兵庫県豊岡市
2024.10.30 (Wed)
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TVドラマ化された漫画作品「ホタルノヒカリ」、「西園寺さんは家事をしない」を手掛けた漫画家・ひうらさとるさんは、兵庫県豊岡市の城崎温泉在住。自身の漫画作品の創作をしながら、「豊岡演劇祭」や「豊岡アートアクション」といった、地域の文化事業にも積極的に関わっています。
今回は、「城崎文芸館」で開催されている原画展「ひうらさとる漫画家生活40周年『漫画と温泉』」の会場と、お仕事場を訪問。城崎でのライフスタイルや、クリエイティビティの源泉をお聞きしました。
兵庫県北部、豊岡市・城崎(きのさき)エリアは、関西を代表する温泉街。志賀直哉や島崎藤村をはじめ、数々の文人墨客も好んだという名湯を求め、国内外から多くの観光客が訪れています。近年は、アートと文学の町として、注目を集めています。城崎ゆかりの文学作品などを収蔵・展示する施設「城崎文芸館」では、城崎温泉の若旦那たちが立ち上げたオリジナルレーベル「本と温泉」に執筆した万城目学、湊かなえといった現代作家の作品展示を行ったことも。もちろん「本と温泉」の作品の購入も可能です。
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舞台芸術に特化した「城崎国際アートセンター」はアーティスト・イン・レジデンス施設(公募から選考された国内外のアーティストの滞在中の創作活動を支援する事業)。アーティストは滞在制作中に、無料で市民に作品に触れる機会を提供する必要があります。
ひうらさとるさんは、高校3年生で漫画家デビュー。21歳のときに大阪市内の実家を離れ、東京に拠点を移しました。「なかよし」「Kiss」(ともに講談社)、「Cookie」(集英社)などで連載する売れっ子作家となり、東京では20年を過ごしました。
音楽やファッション、映画が大好きなひうらさんは、アーティストやファッションデザイナーの友人たちと、夜な夜なライブハウスやクラブで遊んでいました。仕事もプライベートも充実していましたが、どこかに焦りを抱えていました。
「若い頃は勢いだけで描いていました。30代にもなると、私よりもおもしろい作品を描く、新人の漫画家がどんどん出てくるのに、私が巻頭カラーを飾ってもいいのか。売れる作品を描かねば……。でも自分らしく伸び伸び描きたい。さまざまなことに悩んでいました。」
「ホタルノヒカリ」を執筆する少し前、恵比寿でマンションを購入。しかしローンの負担が重かったため賃貸に出し、杉並区の下町、高井戸に引越ししました。それまではほぼ外食だったのに、スーパーマーケットでお刺身を買うようになったり、駅前にある天然温泉に通ったり。ひうらさんは「高井戸で、人間らしい生活を取り戻した」と話します。
「ホタルノヒカリ」の主人公・蛍は家事をしない“干物女”です。主人公の、都心での華やかな仕事風景や、縁側のある一軒家での生活は、ひうらさんの東京暮らしの経験を取り入れて制作されました。
41歳のときに、兵庫県豊岡市出身のご主人と結婚。娘さんを出産して間もない2011年、東日本大震災が発生しました。水もおむつも入手が難しい、夏には計画停電が控えている。生活がままならなかったひうらさん家族は、豊岡の山側にある神鍋(かんなべ)高原に移住し、2015年に城崎に住居兼仕事場を構えました。
「豊岡に来て気づいたのは、東京では周囲に遠慮しながら子育てをしていたということ。マンションでは足音が響かないように娘に注意することもありましたし、電車やバスでは娘が泣かないように気を遣っていました。豊岡では一軒家暮らしで、移動手段は徒歩か車。子育ての荷をひとつ、ふたつと降ろしていくことができました。」
ひうらさんは、毎朝5時に起床。数分後にはデスクに向かい、執筆を開始します。執筆にはiPadを使用。東京の仕事場では、アシスタントさんたちと一緒にペンを走らせていましたが、今はオール・デジタル。千葉県に住むアシスタントさんとインターネットを通じてデータのやり取りをしています。
ご主人が仕事へ、娘さんが学校に向かうと、ふたたび仕事を再開。昼食は、ご主人に作ってもらうこともありますが、仕事に集中しているときは食べないこともあるそう。16時には、すべての仕事を終了します。
仕事終わりの楽しみは温泉。城崎の温泉街には、外湯と呼ばれる7つの公共温泉施設が点在。観光客は1日入り放題の入浴券や、旅館でもらえる外湯券を持って温泉を巡りますが、城崎町民は120円で入浴できます。
「16時〜18時30分は、自分のための余暇と決めています。歩いて温泉に行ったり、演劇を見に行ったり。出産、子育て、そして城崎に住んだことで、オンとオフの時間のメリハリがつくようになりました。」
城崎は、中央を流れる大谿(おおたに)川としだれ柳が情緒をそそる温泉街。木造の宿、外湯、カフェ、飲食店、土産店、レトロな遊技場などが立ち並んでいます。端から端まで歩いても徒歩約30分とコンパクトな町のため、ひうらさんは温泉にもワインビストロにも徒歩で出かけます。
「城崎の人たちはみな、『城崎のまち全体を盛り上げたい』という強い想いをもっています。夏に開催される打ち上げ花火のイベント『夢花火』は、月曜から木曜の平日に開催されます。土・日に花火を上げないのは、すいている平日に観光客を呼びたいから。観光客に温泉を巡ってほしいから、宿では浴槽の大きさが制限されている、客室内に温泉をひくことができないという条例があります。ホテルや旅館内におみやげ店やカフェがないのは、町でお買い物や飲食を楽しんでほしいから。『自分だけ儲ければいい』という人はいないですね。自分の商売をするけれど、共存共栄を第一に考えている人ばかりなのが、すごく好き。」
また、城崎は古くから名湯を求める人が多く訪れていたという歴史があり、外から来る人や移住者をやさしく受け入れる土壌があるのだとか。
「東京で修業した料理人たちのお店は観光客だけでなく地元民もよく通っていますし、私も応援しています。オーナーや店主の代替わりが早いのも特徴でしょうか。先代は早くに引退し、若い世代が後を継いでいます。町の寄合いに参加すると、30代、40代の社長も多いんですよ。」
ひうらさんは、移住してまもない時期から、「深さを持った演劇のまちづくり」を民間レベルでもすすめる「豊岡アートアクション」、観光やまちづくりと連動し、町のいたるところが舞台になる「豊岡演劇祭」といった地域の文化活動に深く関わっています。
「豊岡アートアクションでは発足時、副理事を務めていました。もともと豊岡市長だった中貝宗治さんが退任されてつくった一般社団法人なのですが、これからは民間レベルでこの文化を推進していくという強い想いがあります。ただただ演劇をたくさんやっているよ、というだけでなく、観光や教育、発達障害児の支援など、演劇がさまざまな役割を地域の中で果たせるようにしていくプロジェクトです。市民講座や講演会を積極的に開いており、私が講演をすることもあります。
演劇の業界人だけでなく、大学教授や脳科学者たちにも参加してもらっています。介護施設で、誰かが来るのを待ちきれずに歩き回る認知症の人に『もうすぐ来られるみたいですよ、ここで待ちましょうか』と話しかけるのも、ある意味“演技”ということを知り、ワークショップを開いたり、認知症の人たちに演劇の舞台に立ってもらったりしました。」
2021年には豊岡市に芸術文化観光専門職大学が開設されました。初代学長には、劇作家・演出家の平田オリザさんを迎えたことでも大きな話題になりましたが、芸術文化と観光の二つの視点から地域活性化を学ぶ、日本で初めての大学となっており、全国から学生が集まっています。
ひうらさんが城崎に移住してもなお、文化的な刺激を受け続けられるのは、豊岡市のまちづくりとの関わり合いが大きいのかもしれません。
2021年から2024年にかけて『BE・LOVE』(講談社)で連載された「西園寺さんは家事をしない」は、すべて城崎で執筆。主人公の西園寺さんは、家事ゼロを目指すバリキャリの独身女性で、手掛ける仕事は「家事アプリ」。38年のローンをかかえた一軒家で、シングルファザーの父娘と暮らすというラブコメディです。
「当初は、主人公のマイホームを高層マンションに設定するつもりでした。しかし、執筆前の取材で30代の女性会社員に話を聞くと、バリキャリとはいえ高層マンションに住む女性はイメージしにくいと言われました。また、犬を飼っている友人が、ペット可の賃貸物件は家賃が高いと悩んだ末、一軒家を購入したことを思い出しました。情報を集めたり、さまざまな人に会ったりして少しずつ解像度を高め、作品世界をつくっていきました。」
ひうらさんは、新しい人と出会うことも、お酒を飲みながら友人たちと会話を楽しむことも大好き。城崎の自宅には、ママ友、作家、近所の料理人、全国各地の友人や海外のアーティスト、友人が連れてきた客人がしばしば集まります。
「作品たちの世界観は、東京にいる頃と変わっていません。しかし、東京よりも城崎のほうが、出会う人の層が広がったことは意外な収穫でした。先輩も後輩も利害関係もない、みんながフラットな関係なのも心地いい。多様な人たちと出会うことで、ものの見方や考え方に深みが出てきましたし、作品づくりに活かされていると思います。」
この地方に移住してから執筆した作品『うらら』に、野良仕事が終わったおばあちゃんたちが温泉で、「イノシシの親子が田畑を荒らした」「けれど、イノシシも生きていかねばならないし」という会話を交わすシーンが描かれています。これは、ひうらさん自身が実際に地元の温泉で出会ったエピソードなのだそう。この町の“素の部分”がよくわかる微笑ましいシーンです。
温泉、アート、演劇、人。そしてそれらの間にある、のんびりした街の空気。ひうらさとるさんは、城崎の魅力をめいっぱい吸収し、文化活動で地域に還元。そして、全国のファンに向けて作品を生み出し続けています。
ひうらさとる
1966年5月10日、大阪府出身。1984年『なかよし』(講談社)に掲載の「あなたと朝まで」でデビュー。代表作である「ホタルノヒカリ」は「干物女」の言葉を世の中に広め、同作品はドラマ化、映画化され、女性を中心に人気を博した。2011年に住まいを東京から夫の出身地でもある豊岡市に移し、現在は城崎温泉で有名な城崎町にて作品の制作を行っている。講談社ビーラブで連載していた「西園寺さんは家事をしない」が2024年7月期にTBSにてドラマ化。音声メディア「Voicy」では『ひうらさとるの漫画と温泉』パーソナリティもつとめる。今年、漫画家生活40周年を迎え、各地で原画展も開催している。
公式ウェブサイト(外部サイトに移動します。)https://satoru-h.com
城崎文芸館
兵庫県豊岡市城崎町湯島357-1
公式ウェブサイト(外部サイトに移動します。)https://kinobun.jp
「ひうらさとる40周年原画展 出張編」
場所:吉祥寺 リベストギャラリー創
2024年11月15日(金)〜11月20日(水) 12:00~18:00(最終日17時まで)https://libestgallery.jp/2024-11-15/