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風景の中に、自分がいる——アーティスト・真田将太朗が描く“身体としての風景”

風景の中に、自分がいる——アーティスト・真田将太朗が描く“身体としての風景”

    2026.02.27 (Fri)

    目次

      真田将太朗は、自身の作品を一貫して「風景画」だといいます。彼にとって風景とは、目で眺める対象ではなく、その場に立った自分の身体ごと立ち上がる体験。重力、時間、空気の重さ——そうした感覚をどう画面に定着させるのでしょうか。幼少期の記憶から現在の制作まで、その思考の軌跡をたどります。

      「ずっと風景ばっかり描いてきた」子供時代

      真田さんは関西出身で、「もう記憶にないぐらい前から」絵を描いてきました。

      「一歳とか二歳の頃のことは覚えてないですけど、ぐるぐるをたくさん描いたり、画面の端から端までをひたすら塗り続けたりしていたと親からは聞いてます。たぶん、絵というより運動そのものに喜びを感じていたんじゃないかな。」

      両親が芸術関係者だったわけではありません。特別な教育を受けた記憶もなく、絵はあくまで生活の延長にありました。それでも、描く対象だけは早い段階から定まっていました。

      幼少期に描いた、地元・兵庫県西宮市の風景画。

      「小学校の頃から、ほぼずっと風景ばっかり描いてました。人物とかモノを描こうとしたこともあるんですけど、あんまりしっくりこなかったんですよね。」

      なぜ風景だったのか。その理由を明確な言葉で説明するのは難しいとしながらも、真田さんは「自分がその場に立っている感じ」が重要だったと話します。

      神戸でのロケハン時の一コマ。

      「風景って、そこに立っている自分が含まれている気がするんですよね。人物画だと、どうしても他人を見る感じになる。でも風景は、その中に自分がいる感覚がある」

      この「自分が含まれている」という感覚は、真田さんの制作全体を貫く重要な視点です。

      「僕は昔から、自分の視点というのが強固にあって。“自分 対 世界”という感覚で生きてるので、風景はどうしても自分にとって強いモチーフでした。」

      風景は眺める対象ではなく、自分自身が立ち会った出来事であり、その体験をどう残すかが彼のクリエイティブの出発点になります。

      写実から抽象へ、それでも風景画

      現在の真田さんの作品は、抽象表現として紹介されることが多くあります。しかし本人は、一貫して「風景画を描いている」という認識を持っています。

      「もともとは写実的な絵を描いていました。でも写実って、完成したあとに『ちゃんと描けたな』っていう達成感はあるけど、画像として残ること自体に、そんなに僕自身は喜びを感じてなかったんです」

      写真やスマートフォンが当たり前になり、さらに生成AIによって誰でも簡単に画像を生成できる時代。そうした環境の変化も、写実表現への違和感を強めていきました。

      「今の時代、きれいな風景写真はいくらでも見られるじゃないですか。そうなると、自分が時間をかけて写真的な風景を描く意味って何なんだろうって思うようになっていったんですよね。」

      転機となったのは、大学で与えられた抽象画の課題でした。

      「最初は正直、よく分からなくて。適当に描いて出したら、『色の選択とバランスはいいけど、奥行きがないね』って言われちゃったんですよね。」

      そこから抽象表現を学び始め、次第に現在のスタイルへと近づいていきます。ただし、それは写実を捨てたというよりも、風景を扱うための方法を更新していく過程でした。

      「抽象だと、風景を見たときに感じた重力とか、その場所ができあがるまでの長い時間みたいなものを、表現できるなという気がしたんです。」

      抽象表現との出会いを経て、真田さん自身の作風が定まっていったのだといます。

      「見る経験と描く経験で、作家の根っこみたいなものは出来ていくと思うんです。僕は美術館が身近にあるような大都会で育ったわけではないので、上京してから多くの美術品に触れる機会に恵まれました。そこでリソースが揃ったというか。ただ身体を動かすのが好きとか、絵が好きとか、幼い時からのそういった本能的な喜びが、いろんなリソースに触れることによって整理されていったという感じでしょうか。」

      神戸でのロケハン時の一コマ。

      真田さんが風景を見るとき、意識しているのは「きれいかどうか」ではありません。

      「すごく分かりやすくきれいな景色よりも、なんでか分からないけど引っかかる、みたいな場所のほうが気になることが多いです。」

      それは、光の当たり方かもしれませんし、地形や構造の違和感かもしれません。

      「何でもない壁に光が当たってるだけで、急に空間として立ち上がる瞬間がある。その場に流れている時間とか、空気の重さみたいなものを感じたときに、描きたいと思います」

      風景は一瞬の視覚情報ではなく、そこに蓄積された時間や、身体が受け取る重力の感覚を含んだもの。その複合的な体験を、どう画面に定着させるかが課題になります。

      絵画は、過去の身体の記録

      抽象表現に惹かれた理由について、真田さんは「身体の痕跡」という言葉を使います。

      「自分の身体がどう動いたか、その痕跡をダイレクトに残せるところが、自分と合ってたんだと思います。」

      筆を動かす速度、腕の振り、重心の位置。そのすべてが画面に残ります。

      絵画はイメージの再現ではなく、過去に存在した身体の記録でもあります。真田さんにとって、描く行為そのものが、風景と身体を結びつける手段なのです。

      「美術館で他の作家の作品を見るときも、この線はどういう動きで描いたんだろうって考えることが多いです。作品そのものより、それを描いた人がどう動いたのかを考えると、そこに人がいた、っていう感じがする。」

      世界を「四角」に切り取る癖

      真田さんは、自身の視覚の特性についても語ってくれました。

      「昔から視覚情報の記憶が強くて、人の顔とか名前をあまり間違えないんです。」

      それは、他人を色のイメージで覚えるから。漢字も、形ではなく“色と密度のイメージ”で記憶しています。

      「漢字を思い出すとき、最初に色と密度が出てきて、そこから形に戻る感じです」

      日常生活の中では、無意識に視界を四角いフレームに区切っています。

      「この景色を四角に切ったとき、どこが一番しっくりくるかを常に考えてます。このモチーフには、この画角しかないな、って瞬間があるんです」

      この感覚は、構図を決める際の大きな手がかりになっています。

      感覚とロジックの二段階制作。まず設計する

      真田さんの制作は、大きく二つの段階に分かれています。最初は、構図や色彩、画面の配置を論理的に設計する段階です。

      「ここからここまでは自由にしようとか、この部分にはこれくらいの量でこの色を置こうとか、最初に設計図みたいなものをつくります。」

      次に、その設計を土台にしながら、感覚を優先して描いていきます。

      「感覚だけに頼ると、途中で画面が訳分からなくなることがあるので、最初にロジックを固めてから、思い切って動く感じです。」

      ただし、そのロジックは絶対的なものではありません。

      「描いてる途中で、『これは違うな』ってなったら、設計を壊すこともあります。その行き来が一番大事だと思ってますね。」

      構想には時間をかけますが、描き始めると完成までは早いといいます。

      「描き始めたら爆発的に早いですね。同時に何枚も描くことも多いので一概にはいえないですが、悩むのはどちらかという構図などを決めるほう。そちらにじっくり時間をかけて、それをもとに身体を動かすという感じでしょうか。」

      感覚とロジック、そのどちらか一方に偏らないことが、作品の安定感につながっています。

      風景は選ぶものではなく、出会うもの

      名古屋でのロケハン時の一コマ。

      風景を探す際、事前にロケハンの計画を立てることはほとんどありません。

      「普通に旅をする感覚です。何かを探そうというより、歩いてて引っかかったら立ち止まる、くらいですね」

      高い場所からの眺めに惹かれることもあれば、何気ない路地や壁に心を奪われることもあります。

      最近はカメラも趣味になっているため、ロケハン時には必須です。

      「高いところから見た景色に感動することもありますし、逆にすごく低い目線の風景に惹かれることもあります。」

      風景は“選ぶ”ものではなく、偶然の出会いによって立ち上がるもの。その姿勢が、制作全体に通底しています。

      地域性は、描いたあとに気づく

      各地で制作を重ねる中で感じる地域性について、真田さんはこう話します。

      「社会的な文脈というより、地理とか地学に近いものは作品に表れているような気がしますね。雪が多い地域だと屋根の形が全然違うとか、地盤の硬さとか。」

      そうした違いは、制作中よりも完成後に気づくことが多いといいます。

      「描き終わってから、『この絵、やっぱりこの土地っぽいな』って思うことが多いですね。」

      地域性は、意図的に表現するものではなく、風景と向き合った結果として自然に滲み出るものなのです。真田さんの絵は青が印象的な作品が多く見られます。それは、青にこだわっている、ということではなく地球において青は地域性を表しているということなのでしょう。

      「だって、海も空も青いじゃないですか。だから風景画を描くということはやっぱり青くなるんですよ(笑)。」

      今後について尋ねると、真田さんは「まだ知らない景色がたくさんある」と話してくれました。

      札幌でのロケハン時の一コマ。

      「海外に行ったとき、日本とは自然光の感じ方が全然違って。フランスとか、まったく陽の入り方が違うし、土の色も違う。例えば空とか太陽だけ切り取ったら同じなんでしょうけど。やはり自分の身体を通してみる風景はまったく違う。寒い地域とか、興味があります。日本の寒い地域では作品を描かせてもらっていますが、アラスカとか北欧とか、どんな感じなんだろう。」

      風景を描くことは、場所を記録することではありません。

      その場所に立った一人の人間が、何を感じ、どう身体を動かしたのか。その痕跡を残す行為です。感覚とロジックを行き来しながら、真田将太朗さんはこれからも風景と向き合い続けていきます。

      真田将太朗

      2000年生まれの画家。東京藝術大学美術学部卒、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。株式会社SANADA WORKSの代表取締役、クリエイティブチーム・赫赫の共同代表。重力と時間を縦方向の筆致で描く「新しい風景」を主題とした抽象絵画を制作。Google Japan、Y's、Aquascutumとのコラボ作品や、Super Formula、Super GT、冬季五輪スキークロス日本代表のヘルメットデザインも担当。Art Olympia 2022、東京藝大アートフェス優秀賞、ベストデビュタントオブザイヤー2025など受賞多数。JR長野駅の永久常設壁画やJR上野駅構内の30m級壁画をはじめ、常設作品は50点を超える。近年はGINZA SIX 銀座蔦屋書店、Tokyo International Gallery、台湾新光三越などで個展を開催。幕張メッセ AI EXPOでのライブペイントや、ヴァイオリニスト・常田俊太郎、ドラマー・石若駿らとともに行うライブアートパフォーマンス「Contrapunctus」など、活動は多岐にわたる。

      公式ウェブサイトhttps://shotaro-sanada.com/