北海道小樽市
2026.03.13 (Fri)
目次
ポップアップという自由なスタイルから、あえてひとつの場所に根を下ろす。その決断には、相応の覚悟が伴います。東京と小樽を往復しながら活動してきた若きロースター・石山健悟さんが選んだのは、故郷・小樽の梁川通りでした。コーヒーを売るのではなく、この町の人として生きていく。その思いの先に生まれる一軒のカフェは、単なる新店ではありません。ローカルに浸透していく未来の始まりです。無店舗から定住へ。その瞬間を追いました。
小樽駅から歩いて数分。かつて市場を行き交う人々でにぎわい、今も昭和の面影を色濃く残す梁川(やながわ)通り。石山健悟さんは、2026年4月に故郷である小樽へ完全にUターンし、この通りに自身初となる実店舗を構える準備を進めています。

昭和の面影を残す梁川通り。近年は個性豊かな個人店が集まり、新しいカルチャーが交差する通りとして注目を集めています。
彼は現状無店舗の「osmo coffee roaster」を営み、現在は東京と小樽の2拠点を往復しながら活動する若き焙煎士です。

店舗はこれからつくるため、撮影はCraft liquor bar SHARAKUにて実施。
小樽といえば、歴史ある喫茶店文化が根付く街。深煎りのどっしりとしたコーヒーが長く愛されてきました。そんな中で石山さんが提供するのは、生産者の顔が見えるスペシャルティコーヒー。しかし、彼がこの場所を選んだ理由は、単においしいコーヒーを提供するためではありません。
「梁川通りは、チェーン店ではなく、個人店が点在しているんです。それぞれの店主の顔が見える、ローカルな商売が息づいている。ここでなら、自分が思い描く店ができると思いました。」
彼の店に今、注目すべき理由。それは無店舗のポップアップという自由なスタイルから、あえてひとつの場所に根を下ろすという、定住への決意の瞬間に立ち会えるから。若きロースターが“ここでなければならない”という必然を見つけ、街の風景の一部になろうとする現在進行形のドキュメントが、ここにあるのです。
石山さんがコーヒーの道を志したのは、東京での会社員時代のこと。趣味だったコーヒーの世界にのめり込み、2020年頃から「osmo coffee roaster」として活動をスタート。以来約6年間、店舗を持たず、全国各地のイベントや間借りスペースでコーヒーを淹れ続けてきました。

東京での会社員時代に「自分が本当に行きたいと思えるコーヒー屋を作りたい。」と思い立ち、異業種から焙煎士の道へ。
「ポップアップだけの無店舗ロースターで活動してきた最大のメリットは、実店舗を持つ前に『小さな失敗をたくさん経験できたこと』です。」と振り返る石山さん。
仕込みの数量を見誤ったり、その土地の客層にラインナップが合わなかったり。試行錯誤を繰り返し、改善を重ねることで、自分のスタイルを磨き上げてきた時間です。そうして経験を積む中で、いよいよ自分の店を持つ場所について考え始めます。当初は「東京の一都三県あたりで」と漠然と考えていましたが、具体的に動き出そうとしたとき、ふと足が止まりました。東京という巨大な市場の中で、自分が店をやり、その街の風景の一部になっているイメージ。それがどうしても湧かなかったと言います。そんな中、サラリーマン時代にコーヒー業界への転身を迷っていた際に、長崎のコーヒーショップ・KARIOMONS COFFEEの店主、伊藤寛之さんからかけられた言葉を思い出します。
「そこで店をやって働くということは、この町の人になるということだからね。」
その言葉は時を経て再度、石山さんの胸に深く刺さりました。ただ消費される場所でコーヒーを売るのではない。その街に暮らし、その街の人として生きていく。その覚悟を持てる場所はどこか。そう考えたとき、脳裏に浮かんだのは、他でもない故郷・小樽の景色だったのです。
小樽で“自分の場所”を持つ。その決意を胸に焙煎される「osmo coffee roaster」が掲げるコンセプトは「しみじみと浸透していくような、やさしい味わいのコーヒー」。

1杯ずつ、丁寧に丹精込めてつくられるコーヒー。
「フレーバーや甘さが口の中でじわっと広がって、毎日でも飲みたくなるような、飲み心地のいいコーヒーを心がけています。」

コーヒーが注がれるカップにも彼の強いこだわりが表れる。
個性を強烈に主張する1杯よりも、毎朝のルーティンのように、気づけば求めてしまう優しい味わいのコーヒー。

各コーヒーの特徴はポップに詳細に書かれている。
「osmo coffee roaster」が扱うのは、農園や生産者の取り組みまで透明性が確保されたスペシャルティコーヒーですが、それを専門用語で語り過ぎることはしません。あくまで日常に寄り添う1杯として、抽出時の粉量や時間、お湯の量を緻密に計算し、誰が飲んでもおいしいと感じられるバランスを探求しています。


その世界観は、パッケージデザインにも反映されています。友人のデザイナーにお願いしたというパッケージは、コーヒーの味わいから連想される“色”で表現しています。
同カフェの中でもとりわけ印象的なのが、季節のブレンドにつけられた「hokkiko/北帰行(ほっきこう)」という美しい名前のコーヒー。冬を越し、北国へと帰っていく渡り鳥。それはまるで、長い旅を経て小樽へと戻ってきた石山さん自身の姿とも重なります。

店舗をつくるにあたり、さまざまなアイディアがあふれ出るのだとか。
これから作られる実店舗は、単なるカフェにはならない予定です。東京で出会ったおいしい焼き菓子屋のスイーツを並べたり、好きな音楽を流したり、時には友人のアート作品を展示したり。コーヒーを中心に、自分の好きなカルチャーをミックスできる空間。そんな場所を目指しています。

石山さんが「この街の人になる」と決意し、Uターンの地に選んだ小樽の風景。長く愛されてきた独自の喫茶店文化が根付くこの街に、今、少しずつ新しい風が吹き込んでいます。
まだ実店舗のオープン前であるにもかかわらず、石山さんの活動は、すでに小樽の街に小さな波を広げています。石山さんは昨年から現在(取材は2026年3月に実施)にかけて、実店舗の準備と並行して小樽で計25回のポップアップ出店を実施。最初は「お客さんが誰も来ないのでは。」という不安もあったそうですが、蓋を開けてみれば、近隣の店舗が「あそこで美味しいコーヒーを淹れているよ。」とお客さんを紹介してくれたり、地元の人がふらりと立ち寄ってくれたり。温かい輪が自然と広がっていきました。

地元の人々が買い物をする姿など、小樽のリアルな日常を垣間見ることができる梁川通り。観光と日常が穏やかに重なり合う、温かい通りです。
石山さんが出店を予定している梁川通り周辺では今、築100年の建物をリノベーションし、カレー屋や古着屋、ライブスペースなどが入る複合施設が生まれるなど、新しいローカルカルチャーが芽生え始めています。そこへ「osmo coffee roaster」という新しい拠点が加わることで生まれる、古い歴史と新しい感性が混ざり合う特別な場所になっていくのでしょう。観光客と地元客、そして移住者と生粋の小樽っ子が、一杯のコーヒーを介してフラットに交わる空間。カフェという存在が、街の景色を少しずつ変えようとしているのです。
石山さんの目は、店がオープンしたその先の未来もはっきりと見据えています。5年後、10年後、この街でどんな存在になっていたいか。その問いに対し、石山さんは力強くこう答えました。

「町にひらけたコーヒー屋として存在したいです。うちに来てくれたお客さんに、近隣の品のある個人店や、面白い人、モノを紹介して、町全体に心地よい“グルーヴ”を作っていくような存在になりたいですね。」
カフェは全国に無数にあります。そして、おいしいコーヒーを出す店も星の数ほど存在します。けれど、石山さんが小樽で店を開くことは、単なるビジネスのスタートではありません。「その街の人になる」という覚悟を持ち、自らが架け橋となって街と人をつなぎ、新しい熱量を生み出していくための拠点づくり。
「osmo=浸透」という名前の通り、石山さんの淹れる優しく誠実なコーヒー。それはゆっくりと、しかし確実に、小樽という街の隅々にまで心温まる穏やかな時間を浸透させていくことでしょう。

osmo coffee roaster
公式ウェブサイト(外部サイトに移動します)https://www.instagram.com/osmocoffee/