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銭湯と街は切り離せない。栗生はるかが考える文化の残し方

銭湯と街は切り離せない。栗生はるかが考える文化の残し方

東京都文京区

    2026.08.07 (Fri)

    目次

      戦後の最盛期には2700軒近くを数えた東京の銭湯。それが現在では、家庭風呂の普及、後継者の不在、建物の老朽化などの要因が重なり、400軒前後まで減少しています。銭湯が姿を消すと、街全体の表情が少しずつ変わっていく。本記事では、そんな銭湯と街の関係を見つめ、再生に取り組む一般社団法人せんとうとまちの代表理事・栗生はるかさんに話を聞きました。

      イタリアの街で学んだ眼差し

      建築を専門とし、青山学院大学や慶應義塾大学で非常勤講師も務める栗生はるかさん。その視線は建物だけでなく、街全体にも向いています。

      一般社団法人せんとうとまちの代表理事・栗生はるかさん。

      きっかけは、学生時代に留学したイタリア・ベネチア。古い建物がそのまま大切に使われており、住人同士の関係が自然に育まれている。生き生きとした街の日常に、栗生さんは強く心を動かされたそうです。

      「イタリアの方々は古いものを使いこなしていて、その中で人と人のつながりが生まれていました。翻って、当時の自分は住んでいる街のことをよく知らなかった。私の日常って、どうなんだろう。そう思ったところから、すべてが始まった気がします。」

      栗生さんが文京建築会ユース(東京建築士会と日本建築家協会の文京支部からなる文京建築会の若手有志団体)の活動で制作した東京都文京区の銭湯に関する冊子。

      日常の豊かさは、人と建築の関わり合いから生まれる。そう考えた栗生さんは帰国後、東京都文京区で地域活動に関わるようになります。銭湯に限らず、旅館街や喫茶店など、長い年月を経てその土地に根付いた場所を、未来へ手渡す方法について考え始めました。

      銭湯が消えるとき、街も姿を変える

      栗生さんたちは10年以上、文京区の消えゆく銭湯と向き合ってきました。どうにか残せないか、生かせないか。提案を重ねても、多くの銭湯は廃業し、解体されていく。そんな中で見えてきたのが「失われるのはお風呂だけではない」という事実でした。銭湯を頼りにしていた人が引っ越し、空き家が増え、常連でにぎわった店が閉業する。銭湯が1軒消えるだけで、街の風景そのものが変わるのです。

      せんとうとまちが主導して修繕、文化財化した滝野川稲荷湯。

      「銭湯を中心にした“生態系”のようなものが、そこにはありました。銭湯だけを見ていては、その銭湯すら守れない。街と一緒に考えないといけないと気付かされました。」

      それが団体名を「せんとうとまち」とした理由です。銭湯と街は切り離せない。両方がそろって、その価値は続いていく。栗生さんが目指すのは、博物館のような保存方法ではありません。

      「展示物のようにして残したいわけではありません。人々の暮らしの中で大切にされてきた場所として、これからも使われながら残ってほしい。それが、私たちの願いです。」

      街の“物語”を次の世代につなぐ

      せんとうとまちの活動は、記録と支援に大きく分けられます。記録とは、銭湯にまつわる情報をさまざまな手法で残すこと。建物だけでなく、そこに存在する仕組み、近隣住民との関係、思い出まで含めた“物語”が保存されます。その目的は、過去を懐かしむことではありません。地域の未来を描くためだと栗生さんは話します。

      もう一方の支援とは、現在営業中の銭湯が続くように伴走すること。近年、銭湯の再生を手がける会社も増えていますが、せんとうとまちは自ら経営することはなく、これまで営んできた人たちの歩みを尊重しながら、そばで支えることに力点を置いています。そんな姿勢に共感した銭湯のオーナーや、銭湯を大切に思う地域の人からは、日々たくさんの相談が寄せられています。

      「新しく建て直してしまえば、早いのかもしれません。でも私たちは、その銭湯がこれまで大切にしてきたやり方に寄り添いたい。代々受け継がれてきた個性や、地域との関係性ごと、次の世代にできる限りつないでいけたらと思っています。」

      再生の過程を地域に開く

      せんとうとまちの実績として象徴的なのが、滝野川稲荷湯の修復再生プロジェクトです。栗生さんは東京都北区の商工会誌制作の手伝いで銭湯を巡った際に稲荷湯と出会い、寺社のような風格を持つ外観に惹かれ、伴走支援を持ちかけます。

      1913年創業の稲荷湯。三段破風の屋根が特徴的。

      その結果、稲荷湯は2019年に都内で2例目となる国の登録有形文化財に。2020年には、世界の危機的な文化遺産を支援するワールド・モニュメント財団(WMF)が指定する「ワールド・モニュメント・ウォッチ」で250件超の応募から選ばれ、ノートルダム大聖堂やマチュピチュ周辺の景観と同じリストに名を連ねました。

      「街中にある普通の銭湯が、あのノートルダムと同じリストに載った。日本の銭湯という文化がそれだけ貴重で、守るべきものだと認めてもらえた気がしました。本当にうれしかったです。」

      映画「テルマエ・ロマエ」の撮影にも使用された稲荷湯の内観。

      2021年には、再生の取り組みがさらに本格化します。財団などから支給された助成金の多くは、稲荷湯本体と隣接する二軒長屋の再生に充てられ、物置と化していた長屋を片付けることから、修繕作業がスタートしました。その中で重視されたのは、地元のみんなが手を動かすことです。

      稲荷湯の隣に建つ長屋。2021年から1年以上の時間をかけて伝統工法を用いた再生工事が行われました。

      文京区を拠点とする栗生さんたちは、いわば外部の人間。「建物が残っても、それを守り続ける人や技が一緒に残らなければ、いつか立ち行かなくなってしまう」と考え、タイル貼りや土壁塗りのワークショップを開催し、地域の人々や若い世代が再生の過程に加われるようにしました。ただ眺めるだけでなく、自分の手を動かしたほうが、愛着が湧きます。

      「再生の過程を地域に開くことにこだわりました。私たちがいなくなっても、この場所が地域の手で続いていく。そんな流れが生まれることを、一番大事にしています。」

      二軒長屋のうち、一戸は原型に近い間取りに戻され、一戸はキッチンのある土間に作り変えられました。

      こうして2022年、長屋は生まれ変わり、“銭湯と街の間のワンクッション”として機能する湯上がり処に。館内には喫茶スペースが用意され、出店イベントや音楽ライブも行われています。「銭湯は昔ながらのコミュニティの場だから、ハードルが高い」と感じていた人が長屋を訪れ、それがきっかけとなって銭湯にも足を運ぶ。せんとうとまちの思い描く光景が、少しずつ広がっています。

      銭湯の“生態系”を未来へ受け渡す

      栗生さんの眼差しは、稲荷湯の外にも向いています。地道にのれんを守り続ける銭湯は、まだまだたくさんある。そんな思いで2023年に始まったのが、せんとうとまちと東京都北区の政策提案協働事業「わたしのせんとうとまち」です。せんとうとまちは王子、赤羽、滝野川といったエリアごとに銭湯を訪ね歩き、店主や常連の記憶を聴き取って、一軒につき一枚の新聞を制作。銭湯を入り口とした街歩きのきっかけをつくりました。

      東京都北区の銭湯と周辺の街の歴史、生活文化に焦点を当てた「せんとうとまち新聞」全21号。

      こうした街への働きかけは、新聞制作だけではありません。文京区界隈で廃業した銭湯から引き取った蛇口やロッカー、下足箱などの部材で山車を組み上げ、街を巡行する活動「銭湯山車巡行」も行われています。テーマは「廃業した銭湯を弔い、現役の銭湯を寿ぐ(ことほぐ)」。消えゆく銭湯の記憶が、明るくポップな祭りに昇華されています。

      文京建築会ユースと銭湯山車巡行部が行っている「銭湯山車巡行」の冊子。

      稲荷湯長屋を訪れたある人は「空間浴ができるね」と話しました。古いものを活かした空間が、人々の心を満たしているのです。

      「私たちが目指しているのは、建物を凍結して保存することではない」と栗生さんは繰り返します。銭湯で育まれたコミュニティ、歴史、文化。そんな“生態系”を未来へ受け渡す。人々の暮らしの中で大切にされてきた銭湯が、これからも“現役”でいられるように、せんとうとまちはサポートを続けていきます。

      一般社団法人せんとうとまち

      公式ウェブサイト(外部サイトに移動します)https://sento-to-machi.org/

      滝野川稲荷湯

      公式ウェブサイト(外部サイトに移動します)https://takinogawa-inariyu.com/