兵庫県神戸市
2026.02.18 (Wed)
目次
神戸・元町。ベーカリーや雑貨店など個人経営のショップが点在する乙仲通りにある、フランス菓子店「pâtisserie mont plus(パティスリー・モンプリュ)本店」。2005年のオープン以来、フランス菓子の伝統を伝え続け、スイーツ激戦区の神戸において圧倒的な支持を得ている名店です。オーナーシェフの林周平さんはスイーツやお菓子教室などを通し、パリで学んだ技術と文化を神戸の地に届けています。
林さんは1965年、香川県生まれ。高校時代、林さんの人生を決める出会いがありました。当時放送されていたテレビ番組「料理天国」です。画面越しに映し出されるフランス菓子の華やかさと奥深さに魅了され、「いつか自分もこの世界へ」と、パティシエの道を志します。

フランスでの修業時代の写真。
高校卒業後は、大阪・東洋ホテルの製菓・製パン部を経て神戸・ホテルシュレナで腕を磨きます。「本場でフランス菓子の真髄を学びたい。」という思いを募らせていた林さんの心を動かしたのは、シェフの部屋を掃除しているときに見つけた一冊の本でした。目に飛び込んできたのは、伝統的なフランス菓子を新しい解釈で表現する名店「ジャン・ミエ」。見知らぬ店でしたが、林さんは芸術的な菓子の写真に心を奪われます。当時23歳、すでに結婚しており2歳の子どもがいました。それでも「ジャン・ミエ」で学びたい。林さんは家族を日本に残し、単身でパリへと旅立ちます。
憧れの「ジャン・ミエ」に修業を願い出るも、何度も門前払いされた林さん。諦めきれず、通い続けること13回。ようやくその情熱が認められ、修業が始まりました。朝4時から夜8時まで、スピードと正確さを求められる環境で働きづめ。林さんは「覚悟をもって入った道。フランス菓子の本質を吸収できる喜びのほうが大きく、苦労と感じたことはありませんでした。」と、振り返ります。
「ジャン・ミエ」のシェフ、ドゥニ・リュッフェル氏から繰り返し言われていたのは「綺麗な菓子を作ろうとするな」。見た目の美しさから逆算して菓子を作るのではなく、美味しさを徹底的に追求した結果として、綺麗な菓子が生まれることが理想。その教えは、今も林さんの菓子作りの根底に流れています。

林さんが作るのは、洋菓子ではなく“フランス菓子”です。
「日本の洋菓子は、西洋から渡ってきた菓子を日本人の感性でアレンジしたもの。私が作っているのは、フランス菓子です。」と、林さん。さらに言えば、林さんの解釈を加えたフランス菓子ではなく、修業先「ジャン・ミエ」の技術や味をほぼ忠実に再現した菓子なのです。

奥が「ピュイ・ダムール」、右が「スリー」。
「パティスリー モンプリュ」を代表する菓子は、シュー生地にシブーストクリーム(イタリアンメレンゲとカスタードクリームを合わせたもの)を重ねた「ピュイ・ダムール」と白ワインのムース「スリーズ」。どちらも「ジャン・ミエ」のスペシャリテそのものです。

オープンから20年超。林さんは神戸市優秀技能者表彰、全国のコンクール入賞など多数の受賞歴を持ち、神戸を代表するパティシエとしての地位を確立しています。華々しい経歴を聞くと完成された職人のように思えますが、「日々が勉強です。」と、林さんは語ります。
「ピュイ・ダムールは修業時代から数えて30年以上、ほぼ毎日のように作り続けています。それでも完璧だと思えるのは年に数日ほど。どうすればもっといいお菓子を作ることができるのだろうと考え、調整し、次に進む。そうして日々の仕事に取り組んでいると、発見もある。思考を重ねながらお菓子と向き合っています。」

最近読んでいる本の一部。
熟考しながら前へ進む。そんな林さんのお供は本です。定期的に書店に足を運んでは直感で本を手に取り、“大人買い”。政治、経済、人物に関する本など、月に5〜6冊を読破する読書家という一面があります。
最近読んでいるのは、量子に関する本です。「ニュートンが唱えた万有引力の法則を、アインシュタインが相対性理論に置き換えた。まずここにドラマがある。量子コンピュータはアメリカやイギリスなどが開発していますが、リードしているのは日本。そう聞くとわくわくしてきませんか?」と、本を語り出すと止まりません。

大切にしている言葉は、林さんによる造語「菓子残心(かし・ざんしん)」。この言葉を思いついたきっかけも、本でした。
「ある本で、京都の老舗料亭『菊乃井』の三代目ご主人・村田吉弘さんのお父さまが『料理残心』という言葉を使われていました。記憶に残る料理を目指すという意味の『料理残心』に、深く共感しました。街の風景や匂い、空気感が、菓子の記憶を呼び覚ますという経験はないでしょうか。私が追求しているのは記憶の中に生き続ける菓子、そして人生のふとした瞬間に思い出される菓子なのです。」

「菓子残心」を実現するための仕掛けの一つが、店舗のイートインスペース=サロンです。

神戸・元町の空気を感じながら歩いて、お店の扉を開けて。ショーケースの中できらきらと輝く生菓子たちをじっくり眺めて、とびきりのケーキを選んで。視線の先にあるのは、乙仲通りを行き交う人たち、棚に雑然と並ぶ林さんの雑貨コレクション。聞こえてくるのは、スタッフさんやお客さんたちが交わす神戸の言葉。五感が街と混ざり合い、記憶になる。林さんが目指しているのは、そんな「菓子残心」なのです。

「パティスリー モンプリュ」を訪れるお客さまの約6割が地元・神戸在住だそう。
「パティスリー モンプリュ」のコンセプトは「神戸でつくる菓子を、神戸の人たちに、このお店で食べてもらう」こと。だからこそ2号店は出店しない。イベントやポップアップにも参加しません。「神戸以外の地に出店する理由は、何一つありません」と、林さんは語ります。

「パティスリー モンプリュ」の菓子は、お店以外で販売されることはありません。菓子はお店から出ませんが、林さんは店に閉じこもることなく、積極的に外の世界へ向かいます。
「気難しそうと言われることも多いのですが、実は賑やかなことが好き。閉店後の店舗では、頻繁にパーティを開催。近所のブティックオーナーやパン屋さんなど50〜60人とお酒を飲みながら情報交換をしています。私自身は誰かと話すことも好きなのですが、その場にいる人たちがつながり、コミュニティが育つことに喜びを感じています。」と、林さん。パティシエのほか、菓子づくりが好きな一般の人たちとも交流することで、神戸の菓子文化の発展に尽力しています。

2015年、神戸〜芦屋でパティスリーを営むオーナーシェフ8名によるプロジェクト「オリジンコウベ」を結成。発起人は林さんです。「オリジンコウベ」は年に5回、誰でも参加できる講習会を実施するほか、年に2回、「エレガンス」「ピクニック」などのテーマのもと、それぞれが作品を創作し、披露しています。

「オリジンコウベ」によるおみやげスイーツ「ORIGIN KOBE」。コーヒー、チョコレート、レーズン、アーモンドなど神戸にゆかりのある素材を使用した焼き菓子です。
「オリジンコウベ」の代表的な取り組みが、8店舗共通の菓子作りです。「フランスの地方に行けば、どの店にも同じ伝統菓子があります。“神戸といえばこの菓子”という文化を作りたいという想いがあり、仲間たちと一緒に開発しました」と、林さん。同じ材料、同じレシピでそれぞれが店舗で製造、販売。新しい神戸土産として、感度の高い人たちに注目されています。

「オリジンコウベ」の活動の集大成として、メンバーとともにレシピ本「神戸 8人のパティシエが作るスペシャリテ64」(旭屋出版)を出版。こちらの本も林さん自身の著書も、レシピはもちろん写真やデザインにもこだわったそうです。林さんは「またいつか、本を作りたいと思っています」と、目を細めます。

一方、20年間続けている「パティスリー モンプリュ」でのお菓子教室も、林さんの大切な活動の一つ。3時間みっちり林さん自身が指導し、生徒たちも実際に手を動かして学ぶスタイル。菓子作りの技術だけでなく、歴史や文化的背景も学べる貴重な機会。1クラス16名で全6クラスは常に満席です。

林さんは、神戸の街にこだわります。
「神戸の街、特に元町はコンパクトで、人との距離が近い。買い出しのため大丸神戸店の地下に行くと、パティシエ仲間に出会うこともしばしばです。店がある元町の南エリアは、昼は観光客の姿も見られますが、夜はしんとして静か。このバランスが心地よい。住まいも、仕事も、買い物も……と、この街で完結する文化がある。そんな神戸が大好きです。だからこそ神戸に根ざす菓子文化を伝えたいと思っています。」

林さんには、一つの決意があります。それは、65歳で「パティスリー モンプリュ」を閉店することです。フランスのレストランやパティスリーでは、オーナーシェフが65歳を定年として引退するのが一般的なのだとか。林さんは現在60歳。あと5年で一つの節目を迎えます。閉店までのカウントダウンは始まっていますが、菓子作りから引退するというわけではありません。
「いったん区切りをつけて、次のステージに進みたい。規模を縮小するか、まったく違う形にするか……。どんな展開にするかはまだわかりません。ただおそらく、フランス菓子づくりは死ぬまで続けるでしょう。」
フランスの伝統と技術、そしてスピリットを神戸の地で実践し、育ててきた20年。林さんが作るフランス菓子は、神戸の洋菓子文化の大切な一部となりました。異国の伝統と「菓子残心」の精神が神戸の記憶となり、未来へと受け継がれていくことでしょう。
関連記事:神戸のパティシエ8人が紡ぐ 想いの込もった限定スイーツ
pâtisserie mont plus
公式ウェブサイト
https://montplus.com/