STORY
伝えて、応える。高知の老舗・竹虎がつなぐ、虎斑竹のある暮らし

伝えて、応える。高知の老舗・竹虎がつなぐ、虎斑竹のある暮らし

高知県須崎市

    2026.10.02 (Fri)

    目次

      高知県の真ん中に位置し、海と山に囲まれた、自然豊かな須崎市。そこには日本で唯一、安和地区というエリアにだけ自生する珍しい竹、虎斑竹(とらふだけ)があります。古くからこの地域で大切に守られ、受け継がれてきた虎斑竹を、変わりゆく暮らしの中でどのように生かし、次の世代につないでいくのか。虎斑竹の産地で竹専門店・竹虎を運営する、山岸竹材店の山岸義浩社長にお話を伺いました。

      高知でだけ育つ珍しい竹、虎斑竹

      虎斑竹(とらふだけ)が育つ竹林。

      高知県須崎市安和の山に、虎斑竹(とらふだけ)の竹林は広がっています。一歩足を踏み入れるとひんやりと涼しく、風に揺れる竹の葉がさらさらと音を立てています。

      「このあたりに生えているのは全部、虎斑竹です。虎斑竹は一本一本の間隔が広く育つので風がよく通り抜けます」と話すのは、竹虎四代目の山岸義浩さん。子どもの頃からこの山で走り回って遊んでいたと言います。

      • 虎斑竹の表面。

      • 表面を熱すると虎斑竹特有の虎模様がくっきりと浮かび上がります。

      虎斑竹の特徴は、その名の通り、表面に現れる虎のような模様。安和地区の、幅1.5kmほどの限られた山の斜面に群生しています。

      「ガスバーナーで熱を加えると、この白い靄(もや)がかかったように見える部分が虎模様のように浮かび上がることから、虎斑竹と言われています。全国的に見ても、このあたりの山でしか自生していません。竹はたった3ヶ月ほどで親竹と同じくらいの大きさに成長し、120年に一度しか花を咲かせません。本当に不思議な植物です。」

      虎斑竹は江戸時代に土佐藩の年貢として献上されていた歴史があります。古くから須崎の地で大切に守られてきました。虎斑竹の伐採は、毎年晩秋から冬にかけて行われます。竹の年数や色づきを見極め、製品に適した3〜4年物を選びながら、次の竹を育てる「親竹」は残す。竹を切り出すこともまた、竹林を次の世代へつなぐための大切な手入れの一つなのです。

      明治時代から続く老舗の竹屋

      1894年創業の山岸竹材店。

      山岸竹材店の歴史は、明治時代まで遡ります。義浩さんの曽祖父・宇三郎さんが1894年に大阪で竹材商を始めたのが、竹虎の起源です。良質な竹を求めて全国を探し歩く中で出会ったのが虎斑竹でした。当時は、高知で虎斑竹を収穫して、船で大阪まで運んでいたといいます。戦後に虎斑竹の産地である高知県須崎市に拠点を移し、現在は四代目の義浩さんが後を継いでいます。

      竹虎四代目の山岸義浩さん。

      義浩さんが子どもの頃、安和地区には700人ほどが暮らしており、そのほとんどが竹に関わる仕事をしていたのだそうです。

      「工場に立てかけてある竹から、ちょうどいい長さのものを見つけてきては、職人に竹とんぼや釣竿を作ってもらって遊んでいました。工場が昔から遊び場でした。」

      工場には虎斑竹がずらりと並んでいます。

      須崎市で生まれ育った義浩さんは、中学から全寮制の学校で学生生活を送り、大学時代は大阪で過ごしたため、10年ほど地元を離れていました。

      「都会での暮らしを楽しんでいたから、田舎に戻って家業を継ごうなんて思っていませんでした。」

      そんな意識が変わったのは、たまたま実家に帰省していたときに起こった火災がきっかけでした。

      「その日はなかなか寝つけませんでした。誰かが呼んでいる気がして、小雨の中、会社の方へ歩いて行ったら、会社が燃えていたんです。嘘みたいに聞こえると思いますが、本当に竹の声が聞こえたと思っています。竹は油分が多い植物なので、化学工場が燃えたかと思うぐらい激しく燃えていました。」

      炎に包まれる工場を見て、力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる家族や職人の姿が今でも記憶に残っていると言います。

      「自分が戻って、会社を立て直してやる。そう思いました。」

      家業を継ぐということ

      火災をきっかけに、大学卒業後は須崎へ戻り、竹虎に入社した義浩さん。しかし、家業を継ぐと決めたことと、仕事にやりがいを見いだすことは、別の話でした。当時、会社の業績は右肩下がりで、竹を取り巻く環境も、義浩さんが思っていたよりも大きく変化していたのです。

      「昔は竹材店がどこにでもありましたが、今では斜陽産業です。20代の頃は仕事が面白くなくて、毎日辞めたいと思っていました。子どもの頃から会社を見ていたとはいえ、現場のことを全く分かっていなかったんだと改めて思い知らされましたね。竹細工を作るのは職人です。自分は竹のことも知らないし、できることが全然ありませんでした」と、義浩さんは当時を振り返ります。

      そんなとき、二代目・義治さんが30年ほど前に施工した袖垣(そでがき)を修繕する仕事が入りました。

      「お客さまが『この袖垣を見ると安心する。あなたの仕事は素晴らしいね』と、声をかけてくれたんですよ。この仕事が人の役に立つと気づいて、ハッとしたのを覚えています。曇って見えていた世界がパッと晴れたようでした。」

      お客さまの言葉をきっかけに、仕事への向き合い方も、身近にあった虎斑竹の見え方も変わっていきました。

      お客さまの声から生まれるものづくり

      竹虎本店の店内。

      義浩さんが会社を継いだのは、生活様式が変化し、海外から安価な素材がたくさん入ってくる時代でした。会社の業績を回復させようと、百貨店の催事に出店し、竹細工を掲載したカタログを作るなど、さまざまなことに挑戦しましたが、なかなか売り上げにはつながりません。そんなとき、藁にもすがる思いで始めたのが、インターネットでした。

      「竹が売れない時代です。それでも、なんとかこの希少な虎斑竹は残したいと思って、できることはなんでもやりました。ホテルや土産物売り場へ営業に出向いたこともあります。何をやっても駄目で、もうインターネットしか方法がないと思いました。」

      竹細工の専門店・竹虎本店。

      義浩さんが会社のホームページを作ったのは1990年代のこと。インターネットの黎明期で、今ほどネット通販は普及していませんでした。そんな中、ホームページでは、義浩さん自身の言葉で竹のことを伝えるように心がけていたといいます。

      「僕自身の言葉で話すことで、お客さまに信頼してもらえると思っています。店頭でお客さまと話すのは数分のことなので、いつも竹のことを十分に伝えきれていない感覚がありました。その分、インターネットは制限がないので、ブログやメールマガジンを通して、虎斑竹の魅力を伝えることができました。」

      ホームページでの発信を続けていると、次第に「小さいサイズの籠が欲しいです」「こんなものは作れますか」といった、要望のメールがお客さまから届くようになりました。

      「竹細工を買ってくださるのはほとんどが都会の方です。昔ながらの竹ざるには、都会の暮らしからすると大きすぎるものもあります。そうしたお客さまのリアルな声をいただいて、サイズや個数を見直しました。お客さまに喜んでもらえることが一番うれしいから、応えたいと思ったんですよね。」

      店頭で手に取る人も多い、竹炭シャンプー・リンス。

      中でも、義浩さん自身が肌トラブルに悩んでいたことから企画した、竹炭シャンプーとリンスにはたくさんの声が寄せられました。

      「もともとアトピー体質で皮膚科に通っていて、竹炭が肌にいいことを知りました。竹炭を使ったシャンプーを作って発信すると、僕と同じように肌が弱くて悩んでいる方からたくさんの声が届きました。自分が悩んできたからこそ、そうした声にはできるだけ対応したいと思っています。」

      老舗の竹屋としての伝統を守りながらも、インターネットを介して届いた声に一つひとつ応えることで、竹虎の竹製品は少しずつ、今の暮らしになじむ形へと変わっていきました。

      100年後にも残したい虎斑竹と竹文化

      竹虎本店の店内には、竹細工の籠やざるなど約4,000点が並びます。それらは、隣接する工場で、職人の手によって一つひとつ丁寧に作られたものです。

      現在、竹虎で働く職人は17人。若者からベテランまで皆が同じ場所で作業をします。

      竹虎本店の店頭に並ぶ、職人の手で作られた竹細工の数々。

      義浩さんによると、竹細工の作り手は年々減少し、職人の高齢化が進んでいるといいます。

      「なかなか若い人が入ってこない業界です。最初は売り上げを伸ばしたいと思ってインターネットを始めましたが、発信を続けているうちに若手の竹職人や竹材店の関係者が読んでくれていることを知りました。今では、そうした次の時代を担う人たちのために、竹のことを残しておきたくて発信を続けています。」

      次の世代へ残したいのは、職人の技術や竹についての知識だけではありません。その材料が育つ、安和の竹林そのものもまた、大きな転換期を迎えています。虎斑竹は今、約120年に一度といわれる開花の時期を迎えています。竹虎にとっても、長い歴史の中で初めて直面する出来事です。

      「花が咲くのは僕たちにとって初めてのことで、誰も経験したことがありません。花が咲いた後にこの竹林が減少することも予想されます。先人たちがつないでくれた虎斑竹を100年後にも残すために、僕たちにできることは何かこれからも考えていきたいです。」

      竹虎では、開花していない竹林に入るための山道を整え、限られた竹材を生かす準備も進めています。

      高知県須崎市安和の地でしか育たない、虎斑竹。環境や暮らしが変化しても、この土地でしか生まれない営みがあります。竹の魅力を伝え、使う人の声に応えながら、竹虎はこれからも虎斑竹と向き合い、その価値を未来へとつないでいきます。

      竹虎

      公式ウェブサイト(外部サイトに移動します)
      https://www.taketora.co.jp/