけています。

「取引先と直接つながり、販促やイベントも自分たちで行っています。」
そらち南さつまいもクラブは、生産だけでなくブランドとしての見せ方にも強くこだわっています。箱、ロゴ、パッケージは地元段ボール会社と共同開発し、複数案から選び抜かれたデザインです。

由栗いもを出荷するための段ボール。白い部分は北海道の雪景色をイメージしているとのこと。

モチーフは“冬眠=熟成”。かまくらやヒグマのキャラクターが印象に残ります。
「由栗いも」は、由仁町(ゆ)+栗山町(くり)に、“ゆっくり育てる”と“ゆっくり熟成する”という意味を掛け合わせた名称です。栽培では積算温度を丁寧に稼ぐことを重視し、収穫後は“キュアリング(熟成)”で仕上げる。このふたつの“ゆっくり”が品質の核になっています。

現在のキュアリング専用倉庫。初期はハウスやコンテナで試験的に行っていたそうです。
芋は収穫後、30〜40℃・湿度90%の環境で約3日間熟成させます。この工程により表面の小傷がコルク化し、長期保存が可能になります。生芋の販売期間は7〜8ヶ月まで延び、熟成が進むほどデンプンが糖へと変化して甘みが深まります。

小傷があった場合もキュアリング後はその部分がカサブタ状になり、保存性が向上します。

加熱時には糖度30度を超えることも。蜜があふれるような甘さになります。
由栗いもは北海道栽培ならではの水分量の多さから、ホクホクとしっとりの中間のような絶妙な食感になります。菓子づくりはもちろん、グラタンや天ぷらなどの総菜にも向き、特にチーズや乳製品との相性が抜群です。
最後に、井澤さんに未来への想いを伺いました。
「次世代の若い農家が、自分で考え、行動できるような環境をつくりたいと思っています。農業の楽しさを発信することで、こどもたちの“なりたい職業”のひとつになれたらうれしいです。そのためにも由栗いもがもっと多くの人に知られ、『北海道といえば由栗いも』と言われる存在になれるよう、目の前のことを着実に積み重ねていきたいです。」
“速さより深さ”を選ぶ。雪の下でゆっくり甘みを蓄える由栗いもは、北海道の農業が未来へ続くための確かなヒントになっています。
