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正解を決めない。模型メーカー・青島文化教材社の100年とこれから

正解を決めない。模型メーカー・青島文化教材社の100年とこれから

静岡県静岡市

    2026.03.03 (Tue)

    目次

      “模型の街”として長く知られてきた静岡市。全国のプラモデルの多くがこの街で生まれ、今もなお世界へと送り出されています。その中心に、100年にわたって模型をつくり続けてきたメーカー・青島文化教材社があります。そのラインナップは独自の個性を放ち、模型ファンであれば知る人ぞ知る存在。創業時から脈々と引き継がれてきた、青島文化教材社の挑戦DNAと、攻め続けるものづくりの現在地に迫ります。

      模型の街・静岡を支える“ライバルであり同志”の各メーカー

      静岡市は、日本国内のプラモデル出荷額の約8割を占める、世界有数の模型の街です。そのルーツには諸説ありますが、一説によると、浅間神社や久能山東照宮を建設するため、徳川家康公によって全国から集められた職人たちの技が、精巧な木工産業として根づき、時代とともに素材をプラスチックへと変えながら、模型産業へ発展したと言われています。

      2024年に創業100周年を迎えた青島文化教材社の本社。

      現在は、タミヤ、ハセガワ、青島文化教材社、バンダイなど、世界的メーカーが集積。静岡ホビーショーには、毎年7万人以上の模型ファンやバイヤーが国内外から訪れます。その中で、独自の存在感を放ってきたのが青島文化教材社。車や艦船といった王道ジャンルに加え、デコトラや低車高カスタム、キャラクターなど、多彩な切り口で模型を生み出してきました。

      現在、青島文化教材社の舵を取る創業家出身の代表取締役社長・青嶋大輔さん。

      2000年から営業・企画の現場を経験し、2016年に代表取締役に就任した青嶋大輔社長は、静岡のメーカー同士の関係をこう語ります。

      「昭和30年に静岡模型教材協同組合ができてから、70年以上、互いに刺激し合う関係が続いています。今も毎月集まり、静岡の模型産業について話し合う。ライバルであり、同志という感じですね。」

      それぞれが自社の強みを磨きながら競い合い、産業全体の未来では手を取り合う。その絶妙な距離感が、驚異の国内シェア8割超を支え続けてきた理由なのかもしれません。

      他がやらないことをやる。“狂犬”と評される理由

      日本で創業100年以上続く企業は全体のわずか数%と言われる中で、青島文化教材社が存在感を放ち続けてきた理由は、どこにあるのでしょうか。

      「一番厳しかったのは80年代後半、家庭用ゲーム機が登場した頃でした。70〜80年代前半までは売上は右肩上がりで、出せばなんでも売れる時代でしたから。各社が新しい活路を模索する中で、私たちはあえてプラモデルに特化する道を選びました。」

      「これぞ青島」といった青島文化教材社ならではのデコトラの模型たち。

      もともと、青島文化教材社にはデコトラなど、尖った商品が多くありました。そこをさらに磨き込み、車高を限界まで下げた車や、オリジナルのナンバープレートを付属させたトラックなど、他社が着手していないニッチな方向に踏み込んでいきます。

      カスタムカーファンにはたまらない、どこまで車高を低くできるかを極めた商品。

      このトラックにはナンバープレートが付属。オリジナルのナンバープレートを作れるサービスもあります。

      「ファンが喜ぶなら、面白そうなものは何でもやる。そうしているうちに、うちらしさがどんどん極まっていき、今に至ります。」

      独自路線を貫き、コアなファンの心を掴むことで、確かな地位を築いていった青島文化教材社。その原点には、挑戦を恐れなかった創業者・青嶋次郎氏の生き方があります。

      青島文化教材社のルーツ。挑戦のDNA

      創業者・青嶋次郎氏は、静岡初の民間パイロットでした。1924年に青嶋飛行機研究所を設立し、小型航空機の事業を手がけるもうまくいかず。それでも空への思いを捨てきれなかった次郎氏は、木工が盛んだった静岡の地場産業の技術を生かし、木製の動力付き模型飛行機を製造販売。自分の夢に忠実に、誰もやらないことに果敢に挑む人でした。

      青嶋飛行機研究所の航空機に使用されていた部品。常に新しい事を探求し続ける青嶋文化教材社のルーツ。

      1932年に製造販売を開始した木製の動力付き模型飛行機。

      「青島文化教材社は、このパイオニア精神があってこそ。ゼロから道を切り拓いた曾祖父は、本当に偉大だったと思います。その挑戦のDNAは、祖父から父、そして私へと、自然に受け継がれてきました。」

      模型飛行機を教材としてビジネス化することに成功した青島文化教材社は、1949年に静岡模型倶楽部を結成。これが、現在の「静岡ホビーショー」を手がける静岡模型教材協同組合の前身となります。二代目の青嶋一郎氏は、プラスチックという新素材にいち早く可能性を見出し、1961年に静岡で初めてオールプラスチックモデルを製造、販売。航空機から合体シリーズ、デコトラまで、他社がやらない多様なプラモデルを次々と世に送り出していきました。

      静岡初のオールプラスチックモデル「ブルーバード号」。

      精密スケールの職人技と大胆カスタム

      青島文化教材社が100年にわたり支持されてきた理由は、個性的な企画力だけではありません。プラモデルに特化し、長年にわたって技を磨き続けてきた職人たちの存在が、その土台を支えてきました。

      「意外かもしれませんが、同じ車種が複数のメーカーから同時に発売された際、スケールの正確さで一番評価されたのがうちだったんです。昔から、車やバイク、戦艦など、1/24でも1/32でも、実物を忠実に再現することに徹底的にこだわってきました。」

      細部まで妥協しない精密なスケール表現。その一方で、青島文化教材社は大胆なカスタムにも振り切ります。

      「たとえば車の場合、ノーマルはとことん忠実に、カスタムカーは思い切りカスタムに振り切る。その両極端をやるのが、うちのやり方です。同じ落書きでも、絵心がある人とない人では、どこか違いますよね。確かな技術があるからこそ、尖った表現ができる。それが、わかる人にはちゃんと伝わるのだと思います。」

      細部まで精密に再現された戦艦模型。スケールへの徹底したこだわりが、完成度の高さにつながっています。

      実物さながらの質感を追求したバイク模型。職人の技が、模型に“リアル”を宿らせます。

      正確さと遊び心。相反するように見える2つを、どちらも本気でやる。その姿勢こそが、青島文化教材社のものづくりを唯一無二の存在にしてきました。技術を磨くことは、挑戦を続けるための土台でもあるのです。

      「正解を決めない」経営と現場主義

      これだけ多様なプラモデルを世に送り出し続けるには、複雑な意思決定が必要に思えます。しかし、青島文化教材社の商品化のプロセスは、驚くほどシンプルです。

      「毎週木曜日に商品承認会議がありますが、だいたい5〜10分で終わります。基本的には私が『NO』と言わないからです。なぜなら現場の社員の方が、プラモデルのことをよく知っていると信頼しているから。ただし、本当に自信があるのか、その点だけは毎度確かめるようにしています。」

      営業発案で商品化された“痛車”のプラモデル。オプションで抱き枕も作れるなど、ファン心理を見事に捉えた商品。

      創業家出身の社長がすべてを決める会社も少なくありません。しかし青島文化教材社では、現場の意志が尊重され、意思決定のスピードも速い。その背景には「どんどんやれ、もっとやれ」という、代々受け継がれてきた価値観があります。営業の現場から生まれたアイディアが商品化されることもあれば、社員の遊び心から生まれた「社長バッジ」をカプセルトイにしてイベントで販売してしまうこともある。「うちはこういう会社だ」という型をあえて作らず、自由な発想を許容する。その柔軟さこそが、青島文化教材社の原動力です。

      イベントで販売された社長バッジのカプセルトイ。風通しのよい社風であることが伝わってきます。

      正解を決めないという選択は、決して無責任ではありません。現場を信じ、挑戦の余地を残すこと。それが結果として、スピードと熱量を生み出し、次の挑戦へとつながっていくのです。

      ユーザーと社員の満足を叶える、「ナンバー1」という思想

      青島文化教材社が掲げる企業理念には「新しいコト」への挑戦とともに、「お客様」と「会社スタッフ」の存在が明確に記されています。ものづくりの現場に立つ社員の満足なくして、ユーザーの感動は生まれない。そんな考え方が、会社の根底にあります。2016年の社長就任時、青嶋社長は、理念に「会社スタッフ」と「No.1」という言葉を加えました。青嶋社長が目指すのは、数字で測れる1位ではありません。

      「やはり、社員が気持ちよく働けなければ、いい仕事はできませんし、お客さまを喜ばせることもできません。No.1といっても、売上のことではないんです。」(青嶋さん)

      「目立ち度でも、やんちゃ度でもいい。何か1つでも『ここはやっぱりアオシマが一番だね』と言ってもらえる存在でありたい。そう思っています。」

      挑戦心を忘れず、どうすればユーザーが喜ぶのかを考え続ける。その判断の拠り所となるのが、この理念です。正解を決めない会社で、唯一の“正解”として共有されているもの。それが、この企業理念なのかもしれません。

      プラモデルの可能性を追求する、これからの100年

      1990年代以降、縮小傾向にあったプラモデル市場。しかし近年、巣ごもり需要や海外市場の広がりを背景に、再び注目を集めています。かつての全盛期を上回る勢いの中で、青島文化教材社は次の100年を見据えた挑戦を始めています。1つは、アニメやキャラクターの分野です。

      「美少女系のプラモデルは、世界的に見ても非常に人気が高い。キャラクターは日本の強みでもあります。うちの技術と企画力を生かして、世界中のユーザーに楽しんでもらえる商品を届けていきたいですね。」

      獣と美少女を掛け合わせた青島文化教材社のオリジナル新シリーズ「ケモプラ」。発売前から世界的な反響を呼び、キャラクタープラモデルの可能性を広げています。

      もう1つ、青嶋社長が力を入れているのが、教育の現場です。

      「今は、子供たちが手を動かしてものを作る機会が減っています。プラモデルを教材として使うことで、ものづくりの楽しさに触れてもらえたらと思っています。」

      小学校で行われている出前授業では、初めてプラモデルに触れる子どもも少なくありません。組み立てに夢中になる真剣な表情や、完成した瞬間の笑顔が、プラモデルの持つ力を物語っています。

      接着剤や塗装が不要な「楽プラ」。少ないパーツで高い再現性を実現し、教材としても活用されています。

      現場を信じ、正解を決めず、挑戦を続けてきた青島文化教材社。創業者が抱いた“空への憧れ”から始まったものづくりは、形を変えながら、今も次の世代へと受け継がれています。何が生まれるかは、まだ決めない。だからこそ、これからも面白い。青島文化教材社の挑戦は、次の100年へと続いていきます。

      株式会社青島文化教材社

      公式ウェブサイトhttps://www.aoshima-bk.co.jp/