京都府京都市
2026.01.22 (Thu)
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京都には、長く愛される“ええもん”があります。それは形あるモノに限らず、土地に根づいた美意識や、丁寧に暮らす人の姿勢そのもの。この連載では、そんな「京のええもん」をよく知る京都の人々に、愛用品やその魅力を語ってもらいます。今回登場するのは、京都を拠点に“コーヒー伝道師”として活動する牧野広志さん。スペシャルティコーヒーショップ・COFFEE BASEでは店頭に立つほか、国内外のコーヒーフェスティバルに出店。自身が主宰するコーヒーイベント「ENJOY COFFEE TIME」は京都のコーヒー店が集結する人気イベントで、京都市内各地で開催されています。ショップやイベントでコーヒーの輪を広げている牧野さんの愛用品は、京都の老舗「開化堂」の茶筒です。茶筒に入れるのはコーヒー豆。全国各地や海外のイベントにもこの茶筒を携え、コーヒーを淹れながら京都の伝統技術の素晴らしさを伝えています。
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牧野 広志さん
プロフィール:コーヒーディレクター。1966年、福井県生まれ。京都芸術短期大学(現・京都芸術大学)入学を機に京都生活をスタート。1980年代には京都のクラブシーンを牽引。2000年代からは御幸町姉小路で伝説となったパークカフェ、元・京都市立立誠小学校で「トラベリングコーヒー」を運営。2016年からは京都発のコーヒーイベント「ENJOY COFFEE TIME」を主宰。現在の拠点は、京都をはじめ8店舗を展開する株式会社COFFEE BASE。
愛用品:「開化堂」の茶筒

「コーヒーはコミュニケーションツール。コーヒーがそこにあるだけで、誰かとの会話のきっかけが生まれます」と、牧野広志さん。日本各地、さらには海外でのコーヒーイベントにも積極的に参加し、コーヒーを通じて人と人をつなげています。
「先週は東京コーヒーフェスティバルに出店。あさってからは同じイベントが台湾で開催されるので、コーヒーを持っていってきます。その後にもアジアでのイベントが控えています。」
国内外を飛び回る牧野さんが、必ず持ち歩いているのが京都にある開化堂の茶筒です。

開化堂は1875年(明治8年)創業、2025年に150周年を迎えた、日本でもっとも古い歴史をもつ手作り茶筒の専門店です。

画像提供:開化堂

画像提供:開化堂
熟練の職人さんが銅、ブリキ、真鍮を手作業で加工。130以上もの工程を経て一つひとつ丁寧に茶筒を作りあげています。近年はパスタ缶やフラワーベース、トレイなど現代の生活に寄り添うプロダクトも展開しています。

牧野さんが最初に開化堂の茶筒に出会ったのは24歳のとき。現在愛用している茶筒よりもひと回り大きいものでした。
「結婚式の引き出物だったかな、どこかからのいただきものです。当時はまだ若かったため、自宅でお茶を淹れて飲む習慣がありませんでした。茶筒にはシルバーのアクセサリーをポンポン入れていました。お菓子のジェリービーンズとスプーンを入れて、枕元のテーブルの上に置いておくこともありました。

ある日、友人に『それ、開化堂の茶筒でしょう? そんなに雑な使い方をしていたらもったいない』と言われて、筒の底を見たら開化堂という文字が刻まれていました。そのころ、開化堂という名前は知っていたけれど、価値の高さを分かっていなかったんです。」
その茶筒は「どうしても買うことができなかった」と熱望する外国人に譲りました。当時は生産が追いつかず、なかなか手に入らない時期だったそうです。

今、使っている茶筒は2代目。茶筒は日本茶を保存するための容器ですが、牧野さんはコーヒー豆を入れて持ち歩いています。
「2021年、開化堂が手掛けるカフェ・Kaikado Caféが5周年を迎えたとき、6代目の八木隆裕くんからノベルティとしていただきました。」
使い始めて約4年。最初はピカピカの銀色でしたが、経年により、ややにぶい光を放つようになりました。20年、30年と使い続けると、次第に茶色から黒っぽい色に変化していくそうです。

「開化堂の茶筒の素晴らしさは、1時間でも2時間でも話せます(笑)。まずは、精度の高さ。蓋を筒の上に乗せ、手で蓋を軽く押します。すると蓋が音もなくスーッとゆっくり下に落ちる。空気が自然に抜けながら、ゆっくりと密閉されていくんです。」


この“落ち加減”こそが、開化堂の茶筒の真骨頂。見た目にはシンプルな茶筒ですが、その精密さこそ、熟練の職人さんにしか実現できない技術の結晶なのです。
「手にすっと収まる。手に持った感触が心地よい。気密性が極めて高い構造で、コーヒー豆の香りが外に漏れることはない。存在感があるから、置いておくだけでもカッコいい」と、牧野さんは目を輝かせます。
もし、歪んだり、蓋の閉まりが悪くなったりと不具合が生じても、丁寧に修理してもらえます。牧野さんは修理をお願いしたことはありませんが、「一生使い続けられるという安心がある」と語ります。

蓋に書かれている「5th Anniversary」の文字は、開化堂が一つひとつ手で判子を押したもの。「上等な茶筒に、あたたかみのある文字。このラフさもいいでしょう」と、牧野さんはうれしそうに目を細めます。

牧野さんがコーヒーイベントに出かける際は、ザ・ノース・フェイス スタンダードのレコード用ケースを使用。コンパクトに収めたいときは7インチレコード用、フルセットのときはLPレコード用と使い分けています。
ケースの中に収めているのは、開化堂の茶筒、ドリッパー、スプーン。これらのツールはすべて、お客さまにコーヒーをもっと楽しんでもらうための舞台装置です。
「コーヒーを淹れるシーンは、お客さまへのデモンストレーションの場でもある。美味しいコーヒーがある時間を盛り上げるためにも、ギミックや所作を大事にしています。」

シルバーのスプーンはティファニーのヴィンテージで、本来はモヒート用なのだとか。ドリッパーは2種類を使い分けています。カリタのドリッパーは新潟県の燕三条製。もう一つは、こちらも燕三条のブランド・BEANDY。底に花びらのような形の穴があいており、浅煎り豆を淹れるのに向いた形状です。牧野さんが道具のお話をするたびに「わあ、ティファニーを使っているんですね、うれしい!」「道具へのこだわりがあって素敵ですね」と、歓声が上がります。
また開化堂の茶筒も、最高のギミックです。

「この茶筒を取り出して『京都の老舗、開化堂の逸品なんです』とお伝えし、豆の香りを楽しんでもらう。蓋が筒に落ちていくパフォーマンスを見せて『職人さんが手作りされているから、こんなに精度が高いんですよ』とお話しする。開化堂を知らないお客さまには、歴史や製造工程についてお伝えする。書いてあるこの文字についても聞かれて『カフェの5周年記念品としていただいたんです』と話すと、『あの開化堂とつながりがあるんですか? すごい!』と、僕の株も上がる(笑)。ね、開化堂の茶筒も素晴らしいコーヒーもコミュニケーションツールでしょう?」

牧野さんのモノ選びには明確な基準があります。デザイン性、機能性が両立していること。そして「作り手の想いが込められている」「モノづくりへの真摯な姿勢に共感できる」ことも重視しています。
「ファストファッションは身につけないし、コンビニにも100円ショップにも行かない。買い物では、ボールペンを買うのは文房具店、万年筆なら百貨店と、その道に詳しい専門のスタッフさんがいるお店を選びます。目利きの方が選ばれたものを手に取り、歴史を教えてもらったり、扱いかたを学んだりしています。」
実家の仏壇では、京都・中村ローソクの和ろうそくを使っています。中村ローソクは伝統的な製法で和ろうそくを作る、創業130年以上の老舗です。
「炎が消えにくく、油煙が少ない。さらに、炎の形も揺れる姿も美しい。京都の職人さんが作るものは、機能的でありながら美しさも備えていると感じます。」

牧野さんにとって、モノは単なるモノで完結していません。
「そのモノを使ったときの満足感だけでなく、僕がモノを使った先にいる人にもいろんな気持ちを届けたい。たとえば、ペンで手紙を書くときには綴る文字に僕の想いを乗せたい、とかね。開化堂の茶筒も同じです。この茶筒を使うことで、たくさんの方々に京都の職人文化を伝えたい。そしてお客様とのコミュニケーションを深めたいと思っています。」

開化堂の6代目・八木隆裕さんとの出会いは、トラベリングコーヒー時代。八木さんが「もうすぐカフェをオープンするんです」と、お店を訪ねてきたことがきっかけでした。
「八木くんとは頻繁に会うわけではないけれど、顔を合わせてちょっと話をすると『今はこんなプロジェクトを進行中』『次はこんな展開を考えています』と、いつも新しいことにチャレンジしている。刺激を受けています」と、牧野さん。
八木さんは、常に挑戦を続けています。茶筒といった商品の取扱店舗は、国内では大丸京都店をはじめとする百貨店のほか、アパレルショップなど多岐にわたります。海外ではヨーロッパ、アメリカ、中国など15カ国にまで広がりました。2018年にはパナソニックとの共同開発で生まれた茶筒型スピーカーが話題に。2025年冬、サカナクションの山口一郎さんのアイデアから生まれたジュエリーケースをリリースしました。カフェではコーヒー専門店さながらの大型焙煎機を導入し、自社での自家焙煎に取り組んでいます。

画像提供:開化堂
「八木くんは、小さい頃から家業をそばで見て育ってきている。彼のベースは、外から来た僕がどんなに頑張っても手に入れられない“伝統の厚み”。さらには、絶対に守るべきところと進化させるべきもののバランス感覚が抜群に優れていて、常に“攻め”の姿勢を持っている。伝統と現代性を融合させるセンスだけでなく、クルマや音楽の趣味もいい。羨ましいくらい、カッコいいんですよ。」
牧野さんは、八木さんの“伝統の厚み”と“センス”を高く評価していますが、独自のフィルターを通して京都の文化を客観的に見ることができるのは、京都生まれではない牧野さんだからこそといえるでしょう。

一個の茶筒から、京都の職人文化を世界に伝える。
開化堂の茶筒は、牧野さんにとって単なる道具ではありません。京都の優れた伝統技術、美意識の高さ、挑戦する姿勢……これらすべてを体現する、京都の職人文化の象徴。そして、コミュニケーションを生むパートナーであり、世界に京都を伝える大切なツールなのです。牧野さんは“コーヒーの伝道師”でありながら、“京都の職人文化を広める伝道師”でもあるのです。